(西から)広島県尾道市・福山市、
岡山県笠岡市・井原市・浅口市・総社市・倉敷市・岡山市・瀬戸内市・備前市・赤磐市・津山市、
岡山県小田郡・浅口郡・和気郡・勝田郡・久米郡、の桜を見てまわった。
今年は晴れの日がつづき、多くの桜を楽しめた。
尾道・福山
笠岡
井原・浅口・小田
倉敷・岡山・総社
瀬戸内・備前・赤磐・津山・和気・勝田・久米
陸軍特攻基地として知られる「万世飛行場」のはなし。
ある夜、ソヨは婦人会の女たちと、炊事場で出撃用のおにぎりを作っていた。
出撃前日の青年が二階から降りてきた。
倉田道次という少尉だった。
「それは誰が食べるの」
「みなさんが・・・・」
奉仕隊の一人が小さな声で答え、もう一人が
「あなたたちが,持っていくと、聞いています」
と途切れ途切れに言った。
倉田の声は穏やかだった。
「もう遅いからそんなことをしないで、早くお帰り下さい。
それを食べる時間には僕たちはもう生きていません・・・・・・」
出撃後、二、三時間で彼らは沖縄の敵艦に突入するのだ。
倉田はまだ二十二歳である。
「だから作らなくてもいいよ。残った人たちに食べさせてあげて下さい」
女たちは黙ってうつむき、ぽたり、ぽたりと涙がおにぎりに落ちた。
それを見て倉田は
「塩はいらないね」と笑った。
女たちは泣きながらおにぎりを作り続けた。
ソヨには、若者が心底で肉体の飛び散るぎりぎりの時間まで生を希求していることが分かっている。
息子のような彼らをかばうのも、彼女の役目だった。
出撃前夜に、将校が特攻隊員の頬を張るのを見かけたことがある。
隊員のいないところで、彼女は将校に薩摩弁で食ってかかった。
「なんてことをすっとですか!
あん人たちは明日、仏さまにないやっとごわんど」
ソヨは二〇〇一年に九十七歳でこの世を去った。
その仏壇では、ソヨと五人の少年兵たちの写真が佇んでいる。
特攻旅館の人々 「後列のひと」 清武英利 文芸春秋 2021年発行
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