実家に泊まった翌日、朝食をとっていると母が起きてきて必ずわたしに尋ねる。
「今日は何日?」「何曜日?」「月曜日?」「金曜日?」。
白髪頭は寝乱れ、寝ぼけ眼である。
そのさまたるや鬼気迫るものがあり、単なる曜日確認とは思えない。
日付や曜日は新聞で確かめればいいのだが、たいていわたしが読んでいる最中だ。
「なんでそんなに曜日や日にちが気になるのだろう」とあまりにも何度も聞かれるので、いいかげんうんざりして、答える声もトゲトゲしてしまう。
時には、自分で確認してくれとばかり、答えないこともある。
そのたびに、イジワルな自分にうんざりもし、自虐的な快感さえ感じることもある。
快感とさえ思える心理状態はよくわからないが、ストレス解消のひとつになっているのだとしたら、それも自虐的なら、あとできっと後悔するだけなのに、と思う。
知らない間に、ゆとりのようなものがなくなっているのかもしれない。
父が退職したあと、「毎日が日曜日」の生活に馴染んできた両親である。
曜日の把握は、「月曜日は生ごみの日」などと、ゴミ出しのためだけに必要だった。
それが彼らの要介護・要支援の認定後、曜日ごとに介護サービスがはいるようになった。
現在は月曜日が訪問リハ、火・木は訪問看護。いずれも父へのサービスである。
先月までは、母への訪問看護も月2回、はいっていた。
昨年までは、サービスの曜日とその中身が安定していたが、父の入退院によって、その回数が増え、中身も変わった。
祝日にあたると、その都度、ほかの日に振り替えになったりもする。
合間に病院への受診もある。
看護師が来る日に合わせて、風呂に湯をはり浴室を温めたり、食事介助の日には食べ物を用意したりして彼らをお迎えする準備をしておかなくてはならない。
スタッフへのお茶出しは基本的には不要だが、おもてなしをしたい母にとっては、麦茶の用意も手を抜けない。
看護やリハビリそのものは専門家がしてくれるが、その前準備と後の処理はこちらでする必要があるのだ。
母にとっては、今日が何曜日かを知っておくこと、誰が来るかは、重大事項なのだ。
軽い認知障害があるので、把握しておくのも負担になってきているのではないか。
介護サービスは介護者のためのものである。
それが介護者側の負担を増しているのだとしたら……。
「来てくれるとホッとするけど、落ち着かないのよね」とは彼女の弁である。
入浴介助は、ひとりで湯船をまたぐのが無理になってきた父にとってはありがたいサービスだ。
しかし本人にしてみれば、若い女性の看護師さんにケアしてもらうことにかなり抵抗があるようだ。
食事の介助も、身内だとつい甘えが出て「食べない」とはねつけることがあるが、他人だと遠慮があるのか、食事が進むこともある。
少しでも食べてくれれば、と願う家族側にとっては都合がいいが、無理強いするということの、どこまでが本人のためなのか。
突き詰めていくときりがない。
「メロンパン食べて」「バナナもあるよ」「そのあとは薬飲んで」「あと目薬も」「もうすぐ介護さんが来るよ」とわたしは親にかける言葉も指示語が多くなった。
そういえば、子供の頃、母が発する言葉は、「〇〇しなさい」と命令語が多かった。
自分が子供の頃にかけられた言葉を、めぐりめぐって老親にかけるようになるのだろうか。
帰り際にひな人形を飾る。
30年ぶりぐらいだろうか。
わたしが生まれ、団地住まいの時に買ったものなので、ガラスケースにはいった小振りのセットだ。
ひとりずつ、薄紙にきっちりと包んでしまいこんでおいたので、白くて若々しい顔を保ったままだ。
道具ひとつ欠けていない。
老けてくたびれた顔つきなのは、こちらだけである。
「今日は何日?」「何曜日?」「月曜日?」「金曜日?」。
白髪頭は寝乱れ、寝ぼけ眼である。
そのさまたるや鬼気迫るものがあり、単なる曜日確認とは思えない。
日付や曜日は新聞で確かめればいいのだが、たいていわたしが読んでいる最中だ。
「なんでそんなに曜日や日にちが気になるのだろう」とあまりにも何度も聞かれるので、いいかげんうんざりして、答える声もトゲトゲしてしまう。
時には、自分で確認してくれとばかり、答えないこともある。
そのたびに、イジワルな自分にうんざりもし、自虐的な快感さえ感じることもある。
快感とさえ思える心理状態はよくわからないが、ストレス解消のひとつになっているのだとしたら、それも自虐的なら、あとできっと後悔するだけなのに、と思う。
知らない間に、ゆとりのようなものがなくなっているのかもしれない。
父が退職したあと、「毎日が日曜日」の生活に馴染んできた両親である。
曜日の把握は、「月曜日は生ごみの日」などと、ゴミ出しのためだけに必要だった。
それが彼らの要介護・要支援の認定後、曜日ごとに介護サービスがはいるようになった。
現在は月曜日が訪問リハ、火・木は訪問看護。いずれも父へのサービスである。
先月までは、母への訪問看護も月2回、はいっていた。
昨年までは、サービスの曜日とその中身が安定していたが、父の入退院によって、その回数が増え、中身も変わった。
祝日にあたると、その都度、ほかの日に振り替えになったりもする。
合間に病院への受診もある。
看護師が来る日に合わせて、風呂に湯をはり浴室を温めたり、食事介助の日には食べ物を用意したりして彼らをお迎えする準備をしておかなくてはならない。
スタッフへのお茶出しは基本的には不要だが、おもてなしをしたい母にとっては、麦茶の用意も手を抜けない。
看護やリハビリそのものは専門家がしてくれるが、その前準備と後の処理はこちらでする必要があるのだ。
母にとっては、今日が何曜日かを知っておくこと、誰が来るかは、重大事項なのだ。
軽い認知障害があるので、把握しておくのも負担になってきているのではないか。
介護サービスは介護者のためのものである。
それが介護者側の負担を増しているのだとしたら……。
「来てくれるとホッとするけど、落ち着かないのよね」とは彼女の弁である。
入浴介助は、ひとりで湯船をまたぐのが無理になってきた父にとってはありがたいサービスだ。
しかし本人にしてみれば、若い女性の看護師さんにケアしてもらうことにかなり抵抗があるようだ。
食事の介助も、身内だとつい甘えが出て「食べない」とはねつけることがあるが、他人だと遠慮があるのか、食事が進むこともある。
少しでも食べてくれれば、と願う家族側にとっては都合がいいが、無理強いするということの、どこまでが本人のためなのか。
突き詰めていくときりがない。
「メロンパン食べて」「バナナもあるよ」「そのあとは薬飲んで」「あと目薬も」「もうすぐ介護さんが来るよ」とわたしは親にかける言葉も指示語が多くなった。
そういえば、子供の頃、母が発する言葉は、「〇〇しなさい」と命令語が多かった。
自分が子供の頃にかけられた言葉を、めぐりめぐって老親にかけるようになるのだろうか。
帰り際にひな人形を飾る。
30年ぶりぐらいだろうか。
わたしが生まれ、団地住まいの時に買ったものなので、ガラスケースにはいった小振りのセットだ。
ひとりずつ、薄紙にきっちりと包んでしまいこんでおいたので、白くて若々しい顔を保ったままだ。
道具ひとつ欠けていない。
老けてくたびれた顔つきなのは、こちらだけである。