再入院のきっかけとなった父の症状は、腸炎とそれに伴う重い脱水ということだった。
病院への受け入れを要請してくれた訪問看護師さんに感謝。
母と面会に行くと、父は相変わらず家に帰りたがっており、看護師さんに毎日のように圧力? をかけているらしい。
今回は心臓疾患ではないので、早めに退院できるようだ。
担当医がやってきて言った。
「最初は点滴だったのが、最近は口から食べられるようになっていますので(ただし野菜以外)、今日明日にでも退院してもだいじょうぶですよ」。
父の野菜嫌いは、この病院では”有名”になってしまったらしい。
本人の「帰りたいコール」に圧された部分もあるかもしれない。
この病院の専門である循環器系当に異状なければ早く退院してほしいというのも本音だろう。
なんといっても90歳だし……。
もしかして、最期をこの病院で迎えてほしくないのかも、などとうがったことも考えたりした。(ドラマ、『ドクターX』の見過ぎか?)
あれほどの偏食なのに、90歳まで永らえたのは、考え方によればたいしたものだ。
説明したいことを早口に述べたてて、担当医が足早に去っていった。
忙しい中、わざわざ来てくれたようだ。
質問する猶予も与えられない雰囲気だった。
医師が去ると、書類にサインをした。
12月の入院以来、いったい何枚の紙にサインだの連絡先の記入をしただろう。
入院に限ったことではない。
介護認定を受けたところから始まって、サービスを始めるたびに、サインだの、同意書への記入を求められた。
中身を熟読する暇はない。
たとえ読んだとしても、文章の意味は分かっても、その意図がよくわからなかっただろう。
こうした書類は、何かトラブルが起きたときに、「だってサインしてるじゃないですか」と、病院側を守るために書かされるんだろうか。
具体的にどんなトラブルが起きうるのか、この書類がその時どう役に立つのか、サインする側には不明だ。
不明なので「書けない」理由も見つからない。
とりあえず差し出された2枚に書いておいた。
今回サインする段になって初めて、正式な病名が「ウイルス性腸炎」であることを知った。
待合室に戻ると、ケアマネさんに電話した。
最初の入院同様、心の準備がないまま急に退院の話がやってきたので動揺していた。
退院してもまた同じことが起きるのではないか?
対処するために、介護サービスを変更したほうがいいのか?
訪問診療という選択肢はどうか?
聞きたいことはたくさんあった。
確かめたいことは次々沸き起こる。
父の命すべてがわたしの責任と一存に任されているような重さを感じる。
ケアマネさんはこちらに代わってなんでも決めてくれるわけではない。
あくまでも決めるのはこちら。
こちらの指示を受けて、動いてくれる。
彼女から教わった部署に電話していろいろ確認して気が済んだ。
今回は一時的な病状なので、感染対策に気をつけて、今までと同じ看護サービスの枠の中で、摂食指導と介助をお願いすることにした。
家族が「食べろ食べろ」とやいのやいの言うよりも、他人である看護師さんが優しく促してくれたほうが、食が進むのではないかと思ったからだ。
何事も試してみないとわからない。
父にとって望ましいことがわからないと、こちらの不安感を優先させることになる。
いったん方針が決まると、ほっとした。
ケアマネさんが連絡先だけ教えてくれたのは、あれこれ外野が口を出すと、いろんな人の思惑が錯綜して、かえってわたしが混乱すると思ったからではないか。自分で気が済むまで確認したほうが納得もする。
語弊はあるが、父の退院によって再び爆弾を抱え込むことになる。
母の負担感をなるべく先送りにしたいこともあり、週明けの水曜日まで退院を延期してもらった。
週末に退院すると思っていたらしい担当の看護師は、「〇〇さんにだけ対応するわけにはいかないんですよ!ベッドも込んできてますし」と多少不満げではあったが。
病院への受け入れを要請してくれた訪問看護師さんに感謝。
母と面会に行くと、父は相変わらず家に帰りたがっており、看護師さんに毎日のように圧力? をかけているらしい。
今回は心臓疾患ではないので、早めに退院できるようだ。
担当医がやってきて言った。
「最初は点滴だったのが、最近は口から食べられるようになっていますので(ただし野菜以外)、今日明日にでも退院してもだいじょうぶですよ」。
父の野菜嫌いは、この病院では”有名”になってしまったらしい。
本人の「帰りたいコール」に圧された部分もあるかもしれない。
この病院の専門である循環器系当に異状なければ早く退院してほしいというのも本音だろう。
なんといっても90歳だし……。
もしかして、最期をこの病院で迎えてほしくないのかも、などとうがったことも考えたりした。(ドラマ、『ドクターX』の見過ぎか?)
あれほどの偏食なのに、90歳まで永らえたのは、考え方によればたいしたものだ。
説明したいことを早口に述べたてて、担当医が足早に去っていった。
忙しい中、わざわざ来てくれたようだ。
質問する猶予も与えられない雰囲気だった。
医師が去ると、書類にサインをした。
12月の入院以来、いったい何枚の紙にサインだの連絡先の記入をしただろう。
入院に限ったことではない。
介護認定を受けたところから始まって、サービスを始めるたびに、サインだの、同意書への記入を求められた。
中身を熟読する暇はない。
たとえ読んだとしても、文章の意味は分かっても、その意図がよくわからなかっただろう。
こうした書類は、何かトラブルが起きたときに、「だってサインしてるじゃないですか」と、病院側を守るために書かされるんだろうか。
具体的にどんなトラブルが起きうるのか、この書類がその時どう役に立つのか、サインする側には不明だ。
不明なので「書けない」理由も見つからない。
とりあえず差し出された2枚に書いておいた。
今回サインする段になって初めて、正式な病名が「ウイルス性腸炎」であることを知った。
待合室に戻ると、ケアマネさんに電話した。
最初の入院同様、心の準備がないまま急に退院の話がやってきたので動揺していた。
退院してもまた同じことが起きるのではないか?
対処するために、介護サービスを変更したほうがいいのか?
訪問診療という選択肢はどうか?
聞きたいことはたくさんあった。
確かめたいことは次々沸き起こる。
父の命すべてがわたしの責任と一存に任されているような重さを感じる。
ケアマネさんはこちらに代わってなんでも決めてくれるわけではない。
あくまでも決めるのはこちら。
こちらの指示を受けて、動いてくれる。
彼女から教わった部署に電話していろいろ確認して気が済んだ。
今回は一時的な病状なので、感染対策に気をつけて、今までと同じ看護サービスの枠の中で、摂食指導と介助をお願いすることにした。
家族が「食べろ食べろ」とやいのやいの言うよりも、他人である看護師さんが優しく促してくれたほうが、食が進むのではないかと思ったからだ。
何事も試してみないとわからない。
父にとって望ましいことがわからないと、こちらの不安感を優先させることになる。
いったん方針が決まると、ほっとした。
ケアマネさんが連絡先だけ教えてくれたのは、あれこれ外野が口を出すと、いろんな人の思惑が錯綜して、かえってわたしが混乱すると思ったからではないか。自分で気が済むまで確認したほうが納得もする。
語弊はあるが、父の退院によって再び爆弾を抱え込むことになる。
母の負担感をなるべく先送りにしたいこともあり、週明けの水曜日まで退院を延期してもらった。
週末に退院すると思っていたらしい担当の看護師は、「〇〇さんにだけ対応するわけにはいかないんですよ!ベッドも込んできてますし」と多少不満げではあったが。