TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

早くも……

2024年08月31日 | エッセイ
実家に台風見舞いの電話をする。
するとついでのように母曰く、「火曜日の〇〇さん、8月いっぱいでおしまいにしてもらうように、△△さんに電話しておいたわ」。
〇〇さんとは、母を毎週火曜日に訪問してくれている看護師、△△さんはケアマネである。
訪問看護ステーションの管理者、〇〇看護師、そしてケアマネさんが実家に勢ぞろいして、訪問看護の契約書を取り交わしたのは7月。
母の体調に不安があったために、安否確認を兼ねて、わたしが依頼したのである。
契約の説明中、母も、「そうね、そうね」と乗り気なお返事をしていたが、あとになって「何が始まるの」「何をしてくれるの」と、実は訪問看護について理解していなかったことがわかった。
実際、訪問看護の時間は、バイタルチェック、脳トレや折り紙、軽いストレッチ、残りは専ら母のおしゃべりで過ぎるようで、母も看護師も、訪問看護の必要性について疑問を抱き始めているようだった。

思えば、訪問介護の計画も、「自分の目で確かめながら買い物をしたいから」という母の鶴のひと声?で計画倒れになり、訪問リハビリも、「あのくらいなら自分で歩ける」と、2,3か月で終了となった。
そのたびにケアマネさんに御足労をおかけしている。

まあやってみないとわからないのだから、何でも試してみるのはいいのかもしれないが、そもそも介護保険サービスというもの、「試す」余裕のある時に頼む性質のものではなく、必要性に迫られてやむをえず、という時にお願いする類のもののような気がしないでもない。
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