西安は秦、漢、隋、唐など13の王朝が、1100年に渡って都をおいた古都長安です。かつてはシルクロードの出発点であり、唐代では東西の人や物が行き交う、世界最大の国際都市でした。今でも市街地は城壁で囲まれ、古都の赴きを強く残しています。また、日本とのかかわりも深く、遣隋使、遣唐使を受け入れ、現在も京都市と奈良市とで友好都市の関係にあります。世界遺産の兵馬俑をはじめ、観光の宝庫であり、内外から多くの観光客が訪れています。
夫がホテルでチェックインの手続きをしている時、市内観光の募集を見つけて、
1日「西安東部観光コース」を申し込んでありました。 一人330元。
コースは[西安市臨潼博物館→驪山→華清池→玉工場→(昼食)兵馬傭]です
チェックインした時は、もう薄暗くなっていたのでよく分かりませんでしたが、安い城壁外のホテルにしては立派です。
早朝から「新聞売り」や「物売り」の人が働いています。
出発前の車内にも、新聞売りのおじさんが乗り込んできて、ガイドさんに速く降りなさいと、急かされていました。
入場料はツアー代金に含まれているのでフリーパスで。
此処って何? 以前、イギリスのエリザベス女王も訪れた事があると分かって、「へぇ、そういう所?」と、この位中国は観光客に不親切なのです。
日本の「至れり尽くせり」に慣れすぎているのですね!
でも、何だかまだ何だか分からない所です。
とても素敵な屋根の建物をみつけました!
市の博物館ですから、やはり「兵馬俑」が・・・。
兵馬俑のものなのかなぁ?
他にも沢山の展示物がありました。
時間もきて、急いで出ようとする所に一人のおじいさんがひっそりと座っていました。
黙って「兵馬俑」の絵葉書を差し出します。
そこにはサイン入りのおじいさんの写真が・・・、「えっ!この人があの人!?」 慌てて30元を差し出し、絵葉書を2冊買いました。
「あの人」では分かりませんね。 「兵馬俑」は偶然、井戸を掘っていた農民によって発見されたのです。 後で分かったのですが、発見者は一人ではなく何人も居たそうです。 このおじいさんもその内の一人だったのでしょうね。
でも、何故一人だけ有名になったのでしょう!?
この後、ロープウエーで「驪山」に登るはずでしたが、国の要人が来たとかで閉鎖され、登る事ができなくなりました。
これも、中国ならではの突然の出来事です。
因みに、ロープウエーは 「索道 suodao(スオダオ)」といいます。
今年は「国慶節」「中秋節」「中国建国60周年記念」が重なり、旅行客が例年よりぐっと増えたらしく、西安への飛行機のチケットが午後の便しか手に入らず、14:00の便に・・・。
飛行場の遠くに止まっている飛行機までバスで運ばれました。
14:00離陸のはずが14:40に離陸です。
約1時間30分で、西安の「咸阳空港」に着陸。
西安市内から1時間くらい離れているので、何も無い静かな場所です。
早速、T君に到着の連絡を。 ホテルで待ち合わせの約束をしました。
西安に向うリムジンバスの車内で、配られた西安の地図を広げて見る。
バスを降りて、早速迷子に・・・・。
ホテルに電話をして、タクシーを拾おうとするが、なかなか掴まらない。
それではと、歩いてゆく事に・・・。
道路のあちこちでこのような売り場を見かけました。
後でT君に聞くと、日本の宝くじのようなものらしいです。
暫く歩いた後、夫も不安になったのかT君に電話をして待ち合わせ場所を変更して貰う事にしました。
都合よく、目印となるこの碑の前に居ましたので、此処でT君の到着を待つことにしました。
碑の側にはデパートがありました。
赤い服を着た格好の良い男の人が、微動だにせずに立っています。
客引きでもなく、警備員でもなさそうなのですが・・・。
T君が来るまで、周辺をウォチングすることにしました。
他にも大きなデパートやお店があるにも拘らず、このような小さな物売りや、食べ物の屋台が並んでいます。
そんな客を目当てに、此処でもバイクタクシーが待機しています。
このワゴンはベルトだけが入っています。
これが中国の不思議なのですが、ベルトだけでどれ位の稼ぎになるのかしら!?
