しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

2022年の桜

2022年04月27日 | 令和元年~
(西から)広島県尾道市・福山市、
岡山県笠岡市・井原市・浅口市・総社市・倉敷市・岡山市・瀬戸内市・備前市・赤磐市・津山市、
岡山県小田郡・浅口郡・和気郡・勝田郡・久米郡、の桜を見てまわった。

今年は晴れの日がつづき、多くの桜を楽しめた。


尾道・福山


笠岡


井原・浅口・小田


倉敷・岡山・総社


瀬戸内・備前・赤磐・津山・和気・勝田・久米



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奈良光枝のこと

2022年04月27日 | 昭和の歌・映画・ドラマ
二十歳前後の頃、テレビ東京系の懐メロに奈良光枝が出ていた。
それをいっしょに見ていた母は、
「奈良光枝はそりゃあ美人じゃった」と見たことでもあるように話した。
たしかに、テレビに映る奈良光枝は飛び切りの美人だった。
・・・・
藤原正彦先生の”あこがれの人”への思いは、
ほぼ私たちの世代も似たようなもので、先生の思いは非常によくわかる。

・・・・



・・・・・

奈良光枝のこと


「始末に困る人」 藤原正彦  新潮社 平成23年発行


昭和21年に「或る夜の接吻」という映画が封切られた。
日本初の接吻映画と宣伝されたが、私がよく見たところ主演の若原雅夫と奈良光枝は接吻していない。
接吻をほのめかしているが絶対にしていないはずだ。
私の奈良光枝は清純無垢でそんなふしだらをするような人間ではないのだ。
私などとは根本的かつ本質的に違うのだ。


奈良光枝を初めてテレビで見たのは高校一年の時と思う。
三十代後半だった彼女の余りの美貌と清楚には真に誠に本当にたまげた。
彼女を見てたまげない人は視力か感受性に問題のある人だけだ。
これほど美しい女性を見たことはそれ以前も以降も一度もない。
こんな人はもう二度とこの世に生まれないとさえ思った。


「悲しき竹笛」は「或る夜の接吻」というけしからん題名の映画の主題歌と知ったのはかなり後だった。
彼女の歌には他にも「雨の夜汽車」「青い山脈」「赤い靴のタンゴ」などの傑作がある。
レコードもテープもCDも持っている。
彼女を思わない日はほとんどなく、その故郷である弘前は聖地になった。


彼女は佳人薄命の通り五十三歳で亡くなった。
青山斎場で行われた葬儀はあいにく講義と重なった。
前々日から休講にしようか悩みに悩んだ。
結論が出ず、父に相談した。
「バカモン、公務優先に決まっとる」と一喝され、私の青春は終わった。
翌々年、奈良光枝のことを「誰、それ」と言った非国民のような小娘と結婚した。

(2011年6月16日号)




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「明日、仏さまにないやっとごわんど」

2022年04月27日 | 昭和20年(終戦まで)

陸軍特攻基地として知られる「万世飛行場」のはなし。

・・・・・

ある夜、ソヨは婦人会の女たちと、炊事場で出撃用のおにぎりを作っていた。
出撃前日の青年が二階から降りてきた。
倉田道次という少尉だった。
「それは誰が食べるの」
「みなさんが・・・・」
奉仕隊の一人が小さな声で答え、もう一人が
「あなたたちが,持っていくと、聞いています」
と途切れ途切れに言った。
倉田の声は穏やかだった。
「もう遅いからそんなことをしないで、早くお帰り下さい。
それを食べる時間には僕たちはもう生きていません・・・・・・」
出撃後、二、三時間で彼らは沖縄の敵艦に突入するのだ。
倉田はまだ二十二歳である。
「だから作らなくてもいいよ。残った人たちに食べさせてあげて下さい」
女たちは黙ってうつむき、ぽたり、ぽたりと涙がおにぎりに落ちた。
それを見て倉田は
「塩はいらないね」と笑った。
女たちは泣きながらおにぎりを作り続けた。
ソヨには、若者が心底で肉体の飛び散るぎりぎりの時間まで生を希求していることが分かっている。

 

息子のような彼らをかばうのも、彼女の役目だった。
出撃前夜に、将校が特攻隊員の頬を張るのを見かけたことがある。
隊員のいないところで、彼女は将校に薩摩弁で食ってかかった。
「なんてことをすっとですか!
あん人たちは明日、仏さまにないやっとごわんど」

 

ソヨは二〇〇一年に九十七歳でこの世を去った。
その仏壇では、ソヨと五人の少年兵たちの写真が佇んでいる。

 

 

特攻旅館の人々 「後列のひと」 清武英利 文芸春秋 2021年発行

 ・・・・・・


仔犬を抱いて笑ふ少年特攻兵の写真は悲しい

四五年五月末、出撃前の彼らの一人は仔犬を抱いて笑っている。
自分が乗り込む特攻機に爆弾を装備するのを見ているとき、
近くを歩きまはってゐる仔犬を見つけて抱いたといふ。

抱いてゐるのは十七歳の荒木幸雄伍長。
ここでわたしは言葉が泪に濡れないやうにして書くが、
これは昭和日本の最も悲しい写真だらう。


「星のあひびき」 丸谷才一  集英社  2010年発行



 

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