2020年の東京オリンピックは、コンパクトな開催や東日本大震災からの復興、日本らしいおもてなしを掲げて、招致に成功した。スペインのバルセロナやトルコのイスタンブールは競争相手であったが、財政基盤の強さや治安の良さは、東京が抜きんでていた。唯一東京の弱点として指摘されていたことは、都民と国民の五輪招致への支持が低いことであった。2012年の段階で、支持率は50%を切っていたが、翌年には70%を超えるまでになり、国際オリンピック委員会(IOC)は、東京に安心して五輪開催を託したことであろう。
しかし、当初8000億円と見込んでいた開催費用は1.6兆円~1.8兆円に膨らみ、同時に東京の既存の施設を活用するコンパクな開催や東日本大震災からの復興の理念はどこかに吹き飛んだ。現在、開催是非を問うアンケートを再び行ったら、恐らく50%を切るのではなかろうか。
また、開催理念、あるいはスローガン、キャッチフレーズも相変わらずはっきりしないままだ。1964年に開催された最初の東京オリンピックは、「スポーツの発展を通じて、世界平和に寄与すること」の高い理念の下、戦後の復興を世界にアピールする目的で開催され、国民大多数の積極的な賛成が得られていたであろう。
東京五輪組織委員会 会長、森喜朗氏は、開催費用の高騰に関しても”東京都から言われたことをやっているだけだ”とまるで他人事であるが、自ら問題提起をしないのであろうか。コンパクな開催理念等が消えたことに対しても、”俺の責任ではない”と言い張るのであろうか。東北復興に代わる理念の必要性を訴えることもできないのか。
”なぜ東京でやらなくてはならないか”を、改めて考えると、他にやる都市が見当たらない、ことくらいしか思い当たらない。理念の必要性に関しては、小池都知事もJOCも同じであり、余り必要性は無いらしい。メダル獲得最優先だけに皆が一致しているのは、嘆かわしい。日本の将来あるいはオリンピックの将来を示す、”コンパクトシティ東京”の理念は守ってほしかったが、遅きに失した。
水泳会場のアクアティクスセンターやバレーボール会場の有明アリーナは新設することに決まった。小池都知事は、前任の都知事であった石原氏、猪瀬氏及び舛添氏の敷いたレールの上を走らざるを得ず、また時間的な制約があるので、大きな改革は出来ないのであろうが、施設建設にかかる費用の400億円削減は、大きな成果であろう。都知事選を小池氏と争った、増田、鳥越両氏では恐らく出来なかったであろう。
そもそも、コンパクな開催も既存の施設を活用する筈であったが、当初アクアティックスセンターの観客席が2万席とは誰が言い出したのか。一番遠い席からは選手の顔つきなど分かる筈が無い。最近映像技術の発展は目覚ましい。5千席と、後はパブリックビューの活用や既存の映画館を動員すればもっと大勢の観客が臨場感を味わうことが出来る筈だ。最新の映像技術により、将来のオリンピックの見せ方の見本を示した欲しかった。
有明アリーナも一万席の数だという。”大きいことは良いことだ”、は高度成長期の話だ。大きな箱モノは、その当時を懐かしむ高齢者である、IOC委員や組織委員会の委員が決めたのであろう。五輪後の活用を考えるとき、人口減少に向かっている日本にあって、東京集中を一層煽り立てることを考えているのであろう。
小池都知事は、都民ファーストとアスリートファースとの言葉をよく口にする。都民ファーストで経費削減に力を注ぐことはよく理解できるが、アスリートファーストは必要なかった。ボート会場が宮城県に移動しそうになった時、選手を始めとする関係者は、東京から遠すぎる、観客が少なくなる等、反対を表明していた。小池都知事がアスリートファーストと言ったばかりに、彼らの声に耳を傾けざるを得なくなったのだ。場所が何処であろうと、選手は皆同一条件で勝負できる。どんなに条件が悪くても、最善の努力をするのがアスリートだ。選手村から遠すぎるなどとのたわ言は、選手のエゴである。試合開始の7時間前になって、飛行機で現地に乗り込むという悪条件でも試合に勝ったチームもいる。
