日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

入試改革は必要か

2016年02月27日 09時12分36秒 | 日々雑感
 中教審(中央教育審議会)は、26年12月、新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた「高校教育-大学教育-大学入学者選抜」の一体的改革についての『答申』を下村博文・文科大臣に提出した。超少子高齢・人口減少社会、生産年齢人口の急減、グローバル化の進展など、これまで経験したことのない厳しい時代を迎え、若者の将来に向けた多様な夢や目標を支える教育改革を“待ったなし”で進めなくてはならないとしている。

 改革の中身はいろいろあるようであるが、そのひとつは、大学入試センター試験に代わる新テスト「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」で 思考力・判断力・表現力を中心に問うものであるようだ。当面は、国語と数学の2教科で実施し、解答の字数は最大で300字程度になるようだ。

このような変革を想定し、早くも今年の私立中学の入試で、この種の問題を取り入れる動きがあるとのことだ。例えば”「成熟社会」を生きるために小学生でできることを300字以内で書け”と言った問題だ。記憶力試験に慣れた人間にとって、どう回答したらよいか戸惑うばかりである。

 従来の記憶力を重視した大学入試センター試験では、答えは一つであるため採点に迷うこと無く、公平性の点では問題ないと思う。しかし、上記ような問いに対する模範解答は無いため、公平性を期待することは無理である。約50万人が受けるマンモス試験で、採点を公平かつ円滑に行えるとはどうしても思えない。

 そもそも、現行の公平性抜群のセンター試験をなぜ変えなくてはならないか。日本はこれまでに経験したことの無い少子高齢化社会という新しい時代を向かえており、それにふさわしい人材を必要としているのは確かであろう。一千兆円を超える借金と社会保障の充実をどうやって両立させるかの解は誰も見つけられない。時代にふさわしい人材とは、これまでの常識に囚われない、すなわち記憶力より思考力・判断力・洞察力に秀でた人間のような気がするが、記憶力重視で育ってきた人間に、時代にふさわしい人材となる人間を選別出来るのであろうか。

 中教審の委員がどのような人で構成されているか知らないが、その人々は新しい時代にふさわしい人材の育成を入試改革で実現できると思っているのであろうか。それより大学のあり方そのものが問われるべきと思う。
 
 現在でもセンター試験を通過した者には、大学独自の入学試験が控えている筈であり、どちらかと言えばそちらの方を問題視すべきであり、更に大学における教育のありかたを問題にすべきである。大学としては、独自の方法で入学させた学生を独自の方法で教育し、世の中に送り出せばよいのだ。学生の資質の評価は世の中がやってくれるであろう。

 時代の先頭を走るグーグル社は人材採用で学歴・成績を無視するとのことである。グローバル化された企業では世界の様々な人材と競争しなくてはならない。この点、日本の企業も学歴重視による採用を今後変えざるを得ないだろう。大学も当然変革を余儀なくされ、そこで時代に即した人材となるように教育すればよいのだ。そのために、そこでの教育方針に即した人間を入学させればよい。かと言って、簡単にベストな方法が見つかるわけでは無い。かなりな試行錯誤が必要であろうが、小回りの利く大学に任せておけばよいのだ。中教審は、あくまでも文科省の鶴の一声で右向け右する一律方針が理想なのであろうか。

 しかし、国家上級公務員となると話は異なる。前例踏襲型の人材は記憶力が最重要である。新たな発想は窓際族候補となる。現行の大学入試センター試験は、公務員とって一番ふさわしい選抜方法であり、変える必要は無い。
2016.02.27(犬賀 大好-211)

モンゴルの大気汚染と都市集中

2016年02月24日 17時52分57秒 | 日々雑感
 中国の大都市のPM2.5汚染はよくテレビで報道されるが、インドの大都市でも深刻らしい。これらの大都市は経済の発展が著しく、工場や自動車からの排ガスが主原因だろうと思っていた。その点、モンゴルの首都ウランバートルでも深刻との報道があった(2月18日)のには意外であった。

 PM2.5の汚染が深刻な北京では、500を超えると話題となるが、モンゴルの首都ウランバートルでは1000を越えることが日常的であるとのことで、益々驚かされる。この大気汚染の8割は、遊牧民の住処であるゲルなどで焚かれるストーブが原因であるとのことである。

 モンゴルと言えば大草原を馬で疾走する遊牧民をイメージするが、1990年代市場経済が導入されてから、彼らが働き口を求めて、草原を離れ、ウランバートルで定住するようになったためらしい。ウランバートルの人口が、99年に76万人であったが、14年に136万人と、国の人口の45%がウランバートルに住むようになったとのことである。

