しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

徐州戦争「麦と兵隊」

2024年07月15日 | 旅と文学

徐州戦争には日本軍約200.000、中国軍400.000~500.000が参加したと言われる。
従軍した日本兵は
〽行けど進めど 麦また麦の・・・の大平原を幾日も歩きつづけた。

「麦畑は何処まで行っても尽きない。
岩と岩の間をも限なく開墾して麦畑を作り。 間に高粱や芋や葫などを植えている。
山の絶頂にこちらを見ている人影がある。
望遠鏡で見ると土民である。」


作者・火野葦平は徐州戦争従軍中に、
現地で小林秀雄さんから”芥川賞”を渡されている。
その芥川賞作家でさえ、「麦と兵隊」で中国人を土民と表現している。
後世の民としてはすこしつらい。
(侵略戦争事態もそうだが)

当時少年たちに人気の「のらくろ」では、
兵隊になったのらくろが南洋に出兵し、現地人を「蛮公」「蛮人」と呼んでいる。
1930年代の日本人は、国民全体が普通に異常の様相だ。

 

・・・


五月二十日

岩山の間の麦畑を行く。 
我々の進軍は何処まで行っても麦畑から逃れることが出来ない。
丘陵もことごとく岩石で埋められている。周囲の山の肌にはっきりと地層が露出しているが、それは横にではなくて、縦にである。
斜にあるかと思うと、まっすぐにあり、恰度縞模様のようである。
北支に近づいたので、山が北らしくなってきた。
山西省の方に行くとこんな形の山が多いよ、と梅本君が云った。

土質も砂礫を交えた粘土質で、土の色も繪河を渡って徐州に近づくにつれて赤味を帯びて来たようだ。
河を渡る迄にあった部落の家はほとんど土の家ばかりであった。
しかし、繪河を渡ってから時々石を礎にだけ使った家を見かけるようになったが、此の辺では、丹念に 石を積み重ねた石ばかりの家が各所にある。
道路にも小石を敷きつめて石だたみをつくっている。
この附近の山の岩石を使うからに違いない。 
小さな部落も周囲は土壁ではなく石の城壁が囲らしてある。 

麦畑は何処まで行っても尽きない。
岩と岩の間をも限なく開墾して麦畑を作り。 間に高粱や芋や葫などを植えている。
山の絶頂にこちらを見ている人影がある。
望遠鏡で見ると土民である。
部隊が通り過ぎると、山の稜線の上ににょきにょきと幾つも黒い影が現われ、稜線を越えて土民がぞろぞろと降りて来始める。黒い山羊が麦畑の中に百匹程も団っているところがある。
クリークに青い羽の蜻蛉が飛んで居る。 
飛行機が何台もしきりに飛んで居る。

左手の山の遥か向うに繭のような気球の上って居るのが見える。
徐州に入城した荻洲部隊が気球を持っていると聞いたことがあるので、その気球のあるところが徐州に違いない。 
前方の山の向うで続けさまにすさまじい爆撃の音がする。
退却している敵に爆弾を投下しているらしい。
六台飛行機が我々の頭上に来て、 爽快な爆音を立てながら低く旋回し始めた。
山の肌に黒く飛行機の影がる。
海のような麦畑の上をすうっと黒く影を落してすぎる。
すると一台の飛行機から、ぱっぱっと白い煙の玉を吐くように幾つも落下が飛び出した。 
他の飛行機も同じように落下傘を発射しだした。 
一台のごときは続けざまに十個の落下傘を出した。
真青の絨毯の上に落した貝殻のように白く浮び、次第に落ちて来る。
数十の落下傘には黒い箱がぶち下っている。
弾を投下したのだ。
麦畑に落ちるとトラックがすぐに取りに行った。

・・・

旅の場所・(なし)
旅の日・(なし)  
書名・「麦と兵隊」 
著者・火野葦平 
発行・「現代日本文学全集48」筑摩書房 1955年発行 (初本・昭和13年雑誌「改造)

・・・

 

(父・昭和14年北支時代)

 

 

 

「岡山県郷土部隊史」

(昭和13年)
5月18日第11中隊菊池中隊は赤柴部隊と共に微山湖を渡り、微山湖西方を南下し、
5月19日岡部隊主力は運河を渡って進撃すると、敵は退却していたが陣地は堅固に構築されており、小銃弾ではどうにもならず、後方陣地との交通壕も数条つくられていた。
柳泉駅はわが荒鷲のため爆砕されていたが、工兵隊は線路を修理し、 
5月22日列車で徐州に着き、一週間滞在の上赤柴部隊に追及する。
韓荘守備期間のわが方の損害は戦死21、戦傷44。

 

微山湖を渡り施家楼に到着した我が赤柴部隊

 

5月24日徐州西方地区を南下して敗敵を追撃中の赤柴沼田の両部隊は蕭県を経て、永城南方で3千余の敵縦隊を敗走させ、
5月28日夜毫県前面の渡河を敢行して、谷口部隊は県に砲撃を加え、
歩兵は29日終日猛攻を繰り返して午後8時県域に突入。
5月30日払暁完全に占領する。 

 

 

父の徐州戦争従軍日誌(昭和13年・1938年)
 
赤柴部隊本体に到着  5月15日

遠くのほうで銃声・砲声が聞こえる。

しかし、待ちに待った戦場へいよいよ到着したのだ。

戦車・装甲車の車輪の音。
自動車のひびき、ごうごうたる○○本部だ。

本日はいよいよ隊へ配属されたのだ。

自動車にて一路戦線へ、戦線へと進む。
途中の戦跡、戦傷者の輸送。
各隊のものものしい警備。

顔、みな悲壮な決心がうかがわれた。

 

無事午後1時30分、赤柴部隊本部へ到着する。

ああ戦場の柳の木、しょうようは散り倒れ、穴も各所に見受けられ、時々は、敵の不発の手のやつが空をじっとにらんでいる。

実に物騒なところだ。

流弾が地上をかすめる。
兵は皆、鉄帽をかぶり家の内や、穴の中に潜り込んでいる。

いよいよ、第一戦だなあ、でも


赤柴隊長殿の英姿をあおぎてわれ等も元気をだす。 


言葉をいただき我等衛生兵10名はそれぞれ各隊へ配属される。

 

 

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