先日、“タダでもらえる家だけ不動産 0円ハウス” と称するテレビ番組をみた。空き家問題が深刻化する中、日本各地で0円で家を譲ってもいい売主と、お金が無いけれど一軒家に住みたい人をマッチングする不動産バラエティであった。
バラエティであるのでどこまで真実か分からないが、物件は何れも魅力的であり、即座に譲り受けたいものばかりであったが、その後の維持管理や自身の生活を考えると、二の足を踏まざるを得ないと感じた。
小川のせせらぎ、小鳥のさえずり、竹林を渡る風等、地方農村には心癒される要素がふんだんにある。しかし、健康や日常生活に困らない金があって初めて味わえる情緒である。
最近、町興し、村興し等、地方活性化の運動が盛んである。その一つである鯖江市の取り組みが有名である。鯖江市は眼鏡のフレーム作りで有名であるが、それ以外は目だった産業が無い。そこで町の再生プランとして、眼鏡を鎖状につなげるギネス記録挑戦イベントの開催、中国と鯖江の交流、JR駅前にカフェとライブ会場を併設した図書館の設立などで町を盛り上げ、地域再生大賞の受賞もした。
しかし、その後鯖江市に新たな産業が起こり、若者が住み着き、人口が増え、町の再生がなされたであろうか。永続的な町の活性化のためには若者が生活費を得るための産業が必須である。イベント開催や話題つくりの施設の建設は一時的な賑わいでしかない。
都会の喧噪さに飽き、効率化や便利さを優先しない若者が増えているようであるが、彼らが田舎を目指しても、長期に安定した生活が可能なのは、健康な若い時に限られる。
情報通信の発展により、地方でも仕事が可能なのは、デザイナーのような才能ある極一部の人間でしかない。2年前、政府が東京一極集中の弊害に目を向け、官庁の地方移転の話を勧めた。
しかし、全面的な移転は文化庁の京都府への移転のみで、その他、広島県に移転済みの酒類総合研究所と大阪府が提案した国立健康・栄養研究所だけだった。京都府は地方といっても大都会だし、国立健康・栄養研究所は、2018年7月時点で、東京にあり、ホームページを見ても移転のいの字も出てこない。
中央省庁の地方移転は当初、地方活性化の起爆剤になるとの期待があった。北海道と兵庫県が提案した観光庁、大阪府と長野県が手を挙げた特許庁、大阪府が誘致を進めた中小企業庁、三重県が希望する気象庁は移転が見送られた。
移転反対の理由は、いくら情報通信が発展したと言っても、関係機関との意思の疎通が難しくなるからとのことであったが、一番の理由は職員とその家族の反対が強かったからであろう。何と言っても東京は文化の中心であり、勉強、就職、医療等、何事も便利である。
若い時に都会で稼ぎ、引退後地方でのんびり暮らす生活は幻想である。男性の平均健康年齢を70歳とし、60歳で定年退職すれば、10年間は田舎暮らしが可能であるが、問題はその後である。
医者、買い物等、交通手段が必須であり、地方での居住は高齢者には無理と言わざるを得ない。国が音頭を取った省庁の地方移転でも、地方と言っても片田舎では無く、しかもわざわざ国が仕事を用意してくれているのに上記の有様だ。
地方は、これまで農業、漁業、林業のいずれかで、それなりに栄え、人が住みついてきた。経済のグローバル化が押し寄せる昨今、これまで通りの手法では、地方の活性化は望めない。
若者が将来の夢を託せる地方は、いかにあるべきか? アイドルのイベントによる活性化とは全く別次元の命題である。答えは簡単に見つからないが、地方の疲弊は刻々と進む。2018.07.28(犬賀 大好-463)
バラエティであるのでどこまで真実か分からないが、物件は何れも魅力的であり、即座に譲り受けたいものばかりであったが、その後の維持管理や自身の生活を考えると、二の足を踏まざるを得ないと感じた。
小川のせせらぎ、小鳥のさえずり、竹林を渡る風等、地方農村には心癒される要素がふんだんにある。しかし、健康や日常生活に困らない金があって初めて味わえる情緒である。
最近、町興し、村興し等、地方活性化の運動が盛んである。その一つである鯖江市の取り組みが有名である。鯖江市は眼鏡のフレーム作りで有名であるが、それ以外は目だった産業が無い。そこで町の再生プランとして、眼鏡を鎖状につなげるギネス記録挑戦イベントの開催、中国と鯖江の交流、JR駅前にカフェとライブ会場を併設した図書館の設立などで町を盛り上げ、地域再生大賞の受賞もした。
しかし、その後鯖江市に新たな産業が起こり、若者が住み着き、人口が増え、町の再生がなされたであろうか。永続的な町の活性化のためには若者が生活費を得るための産業が必須である。イベント開催や話題つくりの施設の建設は一時的な賑わいでしかない。
都会の喧噪さに飽き、効率化や便利さを優先しない若者が増えているようであるが、彼らが田舎を目指しても、長期に安定した生活が可能なのは、健康な若い時に限られる。
情報通信の発展により、地方でも仕事が可能なのは、デザイナーのような才能ある極一部の人間でしかない。2年前、政府が東京一極集中の弊害に目を向け、官庁の地方移転の話を勧めた。
しかし、全面的な移転は文化庁の京都府への移転のみで、その他、広島県に移転済みの酒類総合研究所と大阪府が提案した国立健康・栄養研究所だけだった。京都府は地方といっても大都会だし、国立健康・栄養研究所は、2018年7月時点で、東京にあり、ホームページを見ても移転のいの字も出てこない。
中央省庁の地方移転は当初、地方活性化の起爆剤になるとの期待があった。北海道と兵庫県が提案した観光庁、大阪府と長野県が手を挙げた特許庁、大阪府が誘致を進めた中小企業庁、三重県が希望する気象庁は移転が見送られた。
移転反対の理由は、いくら情報通信が発展したと言っても、関係機関との意思の疎通が難しくなるからとのことであったが、一番の理由は職員とその家族の反対が強かったからであろう。何と言っても東京は文化の中心であり、勉強、就職、医療等、何事も便利である。
若い時に都会で稼ぎ、引退後地方でのんびり暮らす生活は幻想である。男性の平均健康年齢を70歳とし、60歳で定年退職すれば、10年間は田舎暮らしが可能であるが、問題はその後である。
医者、買い物等、交通手段が必須であり、地方での居住は高齢者には無理と言わざるを得ない。国が音頭を取った省庁の地方移転でも、地方と言っても片田舎では無く、しかもわざわざ国が仕事を用意してくれているのに上記の有様だ。
地方は、これまで農業、漁業、林業のいずれかで、それなりに栄え、人が住みついてきた。経済のグローバル化が押し寄せる昨今、これまで通りの手法では、地方の活性化は望めない。
若者が将来の夢を託せる地方は、いかにあるべきか? アイドルのイベントによる活性化とは全く別次元の命題である。答えは簡単に見つからないが、地方の疲弊は刻々と進む。2018.07.28(犬賀 大好-463)