日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

見世物化したオリンピックはそろそろ見直す時期

2017年07月29日 09時52分38秒 | 日々雑感
 国際オリンピック委員会(IOC)は7月11日臨時総会を開き、パリ、ロサンゼルスの2都市を、2024年および2028年の夏季五輪の開催地とする案を承認した。9月13日の総会でどちらが先かの開催順を決めるとのことだ。

 巨額の財政負担などを理由に五輪開催に名乗りを上げる都市が減り、東京後の2024年大会招致でも当初立候補していたローマ、ハンブルク、ブダペストが住民投票などで断念に追い込まれ、先の2都市しか残らなかったのだ。このためIOCは通常なら大会7年前に決めるところを、風向きの変わらないうちに両都市に決めてしまおうとしている訳だ。

 パリ、ロスアンゼルスは過去に2回行われており、安心して任せられるかも知れない。しかし、初めての都市での開催は開会式等で見られる独特さが楽しみであった。逆にそれを期待する余り大会が派手になり費用が嵩み、住民の反対する原因となっていたのかも知れない。

 2020年の東京五輪は将来のオリンピックのモデルになる筈であった。そこで東京五輪はコンパクトをキーワードとし、既存の施設を多用する等して開催費用を低く抑える筈であった。しかし、国立競技場を建て替えしたり、競技種目を増やしたり、東京周辺の県も巻き込み、世界に誇る大規模なオリンピックになりそうである。現在東京大会の総費用は1.385億円と試算されているが、恐らく2兆円規模となるであろう。

 昨年、オリンピックが行われたリオデジャネイロでは、その後の五輪施設の有効活用がなされず、荒れ放題となっている施設もあるとのことである。小池都知事はその反省を踏まえ、五輪後の施設活用も考慮しつつ、施設建設を計画しているようであるが、コンパクトの理念はどこかに忘れ去られている。

 7月26日には、新国立競技場の五輪後の使用計画が明らかにされた。これによると、サッカー等の球技専用の競技場とするとのことであり、トラック部分を観客席にして観客動員数を増やすとともに、競技者と観客を身近にして魅力倍増する計画とのことである。これも五輪後の施設を有効利用し、維持費を少しでも稼ぎ出そうとする発想からである。それでも維持費を上回る稼ぎは難しいようであり、国立競技場にしてこの有様であれば、他の施設は推して知るべしである。

 また、7月24日には、開幕まで後3年に迫ったと、お祭り騒ぎがあった。当日の東京の最高気温は32.9℃で蒸し暑く、熱中症の多発があった。またこの時期は台風到来の心配もある。

 1960年に行われた最初の東京オリンピックでは、前日までの悪天候に拘わらず当日は晴天となり、青空に五輪の飛行機雲を描くことが出来、大成功となった。その時の再来を夢見る連中は、何とかなるよと能天気に構えているのであろうが、何らかの対策を講ずる必要はあろう。どこまで対策するかは問題であるが、兎も角リスク対策にも金がかかる。

 近代オリンピックは、19世紀末フランスのクーベルタン男爵が古代ギリシャのオリンピアの祭典をもとにして世界的なスポーツ大会を開催する事を提唱し、第1回は、1896年にギリシャのアテネで開催された。当初、参加することに意義があるとされたオリンピックも次第に国威発揚の場と変化し、大会は大規模に、選手は勝たなくては意味が無いと変化してきた。

 オリンピックの開催意義は何か考え直す時期に来ている。開催費用の暴騰の他、サッカー等におけるワールドカップとの関係、毎月のように行われるゴルフやテニス等の開催意義、ドーピング等問題山積みである。

 また、最近のオリンピックは見世物化し、テレビの視聴率を上げるため真夜中に競技したり、他の人気スポーツとかち合わないように夏の猛暑の中開催したり、めちゃくちゃである。

 参加することに意義を見出せるのは、精々パラリンピックの方であろう。見世物化したオリンピックは、それぞれのスポーツ団体に任せればよい。最近、Xスポーツと称するアクロバチックなスポーツも人気が出てきた。このままではオリンピック種目にもなりそうな勢いであり、完全にショー化する。

