「週刊文春」2019年10月24日号に、
角川選書「戦国大名・伊勢宗瑞」駿河台大教授・黒田基樹著
の評論が作家・富樫倫太郎で載っている。
富樫氏の評論は、思い込みや、時代遅れの感がする。
かろうじて、備中・高越城で生まれたとこまでは否定していない(肯定もだが)ようだ。
(笠岡市走出から望む)井原市高越城跡 2019.9.25
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「これほど有名なのに、ごく最近まで、実像が不明で、所伝のほとんどが間違っていた、というのが北条早雲である。
かつて早雲といえば伊勢の素浪人に過ぎず、一山当てようと仲間たちと語らって駿河に下り、権謀術数を駆使して大名にのし上がった梟雄であり、下克上の権化と見られていた。
88歳まで生きた長命の武将としても知られていたが、実は、すべて間違っている。
そもそも「北条早雲」は存在せず、正しくは「伊勢新九郎盛時」であり、出家してからは「北条庵宗瑞」である。享年は64だ。
室町幕府の高級官僚として将軍に仕えていた宗瑞が、なぜ、駿河に下ったのか。
著者の黒田氏は言う。
京都にいる領主が地方の領地から年貢を送らせて暮らすという仕組みが崩壊し、将軍の側近といえども、まともに食えなくなった。
食えないから下向したのだ。」
角川選書「戦国大名・伊勢宗瑞」駿河台大教授・黒田基樹著
の評論が作家・富樫倫太郎で載っている。
富樫氏の評論は、思い込みや、時代遅れの感がする。
かろうじて、備中・高越城で生まれたとこまでは否定していない(肯定もだが)ようだ。
(笠岡市走出から望む)井原市高越城跡 2019.9.25
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「これほど有名なのに、ごく最近まで、実像が不明で、所伝のほとんどが間違っていた、というのが北条早雲である。
かつて早雲といえば伊勢の素浪人に過ぎず、一山当てようと仲間たちと語らって駿河に下り、権謀術数を駆使して大名にのし上がった梟雄であり、下克上の権化と見られていた。
88歳まで生きた長命の武将としても知られていたが、実は、すべて間違っている。
そもそも「北条早雲」は存在せず、正しくは「伊勢新九郎盛時」であり、出家してからは「北条庵宗瑞」である。享年は64だ。
室町幕府の高級官僚として将軍に仕えていた宗瑞が、なぜ、駿河に下ったのか。
著者の黒田氏は言う。
京都にいる領主が地方の領地から年貢を送らせて暮らすという仕組みが崩壊し、将軍の側近といえども、まともに食えなくなった。
食えないから下向したのだ。」