中公新書「新版日中戦争」臼井克己署(2000年発行)より転記
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翌1933年2月リットン報告の決議を賛成42票、反対1票(日本)で採択した。
松岡洋右代表は会議場を退場、連盟脱会を通告した。
同じ頃、現地満州では関東軍が熱河省で新たな軍事行動を開始した。
万里の長城が日本・中国の境界線となった。
天皇は長城を越えて南下することをかたく禁じた。
現地軍は無視し、北京への進攻は時間の問題とみられた。
5月30日塘沽で日中停戦会議が開かれ、停戦協定が調印された。
長城以南は中立地帯に設定された。つまり中国は長城までを満州国と事実上認めた事になる。
蒋介石は6月6日、日記に次のように書いた。
「このたびの停戦によって恥辱を蒙った。われわれは臥薪嘗胆、10年以内にこの恥辱をそそがねばならない。」
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翌1933年2月リットン報告の決議を賛成42票、反対1票(日本)で採択した。
松岡洋右代表は会議場を退場、連盟脱会を通告した。
同じ頃、現地満州では関東軍が熱河省で新たな軍事行動を開始した。
万里の長城が日本・中国の境界線となった。
天皇は長城を越えて南下することをかたく禁じた。
現地軍は無視し、北京への進攻は時間の問題とみられた。
5月30日塘沽で日中停戦会議が開かれ、停戦協定が調印された。
長城以南は中立地帯に設定された。つまり中国は長城までを満州国と事実上認めた事になる。
蒋介石は6月6日、日記に次のように書いた。
「このたびの停戦によって恥辱を蒙った。われわれは臥薪嘗胆、10年以内にこの恥辱をそそがねばならない。」