 東京五輪はこれらの問題をすべて避けている。パリ、ロスアンゼルスの後は、第3回目の東京だと喜んでいる輩もいるだろう。情けない。2017.07.29(犬賀 大好-359)

土地神話は死語になったか

2017年07月26日 09時27分03秒 | 日々雑感
 今年も7月3日に、国税庁から路線価が発表された。路線価とは、市街地において地域の不特定多数が通行する道路に面する宅地の、1平方m当たりの評価額のこととのことであり、山林や農耕地は対象外のようだ。

 2017年分の路線価は、全国平均が前年を0.4%上回り、2年続けて上昇した。特に全国最高価格となった東京銀座は1平方mあたり4032万円で、バブル期のピークの3650万円(1992年)を越し、最高価格を更新したそうだ。バブル現象の再来である。

 全国の主要都市でも地価は上昇傾向のようだ。この新バブル現象は、・観光大国、・オリンピック、・異次元金融緩和の3要素がもたらしているとの識者の評であるが、東京以外でも上昇しているのは、安倍政権下での異次元金融緩和政策で行き先を失った金が土地に流れたのが主原因と見るのが妥当であろう。

 本来、この金融緩和の金は成長産業や工場の設備投資等の将来のために投資される資金となる筈であったが、成長戦略は軌道に乗らず、またデフレ基調から脱却できないため設備投資はままならず、空前の金余り現象が日本を覆っているようだ。

 前回のバブルで大損害を被った銀行や不動産会社等は沢山あったであろうが、一方大儲けした人も少なからずいた筈である。バブル当時、転売に次ぐ転売で価格はどんどん高騰していったが、当時から ”最期にババを引くのは誰か” が話題となっており、結局小回りの利かない大手企業がババを引くことになったのであろう。

 今回の新バブルで踊っている連中は、前回のバブルを知らない別の人種か、あるいは二匹目の泥鰌を狙った前回大儲けした人、あるいは今回こそはとリベンジを狙う人であろう。ここでは土地神話がよみがえった感だ。

 そもそも土地神話とは、”不動産には絶対的価値がある”という合理的根拠のないところから発生していた。多くの人が疑いなく信じていた神話が、バブル前の土地の価格を押し上げていたのであり、日本を売れば、米国が買えるとの信じられない話がまかり通っていた。

 しかし、全国を見渡すと、様子はすっかり変わってしまった。主要都市では土地神話が蘇りつつあるあるというのに、地方では土地神話はすっかり崩壊したようだ。所有者が分からない土地が急増しているのだ。利益を生み出さない土地は権利すら放棄される時代に突入したのだ。地方では、売りたくても売れないのに固定資産税だけがかかる負動産化が顕在化してきたようだ。

 法務省のサンプル調査では、50年以上登記されていない土地は全国で22%、大都市部でも7%に上がったそうだ。固定資産課税台帳の所有者情報も、登記簿が元になる。そこで相続時に登記されないと、自治体の税務担当者が相続人を調べる必要があるが、概して相続人は複数で複雑な経緯を有するため、調査は困難を極めるそうだ。自治体にアンケートすると、55%が所有者不明で、固定資産税の徴収が難しくなったそうだ。

 資産価値が無く、固定資産税だけがかかる土地は、所有権を放棄したくなるのは当然だ。不動産の所有権の放棄は一般論としては認められるが、法務省の1982年の見解によると、所有権放棄者の単独申請による土地登記は出来ないとのことである。すなわち国が受け取ってくれないと、放棄できないことになるのだ。事実、今の登記制度では土地の所有権放棄は認められない。

 相続放棄は、財産全体が対象となるので、不要な土地だけを選んで捨てることが出来ない訳だ。現代は所有権ががっちり守られている代わりに自由に手放せない。国としても、利用価値のない土地を寄付されたところで、費用のかかる管理だけを任されたのでは、敵わない。これは今後大きな問題となるだろうが、誰も解決策を示すことは出来ない。

 大都市における土地の高騰は恐らく一時的な現象だろう。前回と同様にいつかははじける。しかし、地方においては限界集落、耕作放棄地、都市部においては空き家の増加が顕著であり、不動産価値がどんどんを失しなわれていく時代だ。土地神話は死語になりつつある。