 これは、首都での暮らしが草原の暮らしより何かと便利で快適なためであろう。しかし、首都での労働は低賃金でその多くは貧しく、安い石炭を買わざるを得ず、そのために大気汚染を引き起こすようである。それでも都会の生活を選ぶとなると、自然の中での暮らしが如何に過酷か、あるいは都会での暮らしの快適さがあるのであろう。大都会の片隅に居住する筆者が、モンゴルの大自然にあこがれるのは、都会の生活に慣れきった奢りであろう。

 都会にあこがれるとの話は、自然が豊かな日本でもよくある話である。自給自足の生活に満足するのであれば、日本の国中たいていの所で住むことが出来る。しかし、若者は活力のある都会にあこがれ、老人は病気のことを心配して都会に集中する。近代技術で守られた都会は、安心・安全で、永遠に続くように思われるが、万が一の自然災害に見舞われた場合の食糧確保等を考えると、その脆弱さに愕然となる。日常口にする食べ物は、遠隔地で生産された食材が種々の運輸手段を介して、直接あるいは工場を経て、また多くの人手を経てやってくる。これらの歯車が順調に動いているときは、我々の生活は安泰であるが、一つでも狂うと、生存が脅かされることにもなる。

 歯車が狂う危険性は頭では理解できても、なかなか実感されない。M7クラスの首都直下地震が今後30年の内に70%の確立で起こる予告されても、首都集中は一向に収まらない。大半の人々が4年後の東京でのオリンピックやパラリンピック開催に賛成している訳だから、いくら警告しても効き目は無いのは当然である。

 モンゴルには、地震や水害の心配は少ないだろうが、寒波や旱魃の危険は多くあるに違いない。自然の恵みが豊かな日本でも首都圏集中が収まらない訳だから、モンゴルでの都市集中は今後一層増えるに違いない。2016.02.24(犬賀 大好-210)

北朝鮮への制裁の後に来るもの

2016年02月20日 09時20分39秒 | 日々雑感
 今年2月始め、北朝鮮が核実験に続いて、長距離弾道ミサイルを発射した。国連安保理は、早速非難声明を出したが、制裁決議案は一ヶ月以上も決まらないままだ。これは、中国、ロシアが、過度な制裁は北朝鮮の崩壊に繋がり、難民流出等、即国内問題となることを恐れているかだと言われている。

 これに業を煮やして、その他の関係国は独自の制裁を始めている。米国は、核・ミサイル開発に関する材料や技術の取引禁止等を決めている。法が禁止するのは、あくまでも核・ミサイル開発に関することで、外貨獲得手段である石炭取引そのものは禁止していないとのことだ。

 韓国政府は、南北協力事業である開城工業団地の操業を全面中断した。この団地は北朝鮮の主要な外貨収入源で、北朝鮮にとって痛手になることは間違いないが、韓国にとっても大きな損失とのことである。しかし、ここで稼いだ金の大半が核・ミサイルの開発の投ぜられたとの大統領の反省表明があり、決意の固さが感ぜられる。
 
 日本も、安保理決議を待たずに、独自制裁を決めた。しかし、拉致問題で日朝間の「人・モノ・カネ」の流れは既に厳しく取り締まられており、09年の夏以降、貿易実績はゼロが続くそうで、効果は疑問視されている。固くしまった蛇口をもう一度閉めなおすような作業との政府高官のコメントもある。

 関係各国の独自制裁は、靴底から足の裏を掻いているようなもので、本当の効き目は中国の出方次第のようだ。国際世論に押され中国も北朝鮮に対する何かしらの制裁を始めると思うが、北朝鮮は米国に対する防波堤の役目と考える中国にとって、現状維持が最もよく、国家破綻は望むところではないようだ。
 
 各国の制裁は、核実験やミサイル発射に対する制裁であり、国家破綻にまで追い込むことは考えていないだろう。金正恩体制が平穏に民主主義体制に移行するのが理想であろうが、側近がどんどん粛清される超独裁体制を固めつつある現在、金正恩がおとなしく引き下がるとは思えない。

