TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

曜日の確認を繰り返す母

2025年02月16日 | エッセイ
実家に泊まった翌日、朝食をとっていると母が起きてきて必ずわたしに尋ねる。
「今日は何日?」「何曜日?」「月曜日?」「金曜日?」。
白髪頭は寝乱れ、寝ぼけ眼である。
そのさまたるや鬼気迫るものがあり、単なる曜日確認とは思えない。
日付や曜日は新聞で確かめればいいのだが、たいていわたしが読んでいる最中だ。
「なんでそんなに曜日や日にちが気になるのだろう」とあまりにも何度も聞かれるので、いいかげんうんざりして、答える声もトゲトゲしてしまう。
時には、自分で確認してくれとばかり、答えないこともある。
そのたびに、イジワルな自分にうんざりもし、自虐的な快感さえ感じることもある。
快感とさえ思える心理状態はよくわからないが、ストレス解消のひとつになっているのだとしたら、それも自虐的なら、あとできっと後悔するだけなのに、と思う。
知らない間に、ゆとりのようなものがなくなっているのかもしれない。

父が退職したあと、「毎日が日曜日」の生活に馴染んできた両親である。
曜日の把握は、「月曜日は生ごみの日」などと、ゴミ出しのためだけに必要だった。
それが彼らの要介護・要支援の認定後、曜日ごとに介護サービスがはいるようになった。
現在は月曜日が訪問リハ、火・木は訪問看護。いずれも父へのサービスである。
先月までは、母への訪問看護も月2回、はいっていた。
昨年までは、サービスの曜日とその中身が安定していたが、父の入退院によって、その回数が増え、中身も変わった。
祝日にあたると、その都度、ほかの日に振り替えになったりもする。
合間に病院への受診もある。
看護師が来る日に合わせて、風呂に湯をはり浴室を温めたり、食事介助の日には食べ物を用意したりして彼らをお迎えする準備をしておかなくてはならない。
スタッフへのお茶出しは基本的には不要だが、おもてなしをしたい母にとっては、麦茶の用意も手を抜けない。
看護やリハビリそのものは専門家がしてくれるが、その前準備と後の処理はこちらでする必要があるのだ。
母にとっては、今日が何曜日かを知っておくこと、誰が来るかは、重大事項なのだ。
軽い認知障害があるので、把握しておくのも負担になってきているのではないか。
介護サービスは介護者のためのものである。
それが介護者側の負担を増しているのだとしたら……。
「来てくれるとホッとするけど、落ち着かないのよね」とは彼女の弁である。

入浴介助は、ひとりで湯船をまたぐのが無理になってきた父にとってはありがたいサービスだ。
しかし本人にしてみれば、若い女性の看護師さんにケアしてもらうことにかなり抵抗があるようだ。
食事の介助も、身内だとつい甘えが出て「食べない」とはねつけることがあるが、他人だと遠慮があるのか、食事が進むこともある。
少しでも食べてくれれば、と願う家族側にとっては都合がいいが、無理強いするということの、どこまでが本人のためなのか。
突き詰めていくときりがない。

「メロンパン食べて」「バナナもあるよ」「そのあとは薬飲んで」「あと目薬も」「もうすぐ介護さんが来るよ」とわたしは親にかける言葉も指示語が多くなった。
そういえば、子供の頃、母が発する言葉は、「〇〇しなさい」と命令語が多かった。
自分が子供の頃にかけられた言葉を、めぐりめぐって老親にかけるようになるのだろうか。

帰り際にひな人形を飾る。
30年ぶりぐらいだろうか。
わたしが生まれ、団地住まいの時に買ったものなので、ガラスケースにはいった小振りのセットだ。
ひとりずつ、薄紙にきっちりと包んでしまいこんでおいたので、白くて若々しい顔を保ったままだ。
道具ひとつ欠けていない。
老けてくたびれた顔つきなのは、こちらだけである。
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受診も社会生活の一部

2025年02月08日 | エッセイ
2月6日は、父の受診日であった。
心筋梗塞の発作が起きてから2か月。
長かったのか短かかったのかよくわからない。
とりあえず乗り越えた。
90歳という年齢を考えると検査結果がどうあれ、手放しで喜ぶことはできない。
病は治せても老化は防げないという当たり前の事実がいつも目の前にぶらさがっている。

病院までの往路は、初めて介護タクシーを利用した。
民間のタクシーの運転手さんも親切だが、介護専門のタクシーのほうが、手を貸してもらうのに気持ちが楽である。
それでいて低料金。
需要が多いらしく、ずいぶん前から予約が埋まってしまうということだ。