 ひと昔前は、人間は自給自足でどんな辺鄙な所でも生活できた。しかし、一旦便利な生活に慣れると都市部でしか生きられなくなってしまった。不便な場所はどんどん放棄されるであろう。喜ぶのは野生動物だけだ。2017.07.26(犬賀 大好-358)

情報のグローバル化の先に明るい未来はあるか

2017年07月22日 14時19分55秒 | 日々雑感
 情報通信の発展は各国に様々な影響を及ぼしている。1991年のソビエト連邦の崩壊も情報通信の発展が一因であった。共産主義の行き詰まりが国内に広く知りわたるようになり、国の変革が求められたからであった。

 あれから20年以上経ち、インターネットの普及は世界を急激に均一化しつつある。中国では獄中でノーベル平和賞を受賞し、民主化運動の象徴的存在だった人権活動家の劉暁波氏が先日13日、亡くなった。このニュースは瞬時に世界中に広がり、各国の首脳は哀悼の意を示している。

 中国国内でも厳しい情報統制が敷かれているにも関わらず、各地で哀悼の集会が開かれているようだ。習近平氏は、共産党一党独裁を批判していた劉氏の死を隠したかったのであろうが、国内にも広く知れ渡ることになったようであり、情報統制を一層厳しく強めているとのことである。中国の経済は既にグローバル化しているにも拘わらず、情報のグローバル化を制限して、この矛盾を抱えつつ国内政治をどうやってやっていくのか他人事ながら心配する。

 インターネットの普及は、その影響が大きいだけに悪影響も目立ってきた。情報氾濫、フェイクニュース等あるが、セキュリティの問題が一番深刻である。誰でも手軽にインターネットを便利に利用できるが、その内部の仕組みに関してはほとんどの人が分かっていない。大勢の人間がネットに組み込まれて、その中であたかも自由なように振舞っているが、実はネットの網の中に捉えられた虫に過ぎないのかも知れない。

 北朝鮮の主要な工作機関にはサイバー攻撃を専門に行う「180部隊」と呼ばれる特殊部隊が存在し、大胆なサイバー攻撃を実施した可能性があると、先月21日のロイター通信は報道した。

 また、150カ国・地域で30万台以上のコンピューターに感染した身代金要求型ウイルスによる世界的なサイバー攻撃が北朝鮮と関連していることを示す技術的証拠を発見したと、サイバーセキュリティー専門家は明らかにしている。北朝鮮のミサイル等の開発費用の一部はこうやって稼ぎ出していると思うと、中国の経済制裁も限界があると思わずにはいられない。

 更に、米紙ワシントン・ポストは6月23日、ロシア政府による昨年の大統領選への介入に対する報復として、オバマ前大統領が在任時に、時が来れば起動できるサイバー兵器をロシアのインフラへ「植え込む」秘密工作を承認していたと報じた。実際に使うかどうかの決断はトランプ大統領に委ねられるという。

 実際に植込み工作が行われたのであれば、トランプ大統領すごい特権を手にしているのだ。トランプ氏の一存によりロシア経済は大混乱するかも知れない。トランプ氏はロシアゲートで疑いを持たれているが、それを打ち消すためのカードとして使用したいところであろう。しかし、ロシアに否定させれば否定させるほど疑わしいこととなり、ここには使用できそうにもない。

 情報のグローバル化は、個人の域を出て、国家間の争いに広がった。サイバー兵器は核兵器と違って個人でも制作可能であるが、国家が絡むとその規模も飛躍的に大きくなる。

 コンピュータウイルスの世界は ”いたちごっこ” との話だ。すべてのウイルスに効く絶対的なワクチンは出来ないとの話であり、ウイルスの具体的な形がはっきりして初めてワクチンが出来るのだそうだ。人間の病気のウイルスと全く同じだ。絶妙な名前を付けたと感心する。同様にサイバー兵器を防ぐ絶対的な防御法は無いと想像される。

 人間がウイルスの脅威から逃れられないように、ネットの利用者はサイバー攻撃から逃れられない。サイバー攻撃は核兵器による攻撃程一度に多数の人間を死に至らしめないが、じわりと真綿で首を絞めるように痛めつけることも可能であろう。例えば、他人の銀行預金から金を盗み取るにしても僅かな金を定期的に不特定多数の人間から引き出すとか、気が付きにくいように細工することもいくらでも可能であろう。

