最近、廃屋やサイロが気になっていているのは、おじさんもたそがれてきたようなことを前にいいましたが、訂正します。
おじさんは、廃屋やサイロにいろいろな思いを持ち続けています。
この絵は、1982年(おじさんが36歳のとき)に描いたもので、ある機関誌の表紙に使っていただきました。
その時のコメントも載っていました。
こんなことを書いていました。
前任地、S町と実家(U町)を結ぶ沿道にこの「廃屋」はある。
いつか描きたいと思いつつ通過していたのだが幸い、近くのT町に転勤したのを機に5月の連休にスケッチしたものである。
決してウキウキするような情景ではないが、私自身、開拓農家の長男として生まれながら、後継者とはならず、やがてこの廃屋のようになるであろう実家のことを思うと、なぜか共感を呼ぶ。
低く雲が垂れ、砂塵の舞う日であった。
実際、両親がおじさんと同居した20年前からこのような状況になっていました。
幸い住宅は、知人が引き取ってくださり、内部改装をして使っていただきましたが、畜舎やサイロは取り壊してしまいました。
サイロと廃屋、おじさんが若い時から心にずっと残る郷愁なのです。