日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

難民の受け入れを考える

2015年05月30日 08時56分44秒 | 日々雑感
 最近、新聞紙上に難民や移民の話題がよく登場する。北アフリカ諸国から地中海を渡り、イタリア、ギリシャ等の地中海沿岸諸国に押し寄せる、南アフリカへは近隣国のソマリアやエリトリアから避難民が殺到する、英国へは、EU各国から移民が押し寄せる、等である。
 先日、EUは構成各国に北アフリカ等から押し寄せる難民を一定数受け入れるように決めたとのことであるが、国によっては猛烈な反発も起きているらしい。
 避難民や移民を受け入れる国は、彼らの一時的な生活保護ばかりでなく、長期的には職の斡旋までしなくてはならない。これが、自国民の雇用を圧迫するとして、避難民の排斥運動が社会問題化している。難民受け入れは人道問題である一方、国内の雇用問題等で各国の政府は頭を悩ましている。
 難民とは、「人種・宗教・国籍・政治的信条などが原因で、自国の政府から迫害を受ける恐れがあるために国外に逃れた者」であり、これは狭義の政治難民にあたる。しかし、元来難民は政治的理由に限定されているわけではなく、自然災害、飢餓、伝染病などの災害難民のほか経済的困窮難民が多い。
 世界で昨年86万人が先進各国に保護を申請、過去22年で最高とのことである。一方、日本は難民条約の加盟国でありながら、昨年の受け入れは11名と極めて少ない。日本は狭義の意味での政治難民しか受け入れないからだ。難民は前述の雇用問題を始めとして様々な問題を引き起こすとして、日本ではこの問題から目を背けている。
 一方、日本における不法滞在者は法務省の発表によれば、平成26年1月1日現在、不法残留者数は,約6万人であるそうだ。ほとんどが韓国を筆頭に中国等東南アジア諸国からだ。日本は、デフレ不況と言われながら、治安的、経済的には安定しており、住み易い国であるからだ。
 韓国、中国は経済的な発展が著しいといっても、経済的に困窮している人は数知れない。経済的発展は経済的な困窮者を一層増しているとの説もある。情報通信が発達し、豊かな生活をしている人が近所にいることが知れ渡れば、自分たちの生活がより貧しく思えてくるに違いない。そのような人は当然豊かな生活を目指して飛び出すはずだ。
 日本を訪れる観光客が一千万人超えたと、大喜びであるが、その裏には何千万人もの経済的な困窮者がいることを忘れてはならない。万が一、韓国や中国経済が破綻するとどれくらいの人が日本に押し寄せるであろうか。これに加え、金正恩が暴走しだし、政治的な破綻も心配される北朝鮮からは死を覚悟した難民が大挙押し寄せるに違いない。
 難民を一時的に受け入れることはまだ可能かも知れない。しかし、長期に亘るとなれば、国内の様々な問題に発展する。少子高齢化が進む日本において、積極的平和主義を唱える安倍政権は、彼らの労働力を積極的に活用し、平和的に解決する覚悟があるのであろうか。(犬賀 大好-133)

武力行使の新3要件を想う

2015年05月28日 09時51分10秒 | 日々雑感
 武力攻撃事態法改正案、周辺事態法改正案、国連平和維持活動協力法改正案など10本を束ねた「平和安全法整備法」を5月14日、閣議決定した。憲法解釈を変更して集団的自衛権を認めようとするものであり、安保政策における日本の大きな転換点を迎えようとしている。
 この法案で明記された武力行使できる新3要件は、①日本が直接攻撃を受けた場合でなくても、日本と密接な関係にある他国が武力攻撃され、日本の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険がある、②他に適当な手段が無い、③必要最小限の実力行使にとどまる、とされている。
 自衛隊の幹部は「東シナ海は日米の一体運用によって中国の進出を防いでいる。南シナ海でも日米協力の姿を見せるべき」とし、この法案の効用を語る。しかし、米国は世界の警察官として手が回らなくなり、日本に少しでも肩代わりさせようとの魂胆がありありである。安倍政権は米国の後ろ盾と軍備力を頼りに、積極的平和主義と称して、先進国に仲間入りしようと張り切っている。
 さて、この法案の気になる一番の問題は、法案が極めてアナログ的な表現で、いかようにも解釈できることである。例えば“存立が脅かされる状態”とは、いかなる状態か人によって判断が異なるからである。核を搭載したミサイルが日本を目指して飛んでくる状態ともなれば、誰もが納得する存立が脅かされる危機的状態である。しかし、石油を運搬する航路、すなわちシーレーンがホルムズ海峡で機雷により封鎖されたとなると、日本国民にとって死活問題となるとの安倍首相の判断に納得できるであろうか。経済的な大損害となることは間違いないが、死活問題までになるとは考えられない。死活問題とは極めて主観的感情論である。
 例えば5年前に沖縄県の尖閣諸島沖で起きた漁船衝突事件をきっかけに、中国はレアメタルの日本への供給を実質的に一時制限した。このため、日本ではある種のレアメタルの価格が急上昇し、磁石産業は経済的な損害を蒙り、当事者にとって死活問題であったであろう。
石油の供給断もレアメタルの供給断もその額こそ違え経済的な損失であり、両者に本質的な違いはない。従ってレアメタルの不足も日本存立への脅威となり得る。
 26日の国会でも、単なる経済的な理由だけでは新3要件は満たされず、インフラの維持が出来なくなった等、国民の権利が覆される明白な危険がある場合に成立するとの趣旨を答弁している。ここにおいても、どの程度の規模のインフラか、国民とはたった一人でも国民ではないか、等疑問はいくらでもある。
 日本のみならず世界の経済が中国抜きでは考えられなくなった現在、この種の問題も今後しばしば生ずるに違いない。人により、あるいはその時の気分により、“存立が脅かされる状態”が、いくらでも変化する可能性はある。まさに、時の政府により恣意的に解釈される恐れは十分だ。
 安倍首相は、これらの法案により戦争が遠くなると胸を張るが、誰が首相になってもそうなると本当に思っているのであろうか。また、安倍首相は、“絶対“とか”明白”との言葉を安易に使用する。これらの言葉は人によって捕らえ方が異なることにもっと注意して頂きたいものだ。(犬賀 大好-132)

