里の家ファーム

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年のはじめに考える 贈り物でなく預かり物 

2024年01月02日 | 自然・農業・環境問題

わたしの『資本論』研究②

「社会主義」「共産主義

 

 マルクスは資本主義の後に来る社会を「共産主義社会」と言い、その初期的段階を「社会主義社会」と呼んだ。しかしマルクス・エンゲルス以降、「社会主義」・「共産主義」を規定するものは何なのかがあやふやになっている。いま、もっとも一般的に採用されてきたのがマルクスの『ゴータ綱領批判』に書かれた「労働におうじて受け取る社会」、「必要におうじて受け取る社会」という規定である。この文章は一見「分配」を論じているように見える。しかしこの文書は「分配論」ではなく、「生産関係」を表すものとしてとらえなければならない。

 マルクスは『資本論』において「剰余労働が直接生産者から、労働者から取り上げる形態だけが、いろいろな経済的社会を、区分する」と述べている。

つまり、経済的社会区分は、剰余労働の形態によるということである。

 その視点から考えると「社会主義社会」とは剰余労働を「社会」が取得する社会である。一握りの資本家から一般大衆の大多数による社会的「取得」である。

 そしてさらに労働時間の短縮が進むと剰余労働は消滅する。これが高度な段階の共産主義社会である。

 「経済的社会区分は、剰余労働の形態によ」って考察されなければならないということであり、「分配」による「区分」を否定している。つまり、『ゴータ綱領批判』で述べられた一見分配論らしき記述は、それぞれの生産基盤を明らかにした、極めて重要なフレーズなのだ。

 結論-「社会主義社会」とは、剰余労働を社会的に取得社会である。

    「共産主義社会」の高度な段階とは、剰余労働が消滅した社会である。


 「東京新聞」社説 2024年1月1日 

 2024年が明けました。今、地球上にいる人で、100年後、つまりは2124年の地球をその目で見られる人というのは、ほんの一握りでしょう。でも、それ以外の人も何となくこうは思っている。100年後も自分たちの子孫は基本的には今の自分たちと同じように暮らしているだろう、と。当然ですね。もし、そういう漠然とした認識がなかったら、今を生きているということが、途端に覚束(おぼつか)なくなる気がします。

◆享受は今、支払いは未来

 しかし、では地球が100年後も今と同じような地球でいられるかとなると、正直、疑問符がちらつきます。人類がこの惑星の異変に気づき始めたのは20世紀後半。以降、気候や生態系など環境に関するデータ、研究が積み重ねられて危機は次第に輪郭をはっきりさせてきました。それに対応する代表的な条約が、国連生物多様性条約や国連気候変動枠組み条約であり、30年ほど前の発効後、何度も何度も締約国会議(COP)を開いて対策を議論してきました。

 もっとも、それだけの時間をかけ、それだけの会議を重ねてもなお、人類は、例えば、地球温暖化に歯止めをかけるところまでいっていない。すべてそのせいだとは言えないにしても、尋常でない高温や低温、洪水や干ばつ、山火事の多発など、「地球異変」を印象づける事象が世界中で相次いでいるのにもかかわらず、です。

 <地球は先祖からの贈り物ではない。子孫からの預かり物だ>とは、アメリカ先住民の言い伝えだとか。何とも耳に痛い言葉です。本来は<預かり物>なのに、まるで貰(もら)った物のように雑に扱ってきた結果の異変顕現。できるだけ預かった時の状態で子孫に手渡すのが筋ですが、今のままでは、そうできるか、かなりあやしい。

 「今」の世代が欲望を満たし、便利さを享受するために、病んだ地球を押しつけられることになるのは「未来」の世代で、「今」の世代がコストを最小化、利益を最大化できる代わりに、「未来」の世代が損害や賠償に苦しむ-。子孫の視点に立って考えるなら、こんな理不尽な話はありません。

◆「政治屋」か「政治家」か

 さて今、自民党は派閥パーティー券の売り上げにからむ裏金問題で大揺れです。司直の手も入り、捜査が進みますが、裏金の使途の一つは次の選挙に向けた資金だったと考えられています。思い出したのは、米国の有名な警句。

 <政治屋(ポリティシャン)は次の選挙を考え、政治家(ステーツマン)は次の世代を考える>

 岸田政権もガタガタ、その行く末さえ不透明ですが、裏金問題発覚前に首相が表明した「減税」にも<次の選挙>の臭いがします。

 税収増の還元といっても、財務相が「(増収分は)もう使ってしまった」と言う以上、原資は借金するしかない理屈。でも、既に国債発行残高1千兆円超、主要7カ国でも断トツ最悪の財政状態にあるのが日本です。この状況で減税を言い出すのですから、もう有権者の歓心を買おうとする策、とでも考えるほかないでしょう。

 まあ、そういう傾向は現政権だけの話ではありませんね。<次の選挙>を意識して、有権者受けを狙う派手な予算編成を優先し、簡単に借金頼み。掛け声だけで一向に本気で財政健全化に取り組もうとしない姿勢は、代々の自民党政権に共通しています。こう言っては言い過ぎでしょうか。もし、こんなに<政治屋>だらけでなかったら、ここまで借金も膨らまなかっただろう、と。

 <政治家>であれば、国もまた<次の世代>、子孫からの<預かり物>だと考えるはず。身勝手な理屈で借金まみれにした国を、素知らぬ顔で将来世代に手渡すようなことはできないでしょう。

 連想したのは、こんな掌編。

 -ある村に突如、出現した穴。ある男が「おーい、でてこーい」と叫んだが声は吸い込まれるばかりで、石ころを投げても反響音もしない。どうも底なしのようだ、となって、やっかいなものが次々そこに捨てられるようになる。原子炉のカス、都会のゴミ、機密書類、身元不明死体…(星新一『おーい でてこーい』)。

◆穴に捨てたゴミの行方

 未来は目に見えず、茫洋(ぼうよう)としています。だからこそ、地球環境のことにせよ国の借金にせよ、やっかいごとは未来に押しつけてしまえ、となりがちなのかもしれません。まるで、底が見えないからと何でもかんでも放り込まれた、この掌編の<穴>みたいに。

 でも、実は、<穴>に捨てたからってゴミやら何やらが消えてなくなったわけではなかった、というのが、このお話の結末。未来の世代につけを回す問題だって同じです。子孫が生きる未来をゴミだらけにしたくはありません。


この度の地震により被害を受けた皆様にお見舞いを申し上げます。
また現時点で50人近くの死亡が確認されました。
お悔やみ申し上げます。

火災が報じられ、みるみる広がってゆくのが確認されました。
暗闇の中でむやみに消防車両も出動できないであろうし、消火栓などのインフラも使えるかどうかわかりません。
しかし、黙って火の広がるようすを見ているのもつらいものです。
こういう時に山林火災に使うようなヘリによる消火などができないものかと考えてしまいます。
これからも、このような災害は発生するでしょう。
火災に対する対策が必要と思われます。
そして、厄介な原子力発電所、こんなものを置いておくとより被害が大きくなるのは目に見えています。

若者は声を上げてほしい。
われわれの地球を壊すなと。