2016.12.31(犬賀 大好-299)
しかし、当初8000億円と見込んでいた開催費用は1.6兆円~1.8兆円に膨らみ、同時に東京の既存の施設を活用するコンパクな開催や東日本大震災からの復興の理念はどこかに吹き飛んだ。現在、開催是非を問うアンケートを再び行ったら、恐らく50%を切るのではなかろうか。
また、開催理念、あるいはスローガン、キャッチフレーズも相変わらずはっきりしないままだ。1964年に開催された最初の東京オリンピックは、「スポーツの発展を通じて、世界平和に寄与すること」の高い理念の下、戦後の復興を世界にアピールする目的で開催され、国民大多数の積極的な賛成が得られていたであろう。
東京五輪組織委員会 会長、森喜朗氏は、開催費用の高騰に関しても”東京都から言われたことをやっているだけだ”とまるで他人事であるが、自ら問題提起をしないのであろうか。コンパクな開催理念等が消えたことに対しても、”俺の責任ではない”と言い張るのであろうか。東北復興に代わる理念の必要性を訴えることもできないのか。
”なぜ東京でやらなくてはならないか”を、改めて考えると、他にやる都市が見当たらない、ことくらいしか思い当たらない。理念の必要性に関しては、小池都知事もJOCも同じであり、余り必要性は無いらしい。メダル獲得最優先だけに皆が一致しているのは、嘆かわしい。日本の将来あるいはオリンピックの将来を示す、”コンパクトシティ東京”の理念は守ってほしかったが、遅きに失した。
水泳会場のアクアティクスセンターやバレーボール会場の有明アリーナは新設することに決まった。小池都知事は、前任の都知事であった石原氏、猪瀬氏及び舛添氏の敷いたレールの上を走らざるを得ず、また時間的な制約があるので、大きな改革は出来ないのであろうが、施設建設にかかる費用の400億円削減は、大きな成果であろう。都知事選を小池氏と争った、増田、鳥越両氏では恐らく出来なかったであろう。
そもそも、コンパクな開催も既存の施設を活用する筈であったが、当初アクアティックスセンターの観客席が2万席とは誰が言い出したのか。一番遠い席からは選手の顔つきなど分かる筈が無い。最近映像技術の発展は目覚ましい。5千席と、後はパブリックビューの活用や既存の映画館を動員すればもっと大勢の観客が臨場感を味わうことが出来る筈だ。最新の映像技術により、将来のオリンピックの見せ方の見本を示した欲しかった。
有明アリーナも一万席の数だという。”大きいことは良いことだ”、は高度成長期の話だ。大きな箱モノは、その当時を懐かしむ高齢者である、IOC委員や組織委員会の委員が決めたのであろう。五輪後の活用を考えるとき、人口減少に向かっている日本にあって、東京集中を一層煽り立てることを考えているのであろう。
小池都知事は、都民ファーストとアスリートファースとの言葉をよく口にする。都民ファーストで経費削減に力を注ぐことはよく理解できるが、アスリートファーストは必要なかった。ボート会場が宮城県に移動しそうになった時、選手を始めとする関係者は、東京から遠すぎる、観客が少なくなる等、反対を表明していた。小池都知事がアスリートファーストと言ったばかりに、彼らの声に耳を傾けざるを得なくなったのだ。場所が何処であろうと、選手は皆同一条件で勝負できる。どんなに条件が悪くても、最善の努力をするのがアスリートだ。選手村から遠すぎるなどとのたわ言は、選手のエゴである。試合開始の7時間前になって、飛行機で現地に乗り込むという悪条件でも試合に勝ったチームもいる。
2016.12.31(犬賀 大好-299)