第6回国際女子相撲選抜堺大会が4月15日、堺市の大浜公園相撲場であった。国内外の力士約70人が参加し、女性たちが土俵上にて、個人戦と団体戦で真剣勝負を繰り広げたそうだ。
このように女子相撲大会が国際的になってきた一方、相撲協会は伝統的に女人禁制との立場を貫き、伝統を守って国内に閉じこもっていたいようである。現在、大相撲の世界では伝統が問われている。しかし、伝統と振りかざしても、現在の大相撲の形式が整ったのもそう古い話では無い様だ。
相撲の起源を辿ると日本書紀の時代まで遡るそうだ。そこに相撲との言葉が明記されており、女性の相撲も登場し、相撲は神事と言うより、娯楽の要素が強かったようだ。現代でいえば女子プロレスの様なイメージであろう。男性の相撲がどのように行われたかについては定かではないが、女性の格闘を見せ物として楽しむ欲求の存在が確かにあったようだ。
また古代に於いては、相撲は豊作の吉凶を占う年占の農耕神事として行われてきたという歴史もあり、そういった経緯から、古くから相撲はお祭りの重要な要素とされてきたのだそうだ。そこにおいては、真剣勝負は二の次であり、吉と出るような手加減相撲や、見る者を喜ばせる八百長相撲も行われていたと容易に想像がつく。
江戸時代には豊作や無病息災を祈念して神仏の前で行う奉納相撲、 寺社の建築、修繕などの募金を目的とした勧進相撲、見世物的な女相撲など多種多様であったようだ。その中でも、全国的な興業としての女相撲が行われ、女力士が存在していたとのことだ。女相撲は戦前まで全国巡業もあったそうで、東北や九州では今なお祭礼行事として残っている場所もあるとのことだ。
女相撲は細々ではあるが、昔から脈々と続いていると想像される。いつの時代でも庶民の娯楽は必要であり、見世物的な要素が、特に男性を喜ばせる要素が長続きさせる秘訣と思われる。
明治時代では新政府が誕生すると、風俗慣習に対しても西欧を真似た新秩序が持ち込まれ、裸に対する規制も厳しいものとなり、見せ物として一時期は処罰の対象ともなったようだ。興業に対して厳しい規制がかけられ、女相撲に対しても厳しい目が向けられるようになったとのことだ。
近代の大相撲の女人禁制は土俵の聖域化を進め、世俗化を避け、権威を高めるために考え出されたものでは無いかとの主張もあるが、納得できる説である。
女人禁制の理由つけには諸説あるようで、土俵が穢れるから、女性が土俵に入ると危険だから、土俵の神様が女性のため、他の女性が土俵に上ると嫉妬してしまうから、等があるようだが、何とか理屈をつけて女性を遠ざけることにより格好を付けているだけとの気がする。その時代に発言力のある人間が、永い歴史の中から都合の良い言説を持ってきて利用しているだけかも知れない。
現在女人禁制の一番説得力がありそうな説は、神事としての位置づけである。大相撲の土台となったのは神事儀礼としての相撲であり、相撲の根底はあくまでも“神事”であるとの主張である。
確かに、宗教の世界では、神道に限らず、仏教やキリスト教においても、女性を遠ざけている例は多い。宗教において女性を避ける根本理由は、女性がそれだけ性的に魅力的であり集中力を削がれることに尽きると思う。
大相撲においても、宗教的な色彩を強めて女人禁制を貫きたいのであれば、神事であることに徹底すべきである。神事であるからには、様式美が尊重され、格式が重んじられ、勝敗は二の次になろう。貴乃花親方の主張するガチンコ相撲もあくまでも演技としてなされるべきだ。
しかし、神事に徹した大相撲は能や歌舞伎のようにそれなりに人気は出るかも知れないが、現在のように連日満員御礼とはならないだろう。相撲協会も国民の人気を得ようと、真剣勝負を前面に出したり、格式や伝統を主張するのであろうが、女人禁制がどれほどの意味があるか考え直す必要があろう。2018.04.28(犬賀 大好-437)