 先月27日には、ロシアやウクライナなど世界各地で大規模なサイバー攻撃があり、企業や銀行などで被害が出たそうだ。5月に発生したハッキングに類似した身代金要求ウイルスが使用されたという。犯人は特定されていないようであり、何か恐ろしいことを予感させる未来の世界が待ち受ける。2017.07.22(犬賀 大好-357)

忖度とゴマスリを混同するな

2017年07月19日 09時07分05秒 | 日々雑感
 日本では民主主義が普及しているとほとんどの人が思っているであろうが、決して成熟していないとのことだ。民主主義の基本は皆で決めることであるが、それには議論が土台となる。ところが日本人は一般に議論することに慣れておらず、下手である。特に高齢者が議論を始めるとすぐに喧嘩になり、まともな議論が出来ない傾向がある。最近の若者はどうであろうか。日本では議論下手に起因する民主主義が育ちにくい要因があるのだ。

 民主主義が成熟しないのは、現在の民主主義は日本国民が自ら勝ち取ったものではなく、第2次敗戦後米国から与えられたものであるとの理由付けもあるが、もともと日本人が議論が下手だからとの理由が最大の原因と思う。

 日本民族は農耕民族と言われる。稲作等の農耕においては皆で協力し合って仕事をなす事が重要である。毎年同じような作業が繰り返されるため議論はさほど必要ない。それより和が必要である。聖徳太子の”和をもって尊しとなす”を始めとして、相手の気持ちを汲みとり、仲良くすることを重視する傾向は、日本の古来からの伝統である。

 そこでは、忖度、斟酌、謙譲、惻隠の情、等の相手を思いやる気持ちが美徳とされる。最近話題の忖度は、国語辞典では他人の心中やその考えなどを推しはかることであり、それ自体は決して悪いことではない。

 最近忖度が悪い意味で使われているが、これはこれを悪用する人がいるからだ。相手がこうすれば喜ぶだろうと、証拠書類を破棄したり、嘘をついたり、する。また、忖度される人は、忖度する人が勝手にやっていることとして、知らぬ存ぜぬと責任を一切負わないのだ。

 森友学園問題では、籠池前理事長に9億円の土地が1億円で払い下げられた問題があった。財務省理財局長であった佐川宣寿氏は、大阪府豊中市の国有地が大阪市の学校法人「森友学園」に格安で売却された問題を巡り、たびたび国会で答弁に立ち、適正な価格で売却したと説明していた。しかし森友学園との売買交渉記録についても「記録が残っていない」と平然と述べた。

 佐川氏は東大経済学部卒で大蔵省に入省した、記憶力抜群で ”一を聞いて十を知る” 頭の切れる優秀な官僚であろう。凡人と異なり一年ばかり前のことを忘れる筈は無いが、取引の不公平さを示すような証拠書類はすべて隠匿し、内容は記憶にないと述べた。流石に優秀な官僚である。

 恐らく、上の方からの直接の支持は無かったであろうが、その意向は十分理解していたことだろう。上司の意向を上手に叶えたためであろうか、佐川氏はその後国税庁長官に昇格した。官僚は国民のために奉仕するのが義務だ。政治家は国民に選挙で選ばれた人間である為、政治家の言うことを聞くことは当然であろう。しかし、政治家の真意を理解して、それを個人の利益に結びつけるのは単なるゴマスリだ。森友学園問題は忖度の問題ではなく、ゴマスリの問題だ。

 マスコミは、この事件を忖度の問題として取り上げているが、本来美徳である忖度をこのような場合に使って欲しくはないものだ。ゴマスリと言った方が適切である。

 欧米では、忖度に相当する単語が無いとのことだ。上司の命令はすべて言葉で行われるとのことである。忖度は日本文化の神髄であり、残したい伝統であるが、悪用する人間が居るとなれば、民主主義の成熟のためにも悪しき伝統とすべきかも知れない。

