TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

一泊二日でわかったこと

2024年10月06日 | エッセイ
リハビリに特化したデイサービスを見学した。
3時間の半日コースである。
1日のデイサービスでは待ち時間が多く、両親曰く、「座ってばかりでお尻が痛くなった」そうだ。
彼らふたりが利用するのを前提に、2枠空いているところをケアマネさんにみつくろってもらい、見学のはこびとなった。
サービスの利用についてあくせくするたびに、いったい誰のためのなんのための利用かわからなくなることがある。
衰弱に向かう命の、自然の流れに抵抗しようとしているだけのような気がする。
現在の訪問リハと訪問看護で落ち着いているところにわざわざ石を投げてかき混ぜようとしているような不安がある。
そうした気持ちを抱きながらの見学であった。

サービスの事業所は、駅近く、比較的交通量の多い場所にある。
利用者さんのお迎えを終えた車がわたしたち3人を迎えにきてくれた。
案内されたのは、こぢんまりとした建物で、前の敷地に送迎車が数台、所狭しと並んでいる。
中にはいると、左側の長テーブルを挟んで利用者さんがお茶を飲み飲みくつろいでいる。
休憩時間のようだ。
ずいぶん前に見学したリハビリ特化のデイサービと同じようなマシンが数台、窓際に並んでいる。
整体用のベッドもいくつか置かれている。
管理者のかたがプログラムについて説明をしてくれる。
そして岩盤浴の体験。
箱の中に敷き詰められた石に足を突っ込むとじんわりと温かい。
冬などは良さそうだ。
説明を受けながらふたりとも大いに乗り気のようだったので、1時間ほど見学を終えて帰宅したあと、さっそくケアマネさんに電話をする。
気が変わらないうちに、という思いがあったかもしれない。
両親ふたりに念も押した。
ケアマネさんはあいにく不在。最近タイミングが合わないことが多い。
契約したい旨を伝言して電話を切った。
父と母、2人の利用——、その時はそのはずだった。

夕食後、どういう弾みか忘れたが母が、「今日のデイサービスは本当に必要なのかしら」と口火を切った。
すると父も、「今日のところはあれでいい。ただ器械の台数が4台で少ないようだ。もうひとつぐらい事業所を見てからそしてそのどちらかに決めたい」と言い出した。
慌てた。
振り出しに戻った気がした。
ふたりにとって適切な場所をケアマネさんが選んで日程調整してくれたというのに……なぜこんなに早く意見が変わる? 昼間には、ふたりで利用しようねと念を押し、そうした雰囲気になっていたのに。
確かにこうしたサービスは利用者主体だ。
気持だって変わるかもしれない。
が、今回ばかりではなく、二転三転する言動が度重なると、それにいちいち振り回されることに苛立ちを感じてしまう。
「そうね、そうね」と口先だけが先んじて前向きなのを、つい間に受けてしまうのは初めてではない。
迷惑をかけることになるケアマネさんに、その都度お詫びをするのも気が重い。
選択肢があり過ぎるのだろうか。
彼らの必要を飛び越えて性急に話を進めようとしたわたしの責任なのか。

その夜は10時半頃まで、ああでもない、こうでもないと話した。
いくら話してもらちがあかない。
利用したいのか、したくないのか、父の本心もわからない。
とりあえず、明日の朝、父が見学のお礼を兼ねてケアマネさんに電話をすることになった。
本人からケアマネさんに、直接言ってほしかった。
わたしの口から、この後戻り的な発言を伝える勇気はなかった。
その夜は、明け方2時ごろに目が覚めて後は眠れなかった。
実家にくるとなにかしらごたごたが起きて寝不足となることが多い。

