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「沖縄が受けてきた仕打ちを知ること」望月衣塑子記者が感じる“偏向”への怒り

2021年03月23日 | 社会・経済

AERAdot 2021.3.23

「元々、普天間基地は田んぼの中にあった。周りにはなにもない。そこに商売になるということで人が住みだした」。百田尚樹氏がネット上に広がる虚偽の言説を事実のごとく発信し、「沖縄の新聞はつぶさなあかん」と述べたのは、2015年6月25日、自民党の学習会でのことだ。

『沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか』の著者であり、ジャーナリストの安田浩一氏は「誇張、デマ、ときには、妄想をも動員する『ネトウヨの作法』そのものだ」と痛烈に批判する。

「琉球新報」「沖縄タイムス」の2紙が公権力の横暴を検証してきたのはなぜか。意見を封殺され、虐げられ、尊厳を傷つけられた「民の声」を聞き、報じる責務があると自任しているからだ。記者一人ひとりの思いと、2紙のこれまでの報道を知れば、彼らに憎悪と差別意識を込めて「偏向」というレッテルを貼ることこそ、ひどい偏向だとわかるだろう。著名人の口から侮蔑の言葉が平然と発せられるようになった背景を探るため、安田氏は地元記者たちの姿を丹念に追う。一方で、差別発言をする相手にも切り込み、緻密な取材を重ねた。

 安倍晋三政権の7年8カ月の間、官房長官として政権を支えた菅義偉首相は、2014年9月から沖縄基地負担軽減担当相を兼務し、基地問題や振興政策を一手に担ってきた。その間、県民が重ねて示してきた民意を徹底して無視し、権力を使った陰湿な「いじめ」を繰り返してきた。こうした政府の無理解と差別は、本土と沖縄との対立だけでなく、県内の分断も生んできた。

 もっとも罪作りなのは、「あいつらには何をいってもいい」「沖縄はわがままだ」という不穏で非民主的な空気を醸成したことだろう。そして「辺野古が唯一の解決策」と何度も強弁してきた“首謀者”が総理大臣の座にいる。政策能力と政権基盤の弱さから、菅氏は今後もこうした強硬策しかとれない。

 例えば、2020年10月、政府が日本学術会議から推薦された新会員候補のうち、6人を任命拒否したことが「しんぶん赤旗」の報道で明らかになったが、政府は拒否の理由を「総合的・俯瞰的」としか説明せず、日本学術会議の抗議も無視し、任命拒否の方針を取り下げようとしない。各団体からの反対意見や異論を黙殺している。

そして、気持ちの悪い動きが出てくる。「お上」の意向を上目遣いで窺っていた一部の「知識人」やマスコミが、学者6人や日本学術会議への中傷やデマを発信し、SNSを通じて広がっていった。「学術会議のほうにも問題があるのではないか?」「どっちもどっちでは?」「6人の思想は偏っていたから当然だ」――。そんな世論誘導を狙っているのだろう。

「どっちもどっち」と説教してくる人が厄介なのは、グロテスクな異論をわざわざ持ち出して、足して二で割ってバランスを取ろうとする点だ。学術会議の問題の根本は、過去に国会答弁で示した政府の方針(=首相は推薦された人を形式的に任命する)を一方的に変えたうえ、具体的な理由を示さずに6人を任命拒否したことであり、手続き的にも法的にも疑義がでている。ところが、自民党も政府も「学術会議のあり方」という別の問題にすり替え、その動きに、ネット上で発言力のある著名人が後押しする。

 この構図は、これまで沖縄に対して政府がしてきたこととそっくりだ。「学術会議」「6人」を、「沖縄の新聞」に置き換えてみるとよくわかる。菅政権は沖縄や学術団体だけでなく、同様のことをさらに他の分野でも広げていくだろう。こうして、思想・良心や表現、集会・結社、職業選択など、憲法が保障する様々な自由権がゆっくりと侵害されていく。次は自分たちかもしれない。それに備えるには、沖縄が受けてきた仕打ちを知っておくことが早道だ。

 安倍政権下において、沖縄がどのような扱いを受けてきたか振り返ってみたい。13年3月に辺野古沿岸部の埋め立てを県に申請。反対派の仲井眞弘多知事に対し、21年度まで毎年3千億円台の沖縄関係予算や、普天間飛行場の5年以内の運用停止を示し、埋め立ての承認を取り付けた。また、14年11月の知事選で菅氏は、那覇空港の第2滑走路建設の前倒しや米軍北部訓練場の返還なども持ち出した。こうしたわかりやすい「アメ」を県民はどう感じたか。取材で知り合った県民の声を聞く限り、屈辱と感じた人は多い

「ごねて利益をもらう」ために声を上げているのではないからだ。県民は仲井眞氏ではなく、辺野古移設反対派の翁長雄志氏を選んだ。

 当選後、官邸は翁長知事からの会談の求めを一切、無視した。「こんな子どもっぽい嫌がらせを知事にもするのか」と驚いたので、今でもよく覚えている。ようやく、那覇市内のホテルで会談が実現したのは15年4月のことだ。結局、この会談でも菅氏は、普天間飛行場の危険性の除去を重要課題に挙げ、「辺野古移設を断念することは普天間の固定化にもつながる」「辺野古移設というのは唯一の解決策」と従来の政府見解を繰り返した。

