父の入院、退院にまつわるできごとに追われるように12月があっという間に去った。
もはや順序だてて思い出すことさえできない。
合間にひとり住まいの家に戻り、パソコンに向かい、ここ数日のできごとを日記風に書くことで、気持ちを少しだけ冷静に戻すことができる。
わたしのほうが、”ショートステイ”させてもらっている感じだ。
大みそかには、父が風呂にはいりたがり、ひと悶着起きた。
医者からは、危険だからと止められているのだ。
初風呂は、年明けに、訪問看護師さん付き添いのもとでということになっている。
「だいじょうぶだから」と頑として自分ではいろうとする父と「危ないじゃないの! 何かあったらわたしたちが警察に捕まるのよ!」と叫ぶ母。
湯船をつかむ父の手が、からだを支えるのに精いっぱいでプルプル震えているが、それでも彼にしてみれば、「だいじょうぶ」なのだ。
どっちもどっちな発言だが、一事が万事。自分の思い通りに食事をさせようとする母と、「あとで」「落ち着いたら」と言ってのらりくらりと、いつまでたっても食べようとしない父の間でゴタゴタが起きる。
一種のパワーゲームだ。母の言うなりに「食べない」ことで父がその場の雰囲気を牛耳っているように見える。
ふたりとも相手に「主権」を譲りたくないようだ。
そもそも、ずっと寝ているのに、「落ち着いたら食べる」、という言い分も滑稽だ。
母の不機嫌が苦手なわたしはつい母の機嫌をとろうとしまい、このふたりの共依存関係にまきこまれていく。
ヒトにに限らず、食べなくなったらおしまい、という言説も気にかかり、父の摂食量に気分ごと振り回される。
何でもない時にはうまく取り繕えていた家族の関係性が、こうした緊急時にあらわになる。
夜は、慣習にしたがってインスタントそばで年越しそばとする。
入れ歯の不具合からか、歯茎でそばをかみ切ろうと奮闘する父。どうしたって脇からは食べこぼし。
介護はきれいごとではない、と経験者が言っていた意味が少しわかるようになった。
メンタル面だけではない。
風呂にはいらない日が続けば、体全体、いや、部屋全体が匂うようになる。
湯船にはいるとき、洗い損ねた下着が放り込まれていないかをつい、確認してしまうこと……。
父や母の現状だけでなく、こうした些細なことひとつひとつを疎ましく思ってしまう自分から顔を背けたい。
受け入れ難く思ってしまう。
まだ序の口なのに。
さて年が明けた。
元旦は母と、甘ったるい味醂のお屠蘇で地味に乾杯。
わたしが、「とりあえず生きていたね」と言えば、母が「今年は波乱万丈の年になるわね」と返す。
確かにそうかもしれないが、彼女の発言は拘束力を持つ。
彼女の波乱万丈は、そっくりそのままわたしの背中に乗っかってくるだろう。
無事に年を超えたという安堵感はない。
山登りと違い、(医師の言う)山を越えたからといって楽にはならない。
次々と現れる山道をトボトボと、歩いていくのだろう。
いつ発射されるかわからない銃口を背中に向けられながら。
無論お正月気分ではない。
ではお正月気分とはどんな気分だったかと問われれば思い出せない。
デパートの初売りに出かけること?
テレビの正月番組を観ること?
負け惜しみではないが、そもそも正月は好きではなかった。
店も休み。テレビ番組は騒々しい。
加えて今回は、訪問看護も包括支援センターもお休みだ。
箱根駅伝はここ数年、興味深く見るようになったが、どんでんがえしの展開がなかったので、今年はいまひとつ盛り上がらなかった。
数年前のコロナ禍、初めてひとりで迎えた正月が1度だけあった。
ゆっくりとおせち料理のおすそわけを食べ、紅白なんて見ずに、除夜の鐘を聞きながら早く寝た。
今思えば、さびしくもなく穏やかな年越しだった。
わたしが「年賀状、届いているかも」と言うと、母がポストまで見に行った。
まだ来ていなかったらしく、「来てないわ。元旦だから年賀状は休みなのよ」と言う。
元旦に来ないでいつ来るんだ?!