翌朝、家の消防設備点検の立ち合いのために、早々に実家を出る準備をしていると母が起きてきた。
曰く、「どうかねえ、お父さんの利用は。認知症だし、粗相したりしないかしら」と心配が募っているようだ。
介護度2の利用者や認知症のかたも利用しているという資料を見せてみる。
まあとりあえずやってみたらいいんじゃないの、とわたし。それで無理そうならやめてもいいんだし、と。
「そうやねえ、とりあえずやってみようか。話したら気持ちが軽くなった」と母。
母は自分の不安感を軽くするために、わたしの背中に不安感を乗せる。
そして驚いた。
彼女曰く、「わたしは最初っから利用するつもりなんかないのよ」
なんでも、母はあくまでも父の付き添いとして行こうかと思っており、見学してみたら付き添いの必要はなさそうなので、行かないことにしたのだそうだ。
「お父さんが行っている間、のんびりしたい」のだとも。
お父さんが不在の間のんびりしたい、という気持ちはわかるが、最初っからそうした意図だったことは、この度初めて知った。
それではなんのためにふたり分の枠が空いている曜日を調べてもらったのか。
混乱した。
本当に最初から利用するつもりはなかったのか。
こちらの説明のしかたに不足があったのか。
当然こちらの認識と同じ理解であるという思い込みが、説明不足を招き、母は母で、自分の意図を当然のものとして説明しないものだから、お互いにずっと違う認識でいたということか。

そこへ父が起きてきた。
昨日の器械の台数云々の話は省いて曰く、「昨日行った場所、あそこに決めた。火曜日の利用だから、今来てもらっている訪問リハ2日間のうち月曜日のほうは、とりあえずお休みしようと思う。それを今日、ケアマネさんに電話しようと思う」ときっぱり。
父の方が理路整然と話が通じている。
昨夜の話をしっかり覚えていて、筋もつながっている。
何度も同じことを繰り返して言う。
本人なりに大事な話題であることをしっかり認識しているから繰り返すのだと、ものの本に書いてあった。
むしろ、「もう何度同じことばかり繰り返すの! 全くイライラするわ」という母のほうにわたしは大いに苛立ちを感じる。
何度も繰り返して、確認しておこう、覚えておこうと努めることもなく、するすると聞き流して結果、けろりと忘れている母よりもよほどまともだ。
とはいえ、立ち合いの時間が迫ってきたので、すたこらさっさと実家を出る。
正直、逃げた!
駅の構内で、メロンパンとアイスコーヒーにありついたときは、15分ほどだったが、ひと息ついた。
普通に話が通じる人と話したい、とそう思った。

9時半過ぎ、ケアマネさんから電話が来る。
「娘さん、さっきお父様から電話がありました。昨日のところ、気に入られたようで」
わたしが「はい。母のほうは、父の付き添いの位置づけのように思っていたらしくて、行かないそうです」。
するとケアマネさんも母と話したらしく、「わたしは行くつもりはありません、っておっしゃってました。あくまで付き添いという認識だったんですねえ」と、ため息まじりだ。
こちらにとって常識的な話の流れと理解が、高齢者にとっては、必ずしもあたりまえではないのかもしれない。
しかしこのトンチンカンにも思える展開に共感してもらえる人を得てホットする。
おかしいでしょ、これ。というとまどいを理解してもらえる相手がいてくれてよかった。
わたしたけが矢面になって彼女と話していたら、なんていい加減なキーパーソンなんだと思われたかもしれない。
契約者は両親なのだから、できるだけ両親とも直接話してもらいたい、彼らにも責任を分かち合ってほしい、と逃げの姿勢になる。

父ひとり分の利用契約を結ぶのは、次の木曜日となった。
ケアマネさんから実家にも直接電話をしてくれたらしい。
それなのに、ほかの情報とごちゃ混ぜになって母から父へ伝わったらしく、「今日が契約日のはずなのに、一向に誰も来ない」と夕方、父から電話があった。
ずっと待っていたのに、と少々不機嫌だ。