西安の街の第一印象は、「凄い!!!!!」
また、後にも書きますが、今までに行ったどの街よりも中国の歴史の重さを感じさせてくれる街です。
しかし、残念な事に内陸で乾燥しているせいで、木々の葉が埃で薄汚れていました。
これは中国の大都市は何処も同じようですが、広い道をバス、タクシー、自動車、バイクが、洪水のように流れています。
ここは不思議にタクシーがみな新しいのです。 他所で見かけるような古いタクシーは西安を去るまで1台も見かけませんでした。 しかも初乗り6元(78円くらい)です。
到着したT君と挨拶もそこそこに、とりあえずホテルにチェックインする事にしました。
沢山のタクシーが走っているにもかかわらず、停まってくれる車は1台もありません。
仕方なく歩いていく事に・・・。
チェックインして外に出ると、もう薄暗くなっていました。
先ずは夕食を、T君に「西安名物」のお店に案内して貰いました。
店内は満席です。 これは期待が持てます!
メニューには沢山の食べ物が載っていますが、どれが名物なのか・・・?
夫とT君に任せて待つことにしました。
これ何!? 1番人気だと運ばれてきたものは・・・???
どんな味がするものかと、少しかじってみましたが、何の味もしません。
T君が他の注文で席に居なかったので、合席になった彼らが詳しく教えてくれました。
先ずは、煎餅のような餅のようなものを出来るだけ細かく千切ります。
それを係員に渡して、待つのだそうです。
出来上がりです。 持ってこられたものにはスープがかけられ、肉と春雨、香菜が乗せられていました。 お味は? 『名物には美味い物??』でした。
でも、どのテーブルでも、面白いように一生懸命に千切っているのです。
彼はもう1組の合席。 お母さんと二人連れで海南から観光に来ている12歳の少年です。目が合うとニコッと笑ってくれましたので、嬉しくなって「写真撮ってもいいですか?」 彼とは翌日、嬉しい続きがありました。
最後は店頭に置かれてある、記念写真のスポットでパチリ!
食後は暫く夜の西安の街を散策する事にしました。
西安の街の建物はみなライトアップされてとても綺麗でした。
私は、夜で小雨が降り出したこともあり、どれが何と言う建物なのか分からず、「綺麗!きれい!」で、この夜は終わりでした。
T君は大学のスピーチコンテストで優勝し、学校の代表として本選に出場するそうです。 西安は「カシオ杯」で賞金は3000元、副賞は1週間の日本旅行だとかで、T君はとても張り切っていました。
「では・・・」と、去年「キャノン杯」の指導の経験のある私たちが、指導をかってでました。
もうすっかり原稿は出来上がっていましたので、話し方のチェックを。
T君は中国人が話す日本語にしては癖が無く、とても上手に話します。
後は感情の入れ方しだい・・・という事に。
18日が本選だそうです。 良い結果が出ますようにお祈りしています
「国慶節休暇」も、気が付けば5日目。
旅行に出かける前に、今までの復習をとの思いも計画倒れ!? なかなか思うように進みません。
昨日もあまり気が乗らぬまま、夫に勧められDVDを観始めたのはよいのですが、途中で止められず、1日中観てしまいました。
『風のカーテン』という、緒方拳さんの遺作になった作品らしいです。
「すい臓癌を煩った中年医師が故郷に帰り、断絶していた家族との絆を修復し、来世に旅立っていく」という内容でしたが、とても感慨深いものがありました。今日は、忙しくてフーシャンを中断している4年生のEさんが久し振りに我が家を訪れてくれました。
私の手料理が食べたいというので、腕を振るう事に・・・!