 金正恩体制の破綻は即国家の破綻となるような気がするが、国家破綻となるとどのような状況になるのであろうか。国家の混乱は、イラクやシリアに見られるが、反体制派の存在や宗教間の対立が有りそうも無いなので、同一視は出来ないだろう。内乱状況になるとすればロシア・中国と米国の代理戦争となるであろう。間違いないのは、一番の被害者は、北朝鮮の普通の人々と言うことだ。何十万、何百万の人が中国や韓国に、日本にだって押し寄せるだろう。決死の覚悟で日本海を渡ってくる難民を日本は受け入れる覚悟はあるだろうか。

 日本は、北朝鮮に対し拉致問題も抱えている。北朝鮮による拉致被害者家族連絡会の飯塚繁雄代表は、国連安保理で協議中の制裁について、「日本の拉致問題を理由とするという一項目を是非入れて欲しい」と訴えているが、空しく響くばかりである。拉致問題は関係する家族にとって真に心の痛む問題であるが、その影響力から見て核、ミサイル問題の方がはるかに大きな問題であるからだ。

 拉致問題は人道問題に違いない。北朝鮮国内における貧困問題を始めとして世界には貧困問題が満ち溢れている。 最近のシリアやイラクからの難民も大きな人道問題であるが、日本の関心は他人事である。

 また、北朝鮮は金正恩にとって都合の悪い人間は簡単に抹殺される世界である。拉致された人間が無事生きているとは到底思えない。日本の制裁に対して、北朝鮮は調査の中止で反撃してきたが、今更何を言っているの感である。拉致問題の解決は、金正恩体制の崩壊、すなわち、北朝鮮破綻と引き換えで無ければ、成し遂げられない気がする。
2016.02.20(犬賀 大好-209)

イランの将来を考える

2016年02月17日 09時38分44秒 | 日々雑感
 欧米など6カ国とイランによる核協議の最終合意を受け 、経済制裁を解除すると1月16日に発表された。国際原子力機関(IAEA)が核開発施設の縮小や濃縮ウランの搬出の終了を確認したからだそうだ。経済制裁解除によりイランからの石油輸出が増大し、世界には石油が一層過剰に出回る恐れが出てきた。こうなると石油価格が暴落するそうで、一般庶民は安くなるに越したことはないと気楽に構えているが、黒田日銀総裁を始めとする経済界は戦々恐々のようだ。

 つまり石油価格の暴落は、石油輸出国はその儲けが減るため世界への投資資金を減らし、結果世界経済の低迷を招くことに繋がるからとの話である。石油が安くなれば、それで活発化する企業もあるはずである。モノの価格は、供給と需要のバランスによって決まるのであろうから、バランスが取れるまでの混乱期と見れば、時間が解決する問題であろう。

 イランは、石油の埋蔵量世界4位の、天然ガスは1位の資源大国であり、人口7850万人と先進国から見ると将来性のある市場である。しかも、観光資源となる古代歴史遺跡の宝庫でもある。何しろ紀元前500~300年ごろ栄えたペルシャ帝国の中心であった。日本企業の期待も大きく、昨年10月に投資協定を結ぶことで合意したそうだ。

 このような有望な市場を目指して、日本ばかりでなく世界各国は動き出している。今年、1月末には、習近平中国国家主席がイランを訪問した。恐らくアジアインフラ投資銀行 を介して、膨大な資金をインフラ整備に投資する計画であろう。中国は、米国や日本が経済制裁を強めている間も積極的にビジネスを進めていたそうで、既に自動車から日用品まで中国製品があふれているとのことだ。

 一方、イランのロハニ大統領はイタリア、フランスを初外遊し、先月28日帰国した。フランスでは航空機118機(3兆円)を発注したとの話である。また、独は、鉄道事業でシーメンスが大型受注を決め、ソ連は、地対空ミサイルシステム「S300」の輸出を再開するそうだ。中国経済が低迷する中、世界各国は先を争って、イランに食指を伸ばし始めている。今後、イランの経済に華々しく発展するであろう。

 欧米による経済封鎖が解除される一方、昔から仲の悪いイスラエルは警戒心を緩めてはいないようだ。イスラエル首相府が発表した声明は、「イランは核合意締結後も、核兵器取得への野望を放棄していない。同国は国際公約に違反して、中東の安定を損ない、世界中にテロを拡散し続けるだろう」と警戒感をあらわにした。

 イスラエルは、西暦70年にローマ帝国によって滅ぼされ 1948年に再度建国するが、首都エルサレムは昔々のユダヤ教の聖地との名目で、周辺のイスラム教徒を押しのけて建国した。しかも、今日イスラエルは核保有国として暗黙の承認を受け、現在もパレスチナ地区で着々と領土を拡大し、磐石な国家を築きつつある。これをイランを始めとする周辺国家は快く思っていない。長年自分たちの土地だと思っていた所を異教徒が占拠し始めたのだから当然であろう。従って、イスラエルはいつ奪い返されるかも知れないとの懸念を持つことももっともである。

