ノーベル賞は一昨年本庶佑さんが医学・生理学賞を、去年は吉野彰さんが化学賞を受賞し、3年連続で今年も日本人の受賞となるのか注目されていたが、日本からの今年の受賞者は残念ながら出なかった。
資源の乏しい日本は昔から科学技術立国を目指している。ノーベル賞を輩出することだけがが科学技術のレベルの証では無いが、日本のレベルは様々な場面でその衰えが指摘されている。
例えば大学院の博士課程の学生の数は、修士課程から進学する人の数がピーク時の2003年度から減り続け、昨年度はほぼ半分となっているそうだ。また、人口100万人当たりの博士号取得者の数も、欧米が増加傾向にあるのに対し、日本は2008年度から減少し、アメリカ、ドイツ、韓国の半分以下の水準にまで落ち込んでいるそうだ。
更に、引用数が多い注目論文数で、日本の順位は2000年代初めから下がりだし、2016年は11位と後退しているそうだ。
博士の数が多ければノーベル賞の取得者が増えると言う訳では無いが、物の本質を見極める人材の減少は科学技術のレベル低下に結びつくことはことは間違いないだろう。
博士号取得者の数の減少に関して、博士号を取得しても将来の生活の糧に結びつかないことが問題だと指摘されている。
ポストドクター(ポスドク)とは、大学院の博士課程を修了したあと、大学や研究機関で正規の職に就けず、任期付きの職に就いている研究員のことだが、任期制という雇用形態上、次に進む道を探しつつ研究を続けていかなければならない中途半端な状況に陥っている。
ポスドクの主な就職先となる大学や研究機関のポストは増えず、民間企業も採用には消極的であり、このような状況で博士課程に進みたい人間はおいそれと現れないだろう。
ポスドクの悪習を裏で支えているのが大学の独立法人化である。法人化の目的は大学に自主性が生まれるといった効果が期待されていたが、大学自ら収入を得ることも期待され、政府は運営費交付金を毎年減額している。大学の職員等の人件費に充当される運営費交付金の削減が大学運営を困難にし、任期付きのポスドクの増加を招き、若手研究者の意欲を削ぐ結果となった。
一方企業側もポスドクの採用を渋る傾向がある。欧米諸国などでは博士号を取得すると企業などでの就職が優位になる側面があるのに、日本では例え採用しても処遇がほぼ変わらない傾向があるのだ。これは、企業の欲しがる技術を有する博士を大学側が生み出していないのが根本原因であろう。
一般に、大学等で生み出される革新的な技術とそれを商品にするための企業の実用化技術が車の両輪のように必須であるが、大学と企業のミスマッチがあるのだ。
日本学術会議は、推薦者の任用拒絶問題で揺れているが、日本の科学技術立国を支える若手研究者が育たない原因も是非取り上げて議論してもらいたいものだ。2020.10.31(犬賀 大好-648)