しかし、明日から旅行で買い物にも行っていないし・・・、冷蔵庫の中を見て、あるもので何か作る事にしました。
メニュー
1;鶏のガーリックソテー
2;キンピラ(牛蒡、人参、魚肉ソーセージ、桜海老)
3;茄子と羊肉の煮物(干し椎茸、木耳、人参、長ネギ)
4;サラダ(トマト、胡瓜、生菜、ゆで卵、鴨ハム)
5;味噌汁(豆腐、玉葱、青葱)
6;枝豆の塩茹で
7;フルーツ(葡萄、李桃)
冷蔵庫に残ったものと、少しの貯蔵品で作ったにしては、まあまあだったかな
前回の食事の時、私の作ったキンピラを「初めて食べた!美味しい!」と喜んでくれたEさん。
今回、野菜室に牛蒡が少し残っていたのはラッキーでした。
テーブル上の“ゴマドレ”“ソース”“マヨネーズ”は日本から運んできたものです。
こちらで買うと、日本の3~5倍の値段です。
因みに、中国では牛蒡はマイナーな野菜です。
いつも寄る、果物屋のおじさんが買い物袋の中の牛蒡を見て、「それは何ですか?」と、聞くのですよ。
そういえば、中華料理に牛蒡を使っているのは見かけたことはありませんね。
今度ご紹介しますが、中国の牛蒡はとても太くて長いのです。
お値段も普通の野菜に比べて少し高いようです。
食後は、卒業後は他の大学の大学院で日本語を学びたいというEさんの受験勉強のお手伝いをしました。
今の日本の若者はこんな言葉は使わないでしょう!という言葉ばかり。
本当に、大変ね、頑張ってね!
気が付けばもう夕方、「今度は合格祝いの食事会ね!」
旅行から帰って、「日本語検定1級」を合格したもう一人のフーシャンKさんと4人で食事をする約束をして別れました。
私の旅行荷物の中には、旅行中に暗記する構文や単語のカードがしっかり詰められました。
休暇空けに、テストがあるものですから・・・・・・・
(気は心です)
9月29日に大学の運動会がおこなわれました。
私は今まで1度も参加したことは無かったのですが、担任の老師が「開会式だけで後は帰っていいから」と言われるので、意味も分からぬまま(後で分かるのですが・・・)参加することにしました。
7時に校舎の前に集合し、背中に遼寧師範大学 国際教育学院と、染め抜いたTシャツを渡され、上に羽織りました。
待つこと1時間、やっと動き出した行列は私たちの学院のある「北院」の競技場ではなく、「南院」に向って進んで行きました。
行列の先頭。行事の時はいつも駆出される中国服の美女。
大きな花輪持参です。
行列の中の楽しげな様子の我が夫です。
この大学は2万人以上もの学生を擁するマンモス大学です。
初めは「南院」だけだったらしいのですが、大きくなるにつれ「黄河路」という大きな道路を挟んだ反対側に「北院」が出来たらしいです。
私たちが競技場に着くと、思いがけず大きな拍手で迎えられました。
そこには、もう沢山の学生達が揃っており、準備は整っているようでした。
美女達のご苦労は此処に飾られていました。 中国ではこのように如何なる時でも「面子(ミエンズ)」を大切にします。
私たちは拍手の中を、渡されていた小旗を振りながら行進していきます。
「ねぇ、これってオリンピックの行進みたいじゃない!」
何だか、うきうきしてきました。
我がクラスの人気者、ロシア人のMさん。
日本人には無い乗りで、大はしゃぎです。
夫のクラスメイト?
前学期のクラスメートEさん。 彼と一緒に楽しそう!
行列の中に、先日アップできなかった「ティンリー(ヒヤリング)」の盖老師(男性)を見つけ、パチリ! 老師もとても楽しそうです。
全員が揃うと、国旗掲揚です。
私はオリンピックを真似て、中国の国旗が上がるのを見ながら胸に手を当てました。
学長さん?の挨拶も終わり、諸注意があった後開会式は終わりです。
応援体制も整い、これから楽しい運動会が始まります。
私たちは本当に「開会式」のみで、学院に帰ってきました。
参加する気のなかった私も少しがっかり?した気分です。
話をつなぎ合わせると、「春季」は学院の運動会で各種競技に参加し、「秋季」は大学の運動会の「開会式」にだけ参加するようです。
大学も参加するのは1年生だけで、2~4年生は既に「国慶節休暇」で、郷里に帰省しているらしいです。
2万人以上の学生が一堂に会する事は難しいのでしょう。
7時に始まった私たちの運動会は9時の帰宅で終わりました。
来年の「春季運動会」参加してみようかな
余談ですが、1年生は入学すると2週間、迷彩服を着て「武器なし軍事訓練」を受けます。
これは此処だけでなく、中国の大学は何処でも行われていることのようです。
開会式の彼らの様子を見ただけでも、その訓練の効果はとても大きいように感じます。
日本でも取り入れたらどうでしょうか!?