母と話がかみ合わないことが多くなった。
同じできごとでも、別の場面ではスッと通じることは多いのに。
認知機能が衰え始めた人に対して、「そうじゃないでしょ!」と否定するのは良くないと書いてあったが、どうしても、母にはもとのしっかりした状態を取り戻してほしいと思い、ついきつい言い方になり、事実を教え込もうとしてしまう。
命に関わることでなければ「そうだね」と調子を合わせておけばいいらしいが、なんだか諦めきれない。
母も、わたしに否定されまいと緊張しているように見える。
緊張すると、余計頭が真っ白になって間違えてしまうのかもしれない。
もはや順序だてて思い出すことさえできない。
合間にひとり住まいの家に戻り、パソコンに向かい、ここ数日のできごとを日記風に書くことで、気持ちを少しだけ冷静に戻すことができる。
わたしのほうが、”ショートステイ”させてもらっている感じだ。
大みそかには、父が風呂にはいりたがり、ひと悶着起きた。
医者からは、危険だからと止められているのだ。
初風呂は、年明けに、訪問看護師さん付き添いのもとでということになっている。
「だいじょうぶだから」と頑として自分ではいろうとする父と「危ないじゃないの! 何かあったらわたしたちが警察に捕まるのよ!」と叫ぶ母。
湯船をつかむ父の手が、からだを支えるのに精いっぱいでプルプル震えているが、それでも彼にしてみれば、「だいじょうぶ」なのだ。
どっちもどっちな発言だが、一事が万事。自分の思い通りに食事をさせようとする母と、「あとで」「落ち着いたら」と言ってのらりくらりと、いつまでたっても食べようとしない父の間でゴタゴタが起きる。
一種のパワーゲームだ。母の言うなりに「食べない」ことで父がその場の雰囲気を牛耳っているように見える。
ふたりとも相手に「主権」を譲りたくないようだ。
そもそも、ずっと寝ているのに、「落ち着いたら食べる」、という言い分も滑稽だ。
母の不機嫌が苦手なわたしはつい母の機嫌をとろうとしまい、このふたりの共依存関係にまきこまれていく。
ヒトにに限らず、食べなくなったらおしまい、という言説も気にかかり、父の摂食量に気分ごと振り回される。
何でもない時にはうまく取り繕えていた家族の関係性が、こうした緊急時にあらわになる。
夜は、慣習にしたがってインスタントそばで年越しそばとする。
入れ歯の不具合からか、歯茎でそばをかみ切ろうと奮闘する父。どうしたって脇からは食べこぼし。
介護はきれいごとではない、と経験者が言っていた意味が少しわかるようになった。
メンタル面だけではない。
風呂にはいらない日が続けば、体全体、いや、部屋全体が匂うようになる。
湯船にはいるとき、洗い損ねた下着が放り込まれていないかをつい、確認してしまうこと……。
父や母の現状だけでなく、こうした些細なことひとつひとつを疎ましく思ってしまう自分から顔を背けたい。
受け入れ難く思ってしまう。
まだ序の口なのに。
さて年が明けた。
元旦は母と、甘ったるい味醂のお屠蘇で地味に乾杯。
わたしが、「とりあえず生きていたね」と言えば、母が「今年は波乱万丈の年になるわね」と返す。
確かにそうかもしれないが、彼女の発言は拘束力を持つ。
彼女の波乱万丈は、そっくりそのままわたしの背中に乗っかってくるだろう。
無事に年を超えたという安堵感はない。
山登りと違い、(医師の言う)山を越えたからといって楽にはならない。
次々と現れる山道をトボトボと、歩いていくのだろう。
いつ発射されるかわからない銃口を背中に向けられながら。
無論お正月気分ではない。
ではお正月気分とはどんな気分だったかと問われれば思い出せない。
デパートの初売りに出かけること?
テレビの正月番組を観ること?
負け惜しみではないが、そもそも正月は好きではなかった。
店も休み。テレビ番組は騒々しい。
加えて今回は、訪問看護も包括支援センターもお休みだ。
箱根駅伝はここ数年、興味深く見るようになったが、どんでんがえしの展開がなかったので、今年はいまひとつ盛り上がらなかった。
数年前のコロナ禍、初めてひとりで迎えた正月が1度だけあった。
ゆっくりとおせち料理のおすそわけを食べ、紅白なんて見ずに、除夜の鐘を聞きながら早く寝た。
今思えば、さびしくもなく穏やかな年越しだった。
わたしが「年賀状、届いているかも」と言うと、母がポストまで見に行った。
まだ来ていなかったらしく、「来てないわ。元旦だから年賀状は休みなのよ」と言う。
元旦に来ないでいつ来るんだ?!
母と話がかみ合わないことが多くなった。
同じできごとでも、別の場面ではスッと通じることは多いのに。
認知機能が衰え始めた人に対して、「そうじゃないでしょ!」と否定するのは良くないと書いてあったが、どうしても、母にはもとのしっかりした状態を取り戻してほしいと思い、ついきつい言い方になり、事実を教え込もうとしてしまう。
命に関わることでなければ「そうだね」と調子を合わせておけばいいらしいが、なんだか諦めきれない。
母も、わたしに否定されまいと緊張しているように見える。
緊張すると、余計頭が真っ白になって間違えてしまうのかもしれない。
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