 欧米は、今後8年間に核協議の合意が破られた場合、再度経済制裁を科すと決めているようであるが、肝心なのは合意の内容がどこまで詳細に決められているかである。多分問題が発生した場合、核協議の合意内容の文言を巡って、争うことになるだろう。その間もイランは国力を着々と増すであろう。当然原子力発電にも手を出すであろう。原発技術は核兵器の技術を紙一重である。その内、核保有国となるに違いない。北朝鮮より国土は広く、人材・資金も豊富だ。このとき、核兵器は最大の抑止力として働き、イスラエルとイラン両国は少なくとも表面的には仲良く出来るのであろうか。
2016.02.17(犬賀 大好-208)

技術の変化の速さを「シャープ」に見る

2016年02月13日 09時35分29秒 | 日々雑感
 経営不振に陥っている「シャープ」は、経営再建を日本の官民出資の投資ファンド 「産業革新機構」に委ねるか、台湾の大手電子機器メーカー「ホンハイ精密工業」に委ねるか検討してきたが、2月4日台湾メーカを優先させる方針を決めたとのことだ。「産業革新機構」への道を残しつつ、今後一ヶ月を目途に正式決定するそうだ。もしこれが実現すると、7000億円を超える規模の資金で、台湾の大手電子機器メーカーに買収されることになる。シャープは、10年ばかり前、液晶テレビで世界の亀山モデルとして名を馳せたが、今やその面影も無い。経営上のミスがあったかもしれないが、その背景に技術の流れの変化の速さを感ずる。

 シャープは、1912年に早川徳次氏が創業した。1915年に「早川式繰出鉛筆」を発明し、これが「シャープペンシル」になり今でも広く使用されているが、この他、鉱石ラジオや電卓を世に送り出し、常に日本の技術を先導してきた。液晶テレビも電卓で培った液晶技術を更に発展させた結果であろう。シャープの没落は直接的には、液晶に対する過剰投資であると言われているが、その裏には電子技術が行き着くところまで行ってしまった運命的なものを感ずる。

 電子技術の発展は、1949年のトランジスターの発明からであろう。トランジスターがIC(IntegratedCircuit)になり、LSI(LargeScale IC)となり、集積密度が飛躍的に上がり、それに伴い周辺の電子部品も小型化され、一方では電子機器を制御するソフトウエアの飛躍的な進歩があった。そしてそれらが適用される電気、電子商品、所謂デジタル機器も日常生活の中に溶け込んでいった。シャープはこの技術の流れに乗り、常に時代の先端を走ってきた。

 電化製品のお陰で人々の生活は便利になり、日常生活においてこれ以上必要とされるものが見当たらなくなってしまった。”必要は発明の母”であるが、必要が無くなれば、発明の意欲も薄れ、大きな技術の進歩や変革は望めない。電子技術は小型化や高速化を目的に進歩してきたが、目標を見失い変革意欲が薄れると、必然的に技術の停滞に陥ってしまう。

 家庭用電気製品の電子部品に限れば、これまで以上の小型化や高速化は必要ないのだ。技術の停滞は、技術的な困難さより意欲の喪失にあるだろう。トランジスターが発明されてから、高が60~70年しか経っていないのに、早くも行き詰るとは、技術の変化の流れが何と速いことか。

 その昔、 企業の寿命30年説が流行ったことがあった。この説は1983年に日経ビジネスが企業の資産総額のランキングを基に唱えた説である。この一番の根拠は商品のライフサイクルにあると思われるが、シャープの場合商品を色々と変えたが、家庭用電子機器の点においては首尾一貫していた。

 家庭用電子機器と言えば、炊飯器からテレビまで多種多様であるが、それでも限界があるのだ。電子機器は家庭用以外の分野で、例えば医療用検査機器等の分野で今後も進歩していくのであろうが、量的には家庭用に遠く及ばない。

 この限界は、これまで家電製品を作ってきた、東芝、日立、ソニー等の大手電子機器メーカにおいても見られる。今や家電製品は大量生産による低価格化でしか生き残りを図れない。アップル社のiPhone も技術の停滞はいずれやって来る。いやもうそこまで来ているかも知れない。2016.02.13 (犬賀 大好-207)