いっぺんに用事を済ませようと、わたしが電話口で次から次へと情報を詰め込んで話したために、そういうことが起きたのかもしれない。
伝えることはひとつの電話でひとつずつ。それがキホン。
彼らの情報処理能力の限界について思い知った。
他者の立場への配慮、想像力、現在置かれた状況の理解、話の展開からの逸脱など、ひと口に「自分勝手」「もの忘れ」とレッテルを貼ることのできない事情が彼らに発生していたのだ。
こちらが振り回されていると思っていたが、彼らは彼らで、わたしのペースに振り回されていたのかもしれない。

電話口で、矢継ぎ早の説明が誤解を招いたことを謝った。
母も、「ごめんなさいねえ。ボケ老人ばかりで」と申し訳なさそうに言って、かろうじて和やかに通話を終えた。
もしも一方的に相手の勘違いを責めたら相手は頑なにいじけて、険悪な雰囲気のまま後味悪く電話を切ることになっただろう。
それを償うためにまた言い訳の電話をかけ直し、どうしてこちらばかりが……などとかえってモヤモヤとしたかもしれない。

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綱渡り

2024年10月02日 | エッセイ
部屋の蛍光灯が切れた。
本来なら自分で取りかえなくてはいけないのだが、なにぶん背が低く届かない。
大家さんに作業をお願いしている。
仕事の隙間をぬって依頼の電話をかけようとしていたら、ケアマネさんから電話がはいった。
先日両親がデイケア見学をしたその様子伺いである。
「待ち時間も多くてずーっと座りっぱなしだったのでお尻が痛くなったらしいです」とわたし。
「そうでしょう、あそこは1日いるだけでご両親様、疲れちゃうかもしれません」と彼女。
「半日ぐらいのほうがいいと本人たちは言っているんですが、栄養も足りてないので食事つきのデイがいいかと……」とわたし。
先日の介護者のつどいで、「半日デイサービス食事つき」の情報を仕入れてきたばかりだ。
食事つき、とか、半日コースとか言っているうちに、なんだか旅行かなんかの打ち合わせをしているような気分になってくる。
すると彼女、「娘さん、あそこは管理栄養士さんがいて、食事のバランスはとれているんですけど、ということは、好き嫌いの多いお父様にはどうかと思うんですよ」。
偏食の父につきあって、母まで栄養が偏るのではないかと、そうしたサービスを望んだが、言われてみればそうだ。
もったいないという言いかたは露骨だが、せっかくの食事をほとんど食べられないというのでは意味がないかもしれない。
「どうしたらいいんだろう」と電話口で絶句するわたし。
ちなみに、勤務時間中だ。
思いのほか電話が長引いている。
そのことも頭の片隅にある。
とまどいを察知したケアマネさんが「それでは娘さん、〇〇さんほどではないにせよ、緩やかなリハを取り入れた半日のサービスというのもありますから、そこを1度体験してみますか」と提案してくれる。
ケアマネさんとのやりとりでは、わたしは「娘さん」と名無しのゴンベイとなる。
〇〇さんというのは、ずいぶん前に体験したリハ特化型のサービスだ。
あの時は父が張り切り過ぎて体調をくずしたために利用は立ち消えになったのだ。

電話でのやりとりでは、ゆっくりと熟考している暇もない。
「それではお願いします」と調整をお願いして電話を切った。
離席時間が長くなったので、さりげない風を装って、こそこそと席に戻る。
また電話が来るとなると、落ち着かない。
1時間ほど経つと、再び電話が鳴った。
先ほどのデイサービスのふたり分の枠が空いていることと、今週の金曜日に体験できるという話なのでひとまずお願いした。

利用者本人のあずかり知らないところで話がどんどん進む。
両親の欲するところはなんなのか。
欲するところと必要なことが同じとは限らない。
なんにもしたくないというのが両親の本音かもしれないが、1日中テレビの前にじいっと座り時間が過ぎ去っていくのでは、心身ともに衰弱していくばかりなのではないか。
しかし彼らの希望を飛び越えて、わたしがあれこれ決めてしまうのは、結局は自分が安心したいだけなのではないかという疚しさもある。
夕方、紹介してもらったデイサービスから電話が入る。
金曜日の朝、9時半にお迎えに来るという正式な連絡だ。
付き添いのわたしも一緒に車に乗せてもらえるのだそうだ。