車いすの操作のしかたも少し慣れた。
不案内な院内を、車いすを押してやみくもに突き進む感じだったが、余裕ができた。
移動時以外は、ブレーキをかけておくというきまりも頭にはいった。
たたみ方も覚えた。
コントロールのほうはいまひとつで、座って待っている人の足の上に危うく乗り上げそうになったが、足を引っ込めてくれたおかげで回避できた。
診療科の性質上、酸素ボンベを引いて歩いている人も多い。
高齢の患者さんが多い。
総合病院にはないような、どこか譲り合いの雰囲気が漂う、普段はのんびりした感じの病院である。
が、それなりに大きな病院なので重症の患者さんも多い。
父が心電図の検査を受けている間に、隣の検査室で肺活量検査を受けていた人の体調がすぐれなくなったようで、再びAED騒ぎとなった。
院内全体にエマ―ジェンシーコールのような放送が流れて、職員が大集合した。
前回の受診時も同じようなことに出くわした。
2日行って、2日ともそういう事態に出くわすということは、しばしばこういうことが起きているのだろうか。
検査も命がけである。
前回は、鉛筆とメモを持った職員ばかりが大勢集まって、肝心のストレッチャーがなかなか届かなかったが、今回はその時の反省からか、(患者さんはひとりなのに)2台もやってきた。
突発的なできごとが起こると、ちぐはぐになるのは、プロ集団でも同じなのかもしれない。
ストレッチャーの通行の邪魔になるからと、しばらく待機させられた。

栄養指導室での栄養指導も、今回の受診メニューに含まれていた。
指導されても父の頑なな偏食は治らないが、メロンパンだのプリンだの、多少甘くても、カロリーがとれるものを食べて構わないと言われて父は嬉しそうである。
病院の食堂でカツカレーをほぼ完食、そのあとデザートに桜餅を食べていた。
場所が変わると、食欲も増すようだ。
行き先がたとえ病院でも、家に閉じ込められた生活より、家族もひと息つける。
翌日には、ケアマネさんが、ひと月に1度の訪問を繰り上げてやってきた。
エアコンの不調で電気屋さんが来たり、保険会社の人が営業に来たりした。
御用が済むとみなさんそそくさと帰っていったが、そうした御用がらみの訪問でさえ、社会と細い糸でつながっているようで、ガス抜きができる。

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連ドラ再び

2025年02月05日 | エッセイ
現在放送中のNHK朝ドラも、残すところあと2か月ほど。
前作品の重さに比べて、時代も雰囲気も軽めの展開に初めは違和感があったが、気づけば毎回録画して見逃さない。
たぶんこうなるよね、心を閉ざしているあの人この人も、おいしい食物の力で、いずれ心を開くよね……というような「お約束ごと」が裏切られないので、見ていて安心である。
ややこしい気分になりたくない1日の始まりのアクセントとしては、ちょうどいいかもしれない。

さて、日曜日の大河ドラマ「べらぼう」。
日本史がもともと苦手。
ドラマの背景となる知識に疎いため、たとえ架空とはいえ、史実に基づいたドラマ展開は敷居が高く、この番組枠はずっと敬遠していたのである。
しかし今回は、舞台が吉原という庶民の世界。
しかも歴史の教科書にも書かれることのなかった裏側ともいえる世界だ。
そこでの言葉遣いや生活、風習なんかも、とても新鮮である。
小芝風花さん演じる花の井の立ち居振る舞いや言動も貫禄があり、見ていて気持ちがいい。
そして、前回まで登場していた唐丸という子供の存在も気になる。
いったん舞台から消えたかのように見えたが、何年かしたら青年になって蔦重の前に現れて、彼の過去が明かされるのだろうということが予感される。

最近は演技のうまい子役が増えた。昔はウソ泣きっぽい演技をする子役が多かったが、今じゃ、涙など自然に流れ出て、大人の俳優も顔負け。
感心するばかりだ。
唐丸の再登場は、むしろ主人公の行く末よりも関心がある。

大河ドラマは1年という長丁場だ。
毎週毎週、テレビの前に座ってドラマを味わうことのできる生活は、あたりまえのようであるが、実はあたりまえではない。
こうした時間を持てる生活が続けばいいなあ、と半ば祈りながらの視聴でもある。



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出会う

2025年02月01日 | エッセイ
再入院した父が先日退院した。
今回の入院はウイルス性の腸炎に伴う脱水症状ということだった。
この時期、珍しくない症状らしいが、高齢ともなると、あるあるな症状も「救急搬送」の対象となる。
退院の手続きをふんで、病院の食堂で昼食を食べた。
父曰く、「やっぱり娑婆の食事はうまいな」と、とんかつ定食をほぼ完食。
今回はお腹の症状ということもあり、おかゆ状の食事ばかりだったのだそうだ。
看護師さんがあまりにも親切に促すので、食べないとワルイと思って仕方なく食べたらしい。
(偏食の患者をもつと、医療関係者も苦労する。)

家に帰るためにタクシーを呼び、車いすから父をおろすと、思った以上に足腰が萎えているのに気がついた。
あまりにも覚束ないのを見た運転手さんがわざわざ降りてきて、父のからだを支えながら乗車を手伝ってくれた。
運転中の会話の中で、彼もまた高齢の親の介護や実家の片づけに関わったことがわかった。
降りるときも父が降りやすいほうの扉を開けて、ゆっくりと待っていてくれた。
恐縮すると、「こういうのはみんな順番ですから」と。
経験者は優しい。

