mokoangelの青島日記

夫との7年間の中国留学を終え7月に帰国しました
これからの日本での生活を模索中です

西安②~「兵馬俑」

2009-10-09 22:38:43 | Weblog

バスは一路「兵馬俑博物館」へと思っていましたら、案の定、“玉(ぎょく)”の製造販売所に案内されました。

中国の玉彫は中国最古の彫刻のひとつで、新石器時代の晩期にはすでに玉制の工具が使われていました。昔から玉石は珍宝とされ、古代中国で玉は高級品のしるしであり君子の象徴でした。
玉とは良質の石の事で、白玉・黄玉・碧玉・ヒスイ・メノウ・等等種類も豊富です。
中国の玉彫は世界でも高い評価を得ている、魅力的な伝統手工芸品の一つです。


前途洋々のT君、豪華な玉彫の船の前で記念写真を。 お値段は?


1時間以上も玉工場で時間をつぶし、やっと「兵馬俑博物館」に到着。はやる心を抑えて、レストランで昼食をとります。



この2品とスープがきました。
私はあまり食欲が無かったので二人に任せましたが、食べてみるととても美味しいのです。
思わず箸が進んでしまいました。



食事が終わって、やっとガイドさんに入場券を渡されました。





「兵馬俑」は中国・西安市より東へ35キロメートル、驪山(りざん)の北に秦始皇帝陵がある。この陵墓より更に東へ1.5キロメートルの所で1974年、集団農場の井戸掘削りで偶然発見された。世界の考古学史上、20世紀最大の発見とされています。その発掘数は八千数百体にものぼり、世界の考古学者達をおおいに驚かせました。
傭の軍隊
(拝借写真) 兵馬俑の中で一番有名な1号坑のものです。
私たちが撮影したものは、ピンボケばかりですので、1枚だけPCから拝借しました。
後はピンボケですが、お許し下さい。

1号坑は東西に伸びる長方形で長さ230㍍幅62㍍深さ5㍍総面積は1万4260平方㍍、3つの俑坑の中で最大である。
1号坑では陶俑、陶馬あわせて約6,000体が発掘された。

この日だけではないと思いますが、本当に沢山の人でゆっくり見ることもできません。 しかし、私は小さな体が幸いして、しっかり隙間に潜り込みました。
一人ひとりの顔をじっくり見たかったのです。  説明によると、一体も同じ顔のものは無いと言います。
じっと見ていると、降りて行ってお話してみたいような気がしてきました。


2号坑の軍陣は1号坑の東端北側で1号坑との距離は20メートルで、発掘調査から戦車の引き馬350余頭、騎兵用に馬100余頭、その他各種武士俑が900余、合計1300件の陶俑、木製戦車89台で、これらは歩兵、騎馬兵、軽車等で混編された一種の曲形陣である。

3号坑は【凹】字型をしていて発掘された三つの兵馬俑坑の中で一番小さい。兵俑66体、馬俑4体、戦車1台と兵馬俑の数も少ないが三つの兵馬俑坑の中で一番重要な役目をしていた。それはこの3号坑が全軍の指揮の中枢である軍幕(司令部)であった為だ。

2号坑、3号坑は1号坑のようにきちんとしておらず、まだ発掘の途中です。
そしてとても深いところにあるので、思わず「お~い!」と呼びかけたくなりました。
未だ復元されてないままに、置かれてあるものも多く胸が痛みます。
「早く頭を探して、つけてあげて下さい!」

銅車馬 兵馬俑博物館には兵馬俑の他にもう一つ世界に誇る宝物が展示されている。それは銅車馬である。銅車馬は秦始皇帝陵墓よりわずか西へ20㍍の所で発掘された。銅車馬は秦始皇帝が巡行するさいに使用された車馬(馬車と馬)を銅で製作したものです。
       
この大きな兵俑はオリンピックを記念して作られたものだそうです。
銅車馬の展示されてある館のロビーに置かれて?(吊るされて)ありました。
中国は本当に“大きいもの”が好きです。


1号坑館の出口近くの売店に、「あのおじさん」がいました。
「兵馬俑」の写真集を買った人の本にサインをしているのです。
ここで又、「どうして、このおじさんだけなの!?」 こんなことが気になる私は変なのでしょうか?
夫は中国にしてはとても高い150元を払って、サイン入りの本を手に入れました。


見学を終わって・・・・・。
ここに来て見るまでは、「凄い歴史的大発見!」というだけの認識でしたが、歴史的背景や秦の始皇帝の圧制を映像で見たり、パネルの説明を読んだりしていると不思議な矛盾を感じました。
「万里の長城」や「兵馬俑」に、現代の私たちが感動している陰には、当時の人々の苦しみがあったのです。 自分達が凄い物を作っているのだという気持などは無かったように思えます。 その途中で命を失った人も沢山いるのだとか・・・。
どういう過程でできた物にせよ、今、当時を偲べるものがあることはありがたいことです。 私たちに出来る事は、昔の人々が苦労して作り上げ、残されたものをできるだけ大切に保存していく事ではないでしょうか。 感謝の心を忘れずに・・・。


嬉しい出来事・・・・・!