とりあえずこっちの話が決まると、今度は大家さんに蛍光灯の件で電話をした。
慌しい雰囲気をひきずったまま電話をしたのでせっぱつまって聞こえたのだろうか。
今週の木曜日に来てくれることになった。
ありがたいが、なんだか、綱渡り。
やっと週末4日間の休みがやってきたと思うと、何かしら予定がはいってくる。
切れていない蛍光灯もこの際、全取り換えしよう。
せめて部屋の中だけでも明るくしておきたい心境だ。



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デイサービス体験

2024年09月29日 | エッセイ
通所介護施設のデイサービスを両親が体験利用した。
10時から15時半までの1日コースである。
わたしが午後から見学に行くとちょうど自由時間だった。
利用者数35人以上の大所帯の割には静かな空気が漂っており、スタッフが忙しそうに動き回っている。
利用者さんはいくつものテーブルに分かれて湯呑を片手に座っている。
主任スタッフ氏が、両親のいるテーブルまでわざわざ案内してくれたが、なんとなく照れくさい。
父は新聞を広げ、母は色鉛筆片手にぬり絵をしている。
たくさんの高齢者の中の両親、という身慣れない光景が新鮮で面食らう。
週に1度の訪問看護もぬり絵が多い。ぬり絵は介護サービスの「定番」らしい。

昼食はすでに終わっていた。
ちなみにメニューは鶏きのこのあんかけ、ちくわのきんぴら、なます、わかめたっぷりの味噌汁で、偏食の父には予想通り食べられないものが多かったが、おかずを交換しあってふたりで完食したそうだ。

自由時間が終わると、午後の体操の時間である。
モニターの前にスタッフさんが椅子を並べ、皆さんを誘導している。
合間を縫ってくだんの主任さんが、ここのデイサービスの様子を説明してくれたり、風呂などの設備を案内して回ってくれる。
体操が始まった。
モニターに映る体操のお兄さんの動きを真似て、利用者さんが椅子に座ったまま手足を動かしている。
背後には、ひばりの『川の流れのように』が流れている。
曲の選定は妥当だ。
が、手を垂直に上げて回す動作のときには「窓拭いて、窓拭いて」、水平に動かすときは「テーブル拭いて、テーブル拭いて」という歌詞がついており、後ろで見ていて思わず笑った。
その可笑しみを是非誰かと共有したくて、回りを見回したが、誰も気にも留めていない。
スタッフや利用者さんにとっては毎日のことなので、特段珍しくもないのだろう。

体操のあとはリクレーション。麻雀、ゲーム、カラオケ、朗読……とそれぞれのグループに分かれる。
両親はゲームを選択。
内容は日替わりなのだそうで、その日は、寿司桶に散らばった洗濯ばさみやピンピン玉を割りばしでつまんで手元の容器(ペットボトルの再利用)に落とし込む。その数を、向かい合わせに座った利用者さんと競うというもの。
「なんだ、こんなことさせやがって!」と言葉には出さないが、父がそう思いつつ、それでも緑内障で目が悪いのでもたもたしてしまう我が身にじれながらやっている様子が伝わってくる。
母のほうは、ことさらチャッチャッと素早くつまんでみせて、負けまいと奮闘しているのがわかる。
スタッフに「早い、早い、練習など必要ないですねえ」と褒められている。
中にはすぐに眠ってしまうかたもいて、半ば無理やり揺り起こされているのを見ると、そんなに無理に参加させなくてもいいのに……、でも家族からは、なるべく日中は起こしておいて欲しいとお願いされているのかも、などとあれこれ思う。
高齢になっても、学校のごとく”みんなご一緒に”の集団行動はついてまわるのだと思い知る。
カラオケグループからは、淡谷のり子や橋幸夫、島倉千代子などの親世代の曲から、ジュリーやジュディオングなどわたしたち世代の曲まで、いずれも昭和の歌が聞こえてくる。
自らマイクを取って歌うかたあり、モニターの曲に合わせて口ずさむかたあり……。

