~熊野古道(2)
熊野那智大社、青岸渡寺を出て、
大雲取越(おおぐもとりごえ)で小口まで~
山中でバッタリ、出会った相手は
野生の熊ならぬ人、インバウンドの皆様。
しかし熊との遭遇と同様に、まずいぞ言葉が通じない。
世界遺産を肌で感じようと訪れた和歌山県の熊野古道も
いよいよメイン、第2日目となる本日は大雲取越だ。
ただメジャーなルートではあるが今日は平日。
道中で人と出会うことも、あまりなさそうである。
ペースは速からず、遅からず。またルート上にはアップダウンもあるが、
それも行動には適度なアクセントとなり、さほど苦にはならない。
急ぐ旅でもなく、事前に計画したコースタイムも、
かなりゆとりを持たせているので、
のんびりと昔の旅人になった気分で進む。
時間は、間もなくお昼となるが、
朝から出会ったのは、道路などの工事関係の方々で
熊野古道ウォーカーとは全くなし。やはり今回は
それこそ“無言の行“となりそうだ。
そんな矢先に、前方から声がする。
少し進むと、外国人の二人連れがやって来る。とっさに出たのが
「こんにちは」である。相手も日本語で挨拶を返してくれ、
お互いニヤリと笑顔で、すれ違う。
ここで気のきいたひと言でも発すれば、さすがは
おもてなしの国と、日本の印象もよくなるはずだが、
ダメである。口から出るのは日本語のみ。
いまや国際語である英語が全く出てこない。
英語は中学、高校、そして大学で学んだ。
だが授業中は「もしも日本が英国だったら、
あの世界的な政治家も、企業のCEOやアーティストだって、
皆日本語を使っていたはず。実に残念である」。
そんなことしか考えていないのだから、上達するはずもない。
学校を出れば、仕事で横文字の単語は使っても、
読み、書き、喋りもオール日本語生活であり、現時点の英語のレベルは
限りなくゼロに近い、いやマイナスだろう。
最近は、山でも海外の方々と出会うことが
本当に多くなった。そしてカタコトの日本語を交えての
英語で話かけられる機会も増えた。
しかし返せない、相手のいいたいことは
何となく理解できるのだが、英語が口から出てこない。
頭は柄にもなく、高速回転で言葉を考えている。
英単語も浮かんでくるが、声に出すことはできずだ。
そうこうしているうちに、かなりの消化不良状態で、
コミュニケーションはそれこそ強制終了となる。
熊野古道でも、出会ってしまった。
そして英語も、案の定出てこなかった。これは、
勉強せねば、真剣に思った。が、そう思ったことは
過去に一体何度あっただろうか。
当然、熊野古道においても
こんな三日坊主らしい発想も浮かんだ。
もし次に会う人が日本人以外なら本気でやるぞ。
そう何度も外国人だけということもなかろう。
これでは、勉強は多分やらないぞと
暗に宣言しているようなものだが。
その後は立て続けに人に会った、
その中に日本人は皆無。オール外国の方だった。
途中、急降下となる難所もクリアして
小口へ無事到着した。
ここからはバスで新宮へ出る。
ポツンとバス停が立っていた。誰もいない
ベンチにどっかと腰をおろす。
しばらくしてバスがやって来た。
途中で出会った外国の方々も、そろそろ
熊野那智大社、青岸渡寺に着いたかなと
ぼんやり思いつつ、乗客らしき人影はなしの
バスに乗ろうとした。
その瞬間、後ろでバタバタ、ドヤドヤと人の気配だ。
振り向くとバスに向かって、
こちらも外国人の一団が接近中である。
とどめを刺されたようだ。
これは、もう絶対に英語の勉強をやらねば。
世界で、もまれた言語・英語を、島国で
やたらと語彙が豊富となるなど独自の進化を遂げた
ガラパゴス言語・日本語を使う輩は
はたしてマスターすることができるのか。
実はバスの車中では、こうも思った。
う~ん英語の勉強は、切りよく新しい年、
来年2016年からでもいいかな。
すでに前途には、暗雲が立ちこめている。
熊野那智大社、青岸渡寺を出て、