憲法改正を考える

2015年05月23日 09時19分46秒 | 日々雑感
 集団自衛権に伴う憲法解釈の変更、更に憲法改正・改悪を巡って、賛成反対の立場からいろいろ議論されている。改憲賛成派の主要な意見は、①現憲法は占領軍が勝手に作ったものであり、日本人の意見は反映されていない、②中国の台頭等の世界情勢の変化があり、現憲法は時代に即していない、である。これに対し、護憲派は、①この70年間、平和を保ち、経済的な発展を可能ならしめたのは、戦争を放棄したこの平和憲法のお蔭である、の主張である。
 確かに、日本国憲法は占領軍が書いて、受け入れを強要したかも知れないが、その内容の多くは、理想を高く掲げ、通常とても書けない立派なものだ。また、この70年間、米国を始めとする所謂先進国の圧力を撥ね退け、海外で軍事力を行使しなかったのは、現憲法のお蔭であろう。イラクにおける自衛隊の派遣では、“Show the flag” なぞと先進国からは悪口を言われたが、現地の人間には、すこぶる評判が良かったとのことである。
 改憲論者の主張する中国の台頭に対抗するため、自衛隊の軍隊化を明記するとなると、中国との軍拡競争に陥る懸念がある。軍拡競争に突き進めば、中国は既に核兵器を保有するため、対抗上日本も持たざるを得ないであろう。核兵器の保有のためには国際的にも高いハードルがあり、それでもとなると北朝鮮と同様に国際的な孤立を覚悟せねばならない。
 緊急事態条項はさておき、環境権や財政規律条項は憲法として盛り込むべきであろう。この意味では憲法改正に賛成である。環境に関しては地球温暖化で、また財政規律に関しては国の膨大な借金で、子孫に負の遺産を残そうとしているにも関わらず、現世を謳歌していることを強く反省しなくてはならない。
 しかし、安倍政権の憲法改正・改悪は最終的には第9条の破棄にあるらしい。それであるならば、環境権や財政規律条項は憲法とは別に法律で定めればよい。
 日本は戦争を放棄した崇高な憲法を有する。それを廃棄したら二度と書くことは出来ない。押し付け憲法であっても大切にすべきである。孤高の国を自負し、平和日本として独自の道を切り開くべきである。オバマ大統領の核廃絶宣言の後具体的な動きは無く、また核不拡散条約(NPT)も一向に進まない。この時こそ日本の出番である。安倍政権は、戦争を放棄した第9条を前面に出し、唯一の被爆国として、世界に戦争放棄、核廃絶を訴えるべきである。これこそが後世に名を残す功績である。ノーベル平和賞を受ける絶好のチャンスでもある。(犬賀 大好-131)