そういえば、ここ1年ばかり、両親を連れて歩いていると、街中の親切に出会うことが増えた。
床屋の出入り口を押さえて、父が通り抜けるまで待っていてくれた人。
靴がきちんとはけていないのに気がついて(本当はわたしたち家族が気がつかなくてはいけなかったのだが)、わざわざ腰をかがめ、自分の指を靴に差し込んではかせてくれた年配の御婦人。
今回の救急搬送の時もそうだ。
救急外来に案内してくれた守衛さんは、「お大事に」とひとこと言って去っていった。

ほんの短い時間のなにげないことなのだが、医療や福祉の関係者さんからの「お大事に」よりも、心に残る。
その時はたいてい気に留める余裕がないのだが、あとから振り返ると、そういえばあの時‥‥‥と思い出す。
彼ら彼女たちは、年を重ねた方が多い。
「うちのお父さんの時も、あるいはうちの主人の時もそうだったなあ」と、お身内を重ねるのかもしれない。


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右往左往の巻

2025年01月25日 | エッセイ
再入院のきっかけとなった父の症状は、腸炎とそれに伴う重い脱水ということだった。
病院への受け入れを要請してくれた訪問看護師さんに感謝。
母と面会に行くと、父は相変わらず家に帰りたがっており、看護師さんに毎日のように圧力? をかけているらしい。
今回は心臓疾患ではないので、早めに退院できるようだ。
担当医がやってきて言った。
「最初は点滴だったのが、最近は口から食べられるようになっていますので(ただし野菜以外)、今日明日にでも退院してもだいじょうぶですよ」。
父の野菜嫌いは、この病院では”有名”になってしまったらしい。
本人の「帰りたいコール」に圧された部分もあるかもしれない。
この病院の専門である循環器系当に異状なければ早く退院してほしいというのも本音だろう。
なんといっても90歳だし……。
もしかして、最期をこの病院で迎えてほしくないのかも、などとうがったことも考えたりした。(ドラマ、『ドクターX』の見過ぎか?)
あれほどの偏食なのに、90歳まで永らえたのは、考え方によればたいしたものだ。

説明したいことを早口に述べたてて、担当医が足早に去っていった。
忙しい中、わざわざ来てくれたようだ。
質問する猶予も与えられない雰囲気だった。

医師が去ると、書類にサインをした。
12月の入院以来、いったい何枚の紙にサインだの連絡先の記入をしただろう。
入院に限ったことではない。
介護認定を受けたところから始まって、サービスを始めるたびに、サインだの、同意書への記入を求められた。
中身を熟読する暇はない。
たとえ読んだとしても、文章の意味は分かっても、その意図がよくわからなかっただろう。
こうした書類は、何かトラブルが起きたときに、「だってサインしてるじゃないですか」と、病院側を守るために書かされるんだろうか。
具体的にどんなトラブルが起きうるのか、この書類がその時どう役に立つのか、サインする側には不明だ。
不明なので「書けない」理由も見つからない。
とりあえず差し出された2枚に書いておいた。
今回サインする段になって初めて、正式な病名が「ウイルス性腸炎」であることを知った。

待合室に戻ると、ケアマネさんに電話した。
最初の入院同様、心の準備がないまま急に退院の話がやってきたので動揺していた。
退院してもまた同じことが起きるのではないか?
対処するために、介護サービスを変更したほうがいいのか?
訪問診療という選択肢はどうか?
聞きたいことはたくさんあった。
確かめたいことは次々沸き起こる。
父の命すべてがわたしの責任と一存に任されているような重さを感じる。

ケアマネさんはこちらに代わってなんでも決めてくれるわけではない。
あくまでも決めるのはこちら。
こちらの指示を受けて、動いてくれる。
彼女から教わった部署に電話していろいろ確認して気が済んだ。
今回は一時的な病状なので、感染対策に気をつけて、今までと同じ看護サービスの枠の中で、摂食指導と介助をお願いすることにした。
家族が「食べろ食べろ」とやいのやいの言うよりも、他人である看護師さんが優しく促してくれたほうが、食が進むのではないかと思ったからだ。
何事も試してみないとわからない。
父にとって望ましいことがわからないと、こちらの不安感を優先させることになる。

いったん方針が決まると、ほっとした。
ケアマネさんが連絡先だけ教えてくれたのは、あれこれ外野が口を出すと、いろんな人の思惑が錯綜して、かえってわたしが混乱すると思ったからではないか。自分で気が済むまで確認したほうが納得もする。

語弊はあるが、父の退院によって再び爆弾を抱え込むことになる。
母の負担感をなるべく先送りにしたいこともあり、週明けの水曜日まで退院を延期してもらった。
週末に退院すると思っていたらしい担当の看護師は、「〇〇さんにだけ対応するわけにはいかないんですよ!ベッドも込んできてますし」と多少不満げではあったが。
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