大雲取越(おおぐもとりごえ)で小口まで~
山中でバッタリ、出会った相手は
野生の熊ならぬ人、インバウンドの皆様。
しかし熊との遭遇と同様に、まずいぞ言葉が通じない。
世界遺産を肌で感じようと訪れた和歌山県の熊野古道も
いよいよメイン、第2日目となる本日は大雲取越だ。
ただメジャーなルートではあるが今日は平日。
道中で人と出会うことも、あまりなさそうである。
ペースは速からず、遅からず。またルート上にはアップダウンもあるが、
それも行動には適度なアクセントとなり、さほど苦にはならない。
急ぐ旅でもなく、事前に計画したコースタイムも、
かなりゆとりを持たせているので、
のんびりと昔の旅人になった気分で進む。
時間は、間もなくお昼となるが、
朝から出会ったのは、道路などの工事関係の方々で
熊野古道ウォーカーとは全くなし。やはり今回は
それこそ“無言の行“となりそうだ。
そんな矢先に、前方から声がする。
少し進むと、外国人の二人連れがやって来る。とっさに出たのが
「こんにちは」である。相手も日本語で挨拶を返してくれ、
お互いニヤリと笑顔で、すれ違う。
ここで気のきいたひと言でも発すれば、さすがは
おもてなしの国と、日本の印象もよくなるはずだが、
ダメである。口から出るのは日本語のみ。
いまや国際語である英語が全く出てこない。
英語は中学、高校、そして大学で学んだ。
だが授業中は「もしも日本が英国だったら、
あの世界的な政治家も、企業のCEOやアーティストだって、
皆日本語を使っていたはず。実に残念である」。
そんなことしか考えていないのだから、上達するはずもない。
学校を出れば、仕事で横文字の単語は使っても、
読み、書き、喋りもオール日本語生活であり、現時点の英語のレベルは
限りなくゼロに近い、いやマイナスだろう。
最近は、山でも海外の方々と出会うことが
本当に多くなった。そしてカタコトの日本語を交えての
英語で話かけられる機会も増えた。
しかし返せない、相手のいいたいことは
何となく理解できるのだが、英語が口から出てこない。
頭は柄にもなく、高速回転で言葉を考えている。
英単語も浮かんでくるが、声に出すことはできずだ。
そうこうしているうちに、かなりの消化不良状態で、
コミュニケーションはそれこそ強制終了となる。
熊野古道でも、出会ってしまった。
そして英語も、案の定出てこなかった。これは、
勉強せねば、真剣に思った。が、そう思ったことは
過去に一体何度あっただろうか。
当然、熊野古道においても
こんな三日坊主らしい発想も浮かんだ。
もし次に会う人が日本人以外なら本気でやるぞ。
そう何度も外国人だけということもなかろう。
これでは、勉強は多分やらないぞと
暗に宣言しているようなものだが。
その後は立て続けに人に会った、
その中に日本人は皆無。オール外国の方だった。
途中、急降下となる難所もクリアして
小口へ無事到着した。
ここからはバスで新宮へ出る。
ポツンとバス停が立っていた。誰もいない
ベンチにどっかと腰をおろす。
しばらくしてバスがやって来た。
途中で出会った外国の方々も、そろそろ
熊野那智大社、青岸渡寺に着いたかなと
ぼんやり思いつつ、乗客らしき人影はなしの
バスに乗ろうとした。
その瞬間、後ろでバタバタ、ドヤドヤと人の気配だ。
振り向くとバスに向かって、
こちらも外国人の一団が接近中である。
とどめを刺されたようだ。
これは、もう絶対に英語の勉強をやらねば。
世界で、もまれた言語・英語を、島国で
やたらと語彙が豊富となるなど独自の進化を遂げた
ガラパゴス言語・日本語を使う輩は
はたしてマスターすることができるのか。
実はバスの車中では、こうも思った。
う~ん英語の勉強は、切りよく新しい年、
来年2016年からでもいいかな。
すでに前途には、暗雲が立ちこめている。
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