このように女子相撲大会が国際的になってきた一方、相撲協会は伝統的に女人禁制との立場を貫き、伝統を守って国内に閉じこもっていたいようである。現在、大相撲の世界では伝統が問われている。しかし、伝統と振りかざしても、現在の大相撲の形式が整ったのもそう古い話では無い様だ。
相撲の起源を辿ると日本書紀の時代まで遡るそうだ。そこに相撲との言葉が明記されており、女性の相撲も登場し、相撲は神事と言うより、娯楽の要素が強かったようだ。現代でいえば女子プロレスの様なイメージであろう。男性の相撲がどのように行われたかについては定かではないが、女性の格闘を見せ物として楽しむ欲求の存在が確かにあったようだ。
また古代に於いては、相撲は豊作の吉凶を占う年占の農耕神事として行われてきたという歴史もあり、そういった経緯から、古くから相撲はお祭りの重要な要素とされてきたのだそうだ。そこにおいては、真剣勝負は二の次であり、吉と出るような手加減相撲や、見る者を喜ばせる八百長相撲も行われていたと容易に想像がつく。
江戸時代には豊作や無病息災を祈念して神仏の前で行う奉納相撲、 寺社の建築、修繕などの募金を目的とした勧進相撲、見世物的な女相撲など多種多様であったようだ。その中でも、全国的な興業としての女相撲が行われ、女力士が存在していたとのことだ。女相撲は戦前まで全国巡業もあったそうで、東北や九州では今なお祭礼行事として残っている場所もあるとのことだ。
女相撲は細々ではあるが、昔から脈々と続いていると想像される。いつの時代でも庶民の娯楽は必要であり、見世物的な要素が、特に男性を喜ばせる要素が長続きさせる秘訣と思われる。
明治時代では新政府が誕生すると、風俗慣習に対しても西欧を真似た新秩序が持ち込まれ、裸に対する規制も厳しいものとなり、見せ物として一時期は処罰の対象ともなったようだ。興業に対して厳しい規制がかけられ、女相撲に対しても厳しい目が向けられるようになったとのことだ。
近代の大相撲の女人禁制は土俵の聖域化を進め、世俗化を避け、権威を高めるために考え出されたものでは無いかとの主張もあるが、納得できる説である。
女人禁制の理由つけには諸説あるようで、土俵が穢れるから、女性が土俵に入ると危険だから、土俵の神様が女性のため、他の女性が土俵に上ると嫉妬してしまうから、等があるようだが、何とか理屈をつけて女性を遠ざけることにより格好を付けているだけとの気がする。その時代に発言力のある人間が、永い歴史の中から都合の良い言説を持ってきて利用しているだけかも知れない。
現在女人禁制の一番説得力がありそうな説は、神事としての位置づけである。大相撲の土台となったのは神事儀礼としての相撲であり、相撲の根底はあくまでも“神事”であるとの主張である。
確かに、宗教の世界では、神道に限らず、仏教やキリスト教においても、女性を遠ざけている例は多い。宗教において女性を避ける根本理由は、女性がそれだけ性的に魅力的であり集中力を削がれることに尽きると思う。
大相撲においても、宗教的な色彩を強めて女人禁制を貫きたいのであれば、神事であることに徹底すべきである。神事であるからには、様式美が尊重され、格式が重んじられ、勝敗は二の次になろう。貴乃花親方の主張するガチンコ相撲もあくまでも演技としてなされるべきだ。
しかし、神事に徹した大相撲は能や歌舞伎のようにそれなりに人気は出るかも知れないが、現在のように連日満員御礼とはならないだろう。相撲協会も国民の人気を得ようと、真剣勝負を前面に出したり、格式や伝統を主張するのであろうが、女人禁制がどれほどの意味があるか考え直す必要があろう。2018.04.28(犬賀 大好-437)