しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「天空の城」に登る 信貴山城

2021年12月03日 | 「天空の城」に登る
信貴山城
場所・奈良県生駒郡平群町信貴山


朝護孫子寺の観光ついでに、
「 平蜘蛛茶釜( ひらぐもちゃがま ) 」を割って死んだ、松永弾正の城跡に行ってみた。








お城への道は、朝護孫子寺の参詣道で、迷うことなく、ひたすら登ればいい。






松永弾正久秀は、
主家滅ぼし・将軍暗殺・大仏殿焼討で世に知られている。





「奈良県の歴史」 永島福太郎   山川出版社  昭和46年発行

天正5年、多門山城がこわされ、これをきずいた松永久秀が信貴山城で反乱した。
信長から反乱をしむけられたといってよい。
信長の嫡子信忠が総大将となり、大軍が大和に下向した。
10月6日、薬師寺を本陣とした信忠は奈良を見物し、
興福寺では東大寺の行者法師に五重塔九輪の龍宝龍精にのぼる軽業をさせ、
猿沢池の魚見物をしている。
すでに久秀の敗軍は決定的なもので、大軍の下向は示威のためだったのがわかる。
かくて久秀父子は11日朝まだきに城に火を放って自刃した。

大和の近代化に一役をになった久秀だが、郷村や社寺を手当たりしだいに焼いた積悪は非難されるべきものであった。
大和には久秀のために焼かれたと記す社寺縁起譚が多い。






秀久が自刃後、城は廃城となったが、現在も城跡からの眺望は素晴らしいものだった。


撮影日・2021年12月1日



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