最後はおやつである。
お茶とカスタードケーキが配られる。
部外者のわたしにまでお茶を出してくれたが、父が自分のケーキを強引にこちらに押しやるので、わたしが欲しがっているように思われるのではないかと、いたたまれない。
午後3時半。
お誕生日を迎えた利用者さんのために皆さんで「ハッピバースデイツーユー♪」を合唱し、連絡帳と荷物が各自に配られて、送迎車を待つ。
本日は体験ということもあり、帰りの車は利用せず、わたしと3人、タクシーで帰ることにした。
くだんの主任さんが父に手を添えて玄関まで見送りに出てくれ、車が出るときに手を振ってくださった。
チェックアウトの朝、旅館仕立ての送迎バスで駅に向かうときのようである。

そして翌朝。
ひと晩経つと、体調や感想も変化する。
父母曰く、「ずーっと座りっぱなしだったから、お尻が痛かった」。
彼らとも痩せ過ぎたために尾てい骨が飛び出して、長く座っていると骨が刺さるようなのだとか。
「もっと体を動かしたかったわ」
「お茶ばかり何度も出てきた」
人数が多過ぎて、なにかするのにも、順番が回ってくるまでの待ち時間が長過ぎたようだ。
確かに、なるべくからだを動かさずに済むように、いたれりつくせりの対応だったが、例えば自分で読んだ新聞ぐらいは、自分でもとに戻す、ぐらいの体を動かす機会があったほうがいいのに、とわたしも感じた。
しかし、利用者の体調レベルはさまざまだ。
むやみに動かして転倒でもしたら大変だ。
少ないスタッフで安全第一にとなれば、慎重にならざるをえないのだろう。
散歩重視、栄養のバランス重視、と当節提供するサービスも事業所ごとにいろいろだ。
ケアマネさんにお願いして半日コースを再体験させてもらうことにしたが、選択肢があることはありがたくもあり、悩ましくもあり、である。
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百閒さん

2024年09月26日 | エッセイ
内田百閒の日記帖を読み始めてずいぶん経つ。
毎日毎日実に詳しく、今日の天気や起きた時間、何をしたかどこへ誰と行ったか、何時に就寝したかを綴っている。
とりたてて代わり映えがしない日常だが、読んでいて飽きない。
百閒さん30代前半の頃の話だが、士官学校と機関学校の先生を委託されており、人並み以上の収入を得ていながら、妻や子供たち、祖母、母を養うのにそうとうお金の算段に苦労している様子が、伝わってくる。
あっちから借りたお金を返すために、こっちから借りようと奔走の毎日を過ごす日々。
写真を見ると、いかにも孤高を保った風貌だが、実際にはそうではない。
毎日連れ立って飲み歩く友達、お金を貸してくれる知人が何人かいる。
そして借りる相手も、自分と同じく貧乏だ。
同類ならば、こちらの気持ちがわかってくれるだろうということだろうか。
知り合いからだけは借金をしたくないと思うのが一般的だと思うのだが、そうも言っていられないのだろう。
そして、ひとまず手元にお金がはいるとホッとひと安心、まっすぐに家に帰ると思いきや、途中でレストランに寄って食事をとり、酒を飲んでしまう。
そこが百閒さんの百閒さんたる所以だ。
子供の頃裕福な家で過ごし、金銭的に困ったことがない人は、節約とは無縁、長じてもどこか楽観的で、好きなものを我慢するということは思いつかないのかもしれない。
悲惨な生活なのに、悲壮ではない。

日記の中では、〇〇の家や職場に行ってみたら留守だったという文面が多い。
スマホがあったら、こういうすれ違いも起こらず、時間も無駄にならなかったのにねえ、と百閒さんのために残念に思う。
遠い昔の(大正時代の)人なのに、彼と一緒にがっかりしたり、ホッとしたりしている自分に気がつく。
居なくなってしまった飼い猫を待ち続ける『ノラや』も、ずいぶんと感情移入して読んだことを思い出した。
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気のせい!?