あら!この男の子は? お気づきでしょうか。
昨日の夕食の時、合席になった男の子です。

「兵馬俑」に着いて、直ぐに向こうからニコニコしながら近づいてくる男の子が居ます。
「見たような子だな? 何処で会ったっけ?」考えているうちに、目の前で止まりました。 「あっ、昨日の子だ!」 『偶然ね、あなた達も来ていたの?』 
『再見!』・・・ 「しまった! 名前と住所を聞いておけばよかった!」  

ところが、偶然が何度も重なれば、もう偶然ではなくなります。
しばっらく見学して、疲れたのでベンチで一休みしていると、また、にこやかな顔が現れました。  『あっ、よかった! お名前と住所を教えて下さい。 私たち近々海南に旅行したいと思っているのですよ。 また、会えると良いですね!』 食事をしながら海南から旅行にきているとだけ聞いていました。
お母さんが住所と名前と電話番号を書いたメモを渡してくれました。


「待ってて下さいね! きっと会いに行きますから・・・。」
私はこのにこやかな顔がどのように成長していくのか、見ていきたい思いがしています。




 


西安②~観光ツアー「西安市臨潼博物館」

2009-10-09 21:37:55 | Weblog

西安は秦、漢、隋、唐など13の王朝が、1100年に渡って都をおいた古都長安です。かつてはシルクロードの出発点であり、唐代では東西の人や物が行き交う、世界最大の国際都市でした。今でも市街地は城壁で囲まれ、古都の赴きを強く残しています。また、日本とのかかわりも深く、遣隋使、遣唐使を受け入れ、現在も京都市と奈良市とで友好都市の関係にあります。世界遺産の兵馬俑をはじめ、観光の宝庫であり、内外から多くの観光客が訪れています。

夫がホテルでチェックインの手続きをしている時、市内観光の募集を見つけて、
1日「西安東部観光コース」を申し込んでありました。 一人330元。

コースは
[西安市臨潼博物館→驪山→華清池→玉工場→(昼食)兵馬傭]です


チェックインした時は、もう薄暗くなっていたのでよく分かりませんでしたが、安い城壁外のホテルにしては立派です。

早朝から「新聞売り」や「物売り」の人が働いています。
出発前の車内にも、新聞売りのおじさんが乗り込んできて、ガイドさんに速く降りなさいと、急かされていました。

入場料はツアー代金に含まれているのでフリーパスで。
此処って何? 以前、イギリスのエリザベス女王も訪れた事があると分かって、「へぇ、そういう所?」と、この位中国は観光客に不親切なのです。
日本の「至れり尽くせり」に慣れすぎているのですね!

でも、何だかまだ何だか分からない所です。

とても素敵な屋根の建物をみつけました!

市の博物館ですから、やはり「兵馬俑」が・・・。

兵馬俑のものなのかなぁ?

他にも沢山の展示物がありました。


時間もきて、急いで出ようとする所に一人のおじいさんがひっそりと座っていました。
黙って「兵馬俑」の絵葉書を差し出します。 
そこにはサイン入りのおじいさんの写真が・・・、「えっ!この人があの人!?」 慌てて30元を差し出し、絵葉書を2冊買いました。 
「あの人」では分かりませんね。 「兵馬俑」は偶然、井戸を掘っていた農民によって発見されたのです。 後で分かったのですが、発見者は一人ではなく何人も居たそうです。 このおじいさんもその内の一人だったのでしょうね。

でも、何故一人だけ有名になったのでしょう!? 