 来週、安倍首相が出席する特別予算委員会が開かれ、加計学園問題が話し合われるとのことである。ここでも忖度が焦点となる筈であるが、安倍首相はすべて私の意向を忖度した結果であると説明し、今後忖度は一切ご法度であると表明すれば、内閣支持率は一気に挽回されるかもしれない。2017.07.19(犬賀 大好-356)

忖度とゴマスリを混同するな

2017年07月19日 09時01分54秒 | 日々雑感
 日本では民主主義が普及しているとほとんどの人が思っているであろうが、決して成熟していないとのことだ。民主主義の基本は皆で決めることであるが、それには議論が土台となる。ところが日本人は一般に議論することに慣れておらず、下手である。特に高齢者が議論を始めるとすぐに喧嘩になり、まともな議論が出来ない傾向がある。最近の若者はどうであろうか。日本では議論下手に起因する民主主義が育ちにくい要因があるのだ。

 民主主義が成熟しないのは、現在の民主主義は日本国民が自ら勝ち取ったものではなく、第2次敗戦後米国から与えられたものであるとの理由付けもあるが、もともと日本人が議論が下手だからとの理由が最大の原因と思う。

 日本民族は農耕民族と言われる。稲作等の農耕においては皆で協力し合って仕事をなす事が重要である。毎年同じような作業が繰り返されるため議論はさほど必要ない。それより和が必要である。聖徳太子の”和をもって尊しとなす”を始めとして、相手の気持ちを汲みとり、仲良くすることを重視する傾向は、日本の古来からの伝統である。

 そこでは、忖度、斟酌、謙譲、惻隠の情、等の相手を思いやる気持ちが美徳とされる。最近話題の忖度は、国語辞典では他人の心中やその考えなどを推しはかることであり、それ自体は決して悪いことではない。

 最近忖度が悪い意味で使われているが、これはこれを悪用する人がいるからだ。相手がこうすれば喜ぶだろうと、証拠書類を破棄したり、嘘をついたり、する。また、忖度される人は、忖度する人が勝手にやっていることとして、知らぬ存ぜぬと責任を一切負わないのだ。

 森友学園問題では、籠池前理事長に9億円の土地が1億円で払い下げられた問題があった。財務省理財局長であった佐川宣寿氏は、大阪府豊中市の国有地が大阪市の学校法人「森友学園」に格安で売却された問題を巡り、たびたび国会で答弁に立ち、適正な価格で売却したと説明していた。しかし森友学園との売買交渉記録についても「記録が残っていない」と平然と述べた。

 佐川氏は東大経済学部卒で大蔵省に入省した、記憶力抜群で ”一を聞いて十を知る” 頭の切れる優秀な官僚であろう。凡人と異なり一年ばかり前のことを忘れる筈は無いが、取引の不公平さを示すような証拠書類はすべて隠匿し、内容は記憶にないと述べた。流石に優秀な官僚である。

 恐らく、上の方からの直接の支持は無かったであろうが、その意向は十分理解していたことだろう。上司の意向を上手に叶えたためであろうか、佐川氏はその後国税庁長官に昇格した。官僚は国民のために奉仕するのが義務だ。政治家は国民に選挙で選ばれた人間である為、政治家の言うことを聞くことは当然であろう。しかし、政治家の真意を理解して、それを個人の利益に結びつけるのは単なるゴマスリだ。森友学園問題は忖度の問題ではなく、ゴマスリの問題だ。

 マスコミは、この事件を忖度の問題として取り上げているが、本来美徳である忖度をこのような場合に使って欲しくはないものだ。ゴマスリと言った方が適切である。

 欧米では、忖度に相当する単語が無いとのことだ。上司の命令はすべて言葉で行われるとのことである。忖度は日本文化の神髄であり、残したい伝統であるが、悪用する人間が居るとなれば、民主主義の成熟のためにも悪しき伝統とすべきかも知れない。

 来週、安倍首相が出席する特別予算委員会が開かれ、加計学園問題が話し合われるとのことである。ここでも忖度が焦点となる筈であるが、安倍首相はすべて私の意向を忖度した結果であると説明し、今後忖度は一切ご法度であると表明すれば、内閣支持率は一気に挽回されるかもしれない。2017.07.19(犬賀 大好-356)