2024年09月20日 | エッセイ
長年お世話になっている医師のグループカウンセリングに参加した。
7月の個人面接以来、2か月ぶりである。
気がかりなことがなにひとつ解決しないうちに、次の気がかりが発生する。

集まったのは10人ばかり。
それぞれ抱える問題や課題を順繰りに話す。
それらに対して先生がコメントをする。参加者は原則、言いっぱなし聞きっぱなしである。
つきあいが長いと自然、顔見知りができる。
そのために、顔ぶれによっては、話しづらいなあと感じることもある。
どういうわけかそう思っている相手とは偶然隣同士の席になることも多い。

今回のわたしのテーマは腰痛。
整形外科の集まりではないが、夏樹静子さんの『椅子がこわい』という本ひとつとってみても、腰の痛みは、心理的なこととは無縁ではないという説も多い。
自分でもおおいに心当たりがある。
「自転車や電車に乗っているときや、丸まって本を読んでいるとき、自分の家の椅子に座っているときは、痛くないんです」とわたし。
すると先生曰く「それはいいじゃないですか」と肯定的な場面を拾ってくれる。
続けて、「ネット上で、これが効く、あのストレッチが良いという情報はたくさんあるけど、皆さん、あくまでも、自分にとって良かったからアップしてるだけです。じっくり話を聞いてくれる治療者を探しあてると、その人の顔を見ただけで治ったりすることもあるんですよ。長く生きていれば、腰椎のひとつやふたつ、ずれていてあたりまえです」。
なるほど。
確かに、レントゲン所見はあるのは事実だが、腰椎がずれているすべての人が痛い症状に悩んでいるわけではない。
そういえば、かかりつけの整形外科医も、「ストレッチがいいというのは、気のせいですよ」と言っていた。
MRIもとってくれないのを不審に思っていたが、ずれ具合が大きくないからかもしれない。
そして痛みが出る場面の話になる。
「実家」とわたしが答えると、すかさず「お母さんの話を聞いていると痛くなるんだろ」と先生。
「そうそう、そうなんです」とわたしが答えると、周囲から笑いが起きる。
「尽きることのない話を聞いていると、(腰が)じくじくしてきます」。
別居している負い目もどこかにあり、実家に帰ったときには、今生の別れとばかりに、がっぷり四つに組んで、彼女の言葉をひとことも聞き漏らすまいと緊張して座っていたことを思い出した。

グループカウンセリングは約2時間半。
その間、硬い椅子に座っていたので、多少腰とお尻が痛んできた。
「これはやばいかも――」。
が、終わって外に出て歩き出すと、腰がウソのように軽くなっており、チクリともしない。
「え、うそ」と思わず声に出してしまう。
これって心理効果???
久しぶりにどこも痛くない腰と足の感覚を味わってスキップしたい気分になった。
が、一方では、これっていつまで続くのかな、と半信半疑。

電車で家の最寄り駅に着くと、まさかの土砂降りである。
雷鳴と稲光がすさまじい。
濡れるだけならいいが、こんな中、自転車に乗っていては雷に打たれそうだ。
小降りになるまで時間をつぶそうと、併設のスーパーで買い物をする。
豆腐2丁と大振りなリンゴ1個、野菜ジュース2本。
さらに実家に電話。
その間、段々と腰がじくじくとしてきた。
気を良くして油断したか。
元の木阿弥である。

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