この後、ロープウエーで「驪山」に登るはずでしたが、国の要人が来たとかで閉鎖され、登る事ができなくなりました。
これも、中国ならではの突然の出来事です。


因みに、ロープウエーは 「索道 suodao(スオダオ)」といいます。






西安①~T君との再会

2009-10-09 21:36:04 | Weblog

今年は「国慶節」「中秋節」「中国建国60周年記念」が重なり、旅行客が例年よりぐっと増えたらしく、西安への飛行機のチケットが午後の便しか手に入らず、14:00の便に・・・。 

飛行場の遠くに止まっている飛行機までバスで運ばれました。
14:00離陸のはずが14:40に離陸です。


約1時間30分で、西安の「咸阳空港」に着陸。
西安市内から1時間くらい離れているので、何も無い静かな場所です。

早速、T君に到着の連絡を。 ホテルで待ち合わせの約束をしました。

西安に向うリムジンバスの車内で、配られた西安の地図を広げて見る。

バスを降りて、早速迷子に・・・・。
ホテルに電話をして、タクシーを拾おうとするが、なかなか掴まらない。
それではと、歩いてゆく事に・・・。
道路のあちこちでこのような売り場を見かけました。
後でT君に聞くと、日本の宝くじのようなものらしいです。

暫く歩いた後、夫も不安になったのかT君に電話をして待ち合わせ場所を変更して貰う事にしました。
都合よく、目印となるこの碑の前に居ましたので、此処でT君の到着を待つことにしました。

碑の側にはデパートがありました。
赤い服を着た格好の良い男の人が、微動だにせずに立っています。
客引きでもなく、警備員でもなさそうなのですが・・・。

T君が来るまで、周辺をウォチングすることにしました。


他にも大きなデパートやお店があるにも拘らず、このような小さな物売りや、食べ物の屋台が並んでいます。 

そんな客を目当てに、此処でもバイクタクシーが待機しています。

このワゴンはベルトだけが入っています。
これが中国の不思議なのですが、ベルトだけでどれ位の稼ぎになるのかしら!?


西安の街の第一印象は、「凄い!!!!!」
また、後にも書きますが、今までに行ったどの街よりも中国の歴史の重さを感じさせてくれる街です。
しかし、残念な事に内陸で乾燥しているせいで、木々の葉が埃で薄汚れていました。

これは中国の大都市は何処も同じようですが、広い道をバス、タクシー、自動車、バイクが、洪水のように流れています。
ここは不思議にタクシーがみな新しいのです。 他所で見かけるような古いタクシーは西安を去るまで1台も見かけませんでした。 しかも初乗り6元(78円くらい)です。

到着したT君と挨拶もそこそこに、とりあえずホテルにチェックインする事にしました。
沢山のタクシーが走っているにもかかわらず、停まってくれる車は1台もありません。
仕方なく歩いていく事に・・・。

チェックインして外に出ると、もう薄暗くなっていました。
先ずは夕食を、T君に「西安名物」のお店に案内して貰いました。


店内は満席です。 これは期待が持てます!
メニューには沢山の食べ物が載っていますが、どれが名物なのか・・・?
夫とT君に任せて待つことにしました。
 
これ何!?  1番人気だと運ばれてきたものは・・・???
どんな味がするものかと、少しかじってみましたが、何の味もしません。
T君が他の注文で席に居なかったので、合席になった彼らが詳しく教えてくれました。

先ずは、煎餅のような餅のようなものを出来るだけ細かく千切ります。
それを係員に渡して、待つのだそうです。


出来上がりです。 持ってこられたものにはスープがかけられ、肉と春雨、香菜が乗せられていました。 お味は? 『名物には美味い物??』でした。
でも、どのテーブルでも、面白いように一生懸命に千切っているのです。


彼はもう1組の合席。 お母さんと二人連れで海南から観光に来ている12歳の少年です。目が合うとニコッと笑ってくれましたので、嬉しくなって「写真撮ってもいいですか?」  彼とは翌日、嬉しい続きがありました。

最後は店頭に置かれてある、記念写真のスポットでパチリ!
食後は暫く夜の西安の街を散策する事にしました。






西安の街の建物はみなライトアップされてとても綺麗でした。
私は、夜で小雨が降り出したこともあり、どれが何と言う建物なのか分からず、「綺麗!きれい!」で、この夜は終わりでした。



T君は大学のスピーチコンテストで優勝し、学校の代表として本選に出場するそうです。  西安は「カシオ杯」で賞金は3000元、副賞は1週間の日本旅行だとかで、T君はとても張り切っていました。

「では・・・」と、去年「キャノン杯」の指導の経験のある私たちが、指導をかってでました。
もうすっかり原稿は出来上がっていましたので、話し方のチェックを。
T君は中国人が話す日本語にしては癖が無く、とても上手に話します。
後は感情の入れ方しだい・・・という事に。


18日が本選だそうです。  良い結果が出ますようにお祈りしています