物まね日本を考える

2015年05月20日 09時46分12秒 | 日々雑感
 中国の遊園地には、日本や米国のキャラクターの真似者が満ち溢れていると、中国を小馬鹿にしたような報道があるが、かって、日本も米国をひたすら模倣していた。40~50年ばかり前までは、米国発のアイデアを日本人の改良で米国製品より優れた製品を作り出し、輸出立国を支えていた。自動車や電気製品はほとんどがそうであった。いや、そうであったと過去形で言えるであろうか。
 経済の活性化のためには技術のイノベーションは欠かせないが、今もってイノベーションを米国に頼っていないであろうか。相変わらず米国発のイノベーションに乗って、改良・改善の道を辿っているのではないだろうか。日本発のイノベーションはどこにあるのであろうか。
 例えば、3Dプリンターは日本人の発明であったが、当初誰からも相手にされなかった。しかし、米国において、手術前に3Dプリンターにより製作された患部の三次元モデルによる手術手順の確認等でその有効性が分かると、日本でも急に開発が盛んになった。
 日本人はハードとしては、腕時計型ウェアラブル端末等、先端的なものを単発的に作るがそれを有効に生かすところまで至らない。イノベーションとは、新しいアイデアから社会的意義のある新たな価値を創造し、社会的に大きな変化をもたらす幅広い変革である。しかし、日本では技術革新と狭義に訳されている。ハードは勿論であるが、その使い方まで含めて、社会的な変革をもたらすところまで行かねばならない。先述の3Dプリンターやウェアラブル端末は、ハードとしては先端的であるが、それらが社会にどのように受け入れられるかまでを十分考えなかった。優れたハードを社会に提供すれば、社会が使い方を考えてくれる筈との甘さがあった。
 また、最近何かと世の中を騒がせるドローンも米国発である。ヘリコプターのように、空中で停止することの出来る無人飛行機であるが、小型物品の運搬からセキュリティ用まで用途は無限である。ドローンに必要な機械部品は、すべて日本は一流である。駆動モータ、蓄電池、制御用の電子回路、空撮用の小型カメラ、すべて簡単に手に入る。しかし、それらを組み合わせると、社会でどのように使われ、社会をどのように変革するかの考察が欠けていた。
 別の言い方をするならば、日本人は昔から具体的な目的が与えられればその中でひたすら努力し良い物を作るが、目的そのものを見つけることは不得手であると言われていたが、今でも変わっていないようだ。
 イノベーションは、社会的な変革を目的とするものであれば、日本発のイノベーションは今後も余り期待できないとなる。この傾向は、日本の教育体制のみならず、日本文化に依存すると思われるので、当分物まね日本は続いていくだろう。(犬賀 大好-130)

核廃絶の方策

2015年05月16日 10時34分01秒 | 日々雑感
 日米首脳会議における日米共同声明に核兵器使用について「壊滅的で非人道的」の文言が盛り込まれた。ここまで明確に踏み込むのは初めてで、画期的なことらしい。こんな文言は極めて当然と思われるが、国際政治となると、色々難しいことがあるらしい。
 核不拡散条約(NPT)再検討会議は4月27日から始まった。核保有国が軍縮を進める代わりに、非核保有国が新たに保有国とならないと決めてきたNPTは、各国の利害がからみ瀕死の危機に直面しているとのことだ。日米の共同声明は、この危機に直面しているNPT体制を維持することこそ自国を含む世界の平和につながるという日米の共通の認識の結果であるとのことである。しかし、米国の認識とオバマ大統領の認識が必ずしも一致しているようには思えない。
 NTPの共同声明は「いかなる状況においても核兵器が二度と使われないことが人類の生存にとっての利益」とし、核兵器の完全廃絶を訴える内容であった。NPTに加盟する191カ国・地域の大半が賛同したが、核保有国はいずれも不賛同だった。オバマ大統領は核廃絶を訴えてノーベル賞を貰ったはずであるが、ここでもその意見は反映されていない。それでも、一応の成果であるようだ。
 また、各国の指導者は広島、長崎を訪れるべきであるとの文言に対し、中国からは、日本は被害者であることを強調していると反対したとのことである。直接原爆を落とした米国の主張であればまだしも中国が言うとは理解に苦しむ。NPTは何を目的とする会議かを忘れた反対意見と思われるが、こんなことではNPTは存在する意味が無いと短気者は“ちゃぶ台返し”をしたいところであるが、それでは元も子もない。
 一橋大学教授の秋山信将氏が朝日新聞の“私の視点“で、日本は、都市や非軍事産業を核攻撃の標的とする政策禁止を呼びかけること等で、積極的な外交努力を展開すべきであると訴えている。NPTでは、そんな簡単なことですら決まらない。しかし、例え決まったところで、どれほどの効果があるであろうか。戦争は殺し合いである。自分が殺されると分かれば、攻撃の標的を理性的に選別するなど理性的でいられないに決まっている。
 安倍首相は積極的平和主義を唱え、米国に追随して、世界の平和を維持するつもりのようである。しかし、日本は世界唯一の被爆国であり、また憲法で戦争の放棄を決めた数少ない国の一つである。この事実をもっと世界に訴え、どんな戦争でも悪であるとの立場から、積極的平和主義を実践すべきである。(犬賀 大好-129)