 15年9月の集中協議で、沖縄の歴史を説明した翁長氏は菅氏に「私の話は通じませんか」と問うた。菅氏の口から出たのは「私は、戦後生まれなので、沖縄の歴史を持ち出されたら困りますよ」という言葉だった。担当になって1年もたつのに、沖縄の歴史を知ろうとすらしない。「お互い別の70年を生きてきたような気がする」と返した翁長氏の絶望感はいかばかりだったろう。

 その翁長氏の逝去に伴う18年9月の知事選では、東京からも自民・公明両党(維新、希望も推薦)が組織的に沖縄に支援者を送り込んだ。結果は、辺野古基地反対を掲げる玉城デニー氏が、佐喜真淳氏を8万票の大差で破り圧勝だった。だが、「選挙は民意だ」と発言していた菅氏は会見で「選挙は様々なことが争点になる」と前言を翻し、民意が示された後も辺野古ありきの方針を全く変えなかった。

 政府による民意の黙殺。県民の怒りは9万3千筆の署名につながった。県民投票の実施が決まったが、直後から宮古島市など5市の市長が投票への不参加を表明する。県民の3割が民意を示せないという状況に対し、「『辺野古』県民投票の会」を立ち上げた大学院生の元山仁士郎氏が思い立ったのがハンガーストライキだった。

 一人の若者が一票の権利を獲得するために抗議のハンストをする。果たして日本は民主国家といえるのか。19年1月、私は官房長官会見で菅氏に直接尋ねた。「若者がハンストで抗議の意を示さざるを得なくなっている。この状況について、政府の認識をお聞かせください」

菅氏の答えは「その方に(元山氏)聞いてください」と小馬鹿にしたものだった。元山氏の背後にいる幾万の県民の存在が全く視界に入っていない。会見の質疑はネットで拡散され、元山氏は「体を張って抗議をしている私を嘲笑わらい、政府の認識を本人に聞いてとはどういうことですか。いまの日本政府、政権というのはどれだけ冷酷なのか。選んだ方々もどう思うんだろう」と怒りを込めてツイートした。結果的に全市町村での実施が決まった同年2月の県民投票では、投票率が5割を上回り、「反対」が7割を超えた。しかし、やはり菅氏は「結果を真摯に受け止める」と言いながら、工事を中断する気配も見せなかった。

 前述したように、安倍・菅政権で一貫しているのは「政府に刃向かう者を徹底的に封殺し、孤立させる」という非民主的な価値観だ。そして、沖縄については「世界一危険な普天間基地の除去」「辺野古移設が唯一の解決策」と繰り返すことで世論を誘導し、国民全体を思考停止に追い込んでいる。私も官房長官会見で、埋め立て現場の赤土使用など何度か問いただしたが、「そんなことありません」「今答えた通りです」と木で鼻をくくった対応ばかりだった。これらの質疑からわかったのは、菅氏は徹底して沖縄を見下しているということだ。総裁選でも繰り返した「地方分権を進める」とは虚偽ではないか。

 政府の横暴には怒りしか湧かない。ましてや沖縄の記者たちはどう思うだろうか。沖縄の日常や事件を取材する記者たちはみな、基地問題にぶち当たる。現在まで続く「不条理」に否応なく直面しなければならなくなる。私が知る沖縄の記者たちは穏やかな記者ばかりだ。でも、その根底には沖縄県民が受け続ける不条理への怒りと、ペンの力で少しでも現状を伝えたいという気持ちがあふれている。

 安田氏は「それぞれの持ち場で、現場で、私は彼ら彼女らの情熱と言葉に触れた……私が目にしたのは、普通の新聞記者たちだ。伝えるべきことを伝え、向き合うべきものに向き合い、報ずることの意味を常に考えている……その姿が、ただひたすら眩しかった……そんな私に、沖縄の記者たちは、むせかえるような熱さをともなって、『当たり前の記者』である生身の姿をさらしてくれた」と記している。全く同感だ。そう。私だけではないだろう。原発事故があった福島の記者、広島・長崎の被爆者を取材する記者――。それぞれが、現場で出会った市井の民の思いを背負って取材をしている。

 安田氏が沖縄の記者を描こうと思った理由とは?

「それはつまり、いま、日本の新聞記者が『当たり前』を放棄し、輝きを失っているからではないか、と思わずにはいられない。常に何かを忖度し、公平性の呪縛を疑問視することもなく両論併記で仕事をしたつもりになり、志も主張もどこかに置き忘れた新聞記者に、あるいはそこに染まってしまいかねない自分自身にも、どこかで飽き飽きしていた」

 記者に限らない。多くの人が公平性の呪縛にとらわれていやしないだろうか。だれかの主張を反対側の極論と足して中和してバランスを取ろう、などと思っていないだろうか。自分が誰かへの「偏見」に加担していないだろうか。そう省みることができれば……強くそう思う。(東京新聞記者・望月衣塑子)

※この記事は、安田浩一著『沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか』の文庫版解説を改編したものである。


 今日の天気予報では一日すっきりした☀と思いきや、あまり陽は射さず風は強く寒い一日だった。
 氣になっている白樺樹液の採取、今朝まだ雪が硬い時間にと裏山へ。でもプラス氣温だったのでかなりぬかってしまう。

こちらは江部乙。もう1台車を止められるように除雪作業。




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