日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

電気の貯蔵を考える

2015年04月29日 10時00分21秒 | 日々雑感
 風力発電や太陽光発電に代表される再生可能エネルギーあるいは自然エネルギーは、自然によって影響を受けるのが欠点である。それらの発電所は全国各地に建設が進んでいるが、既存の電力設備との整合問題で壁にぶつかっている。すなわち、時によって増大する電力のため、送電線の容量不足等の問題である。
 これを蓄電池併用型とすれば、電力供給の平滑化が可能になり、かなり問題が解消されるのではなかろうか。電気はいろいろな形で蓄えることが出来るが、代表は二次電池と称される繰り返し充放電が可能な電池である。現在市販されている二次電池としては、ナトリウム硫黄電池(NAS)、リチウムイオン、鉛、ニッケル水素の各電池がある。このうち、自然エネルギーとの併用を試行されているのは、前の二者のようだ。
 リチウムイオン電池は携帯端末に主に使用されているが、どうも小型、低容量向きのようだ。三菱重工や日立は大型のリチウムイオン電池を開発し、太陽光発電との併用を検討してきた。しかし、三菱重工は、採算が見込めないと判断したからか生産から撤退したようである。日立も家庭用等を狙っているようであるが、売れ行き好調との声を聞けない。
 NAS電池は、六ヶ所村の二又風力発電所において使用されている。この発電所は、大型風車34基からなる大容量蓄電池併設発電所である。2007年に六ヶ所村に導入されると欧州や中東から注文が相次いで寄せられているとのことであるが、日本のメディアには余り取り上げられていない。発電所としての実績はどうであろうか知りたいところではあるが。
 自然エネルギーと蓄電池の併用は、文句無くよいことであるが、問題はコストであろう。リチウムイオン電池の低価格化が進まず、電気自動車も低迷している。そのため、最近燃料電池に注目が集まっている。この電池は二次電池と異なり、水素という形で電気を蓄えるが、機能の点では全く同じである。電気は電気分解の手法により容易に水素に変換される。長崎五島列島、椛島(かばしま)沖合い1kmに設けられた風力発電所では、電力が余ったとき水素を製造しているとのことである。東芝も同様のシステムを川崎市の公共施設で稼動させたとのことである。家庭用としては大き過ぎるが、自治体や企業向けに自立型の発電システムとして年50台の受注を目指すそうだ。今後が楽しみだ。
 地球上には自然エネルギーが満ち溢れている。このエネルギーを活用しない手はない。課題は蓄積法だ。先述の電池も関連技術者は日々必死に改良を加えている筈だ。特性向上を願うばかりだ。先述以外にも、マグネシュームによる方法、揚水発電法や超伝導を利用したフライホールによる蓄電法等、いろいろなアイデアが、実用化レベル、研究レベルで検討されている。これらの成果は自信を持って子孫に残すことが出来る資産だ。原子力発電はゴミの問題等の負の遺産を子孫に託し、現世を謳歌する麻薬であることを忘れてはならない。(犬賀 大好-124)

司法による原発差し止め

2015年04月25日 09時35分32秒 | 日々雑感
 福井地裁が4月14日に関西電力、高浜原発3,4号機の運転差し止めの仮処分を下した。先に高浜原発3,4号機は今年2月原子力規制委員会から、再稼動に必要な安全審査で新基準に適合しているとの判断を受けている。今回の決定は、過去10年だけでも他の原発に基準地震動を超える地震が5回も起きていることや、高浜原発では基準地震動に満たない地震によって冷却機能が喪失する危険性があるなどを認定し、施設の安全性が不十分だと判示している。
 安全基準に絶対的な安全基準はあり得ない。現実を踏まえた前提の下での基準である。絶対的な基準を考えた場合、例えば、隕石の落下に対する安全策まで講じなければならない。余にもコストがかかりすぎ現実離れとなってしまう。確率的に見てそんなことは起こりえないとして、現実的な条件を設定する。自動車にしても、飛行機にしても、すべて同様の考え方で安全基準は作られ、その安全基準の下で現状の交通システムは運用され社会の役にたっている。
 しかし、原発は福島第1原発の事故が起こるまでは、絶対安全との安全神話があった。事故の反省を踏まえ原子力規制委員会は世界一厳しい基準を作ったと言ったところで、隕石の落下まで考慮しているわけで無い。基準の根拠をいくら説明したところで納得されないだろう。原子力技術の専門家に対する不信感が拭えないからだ。
 今もって福島第1原発の事故の後始末の見通しは立たず、核燃料サイクルも頓挫しっぱなしと技術的問題が山積である。政治的な問題以前に、このような技術的な問題も解決出来ない技術的専門家に説得力があるとは到底思えない。判決で、安全基準が「緩やかにすぎ、合理性を欠く」と非難するのももっともである。
 司法がどのような判断をしようと、今の安倍政権は原子力規制委員会のお墨付きを得た原発を再稼動させるであろう。再稼動は核燃料の燃えカスを出す。しかも、正常に役目を終えた原発の廃炉も控えている。廃炉の際に出てくる高濃度の廃棄物はどこかに貯蔵しなくてはならない。原発事故に際しての汚染ごみの中間貯蔵施設ですら円滑に進まない現状でどう打開するのであろうか。問題の先送りは今に始まったことではないが、負の遺産を子孫に残すべきでない。
 22日、鹿児島地裁は、九州電力川内原子力発電所1、2号機の運転差し止め請求を却下した。福井地裁とは正反対に安全基準は合理性があるとの理由である。裁判官の人事や昇給などに関する実権を握っているのは最高裁人事局であるので、下級審の裁判官の多くは今も最高裁の方を見て判決を書いているとの指摘がある。心底から安全を信じた上での判決であれば結構であるが、昔の安全神話を信じ込まされていたとの反省を踏まえているだろうか。(犬賀 大好-123)

新卒一括採用の是非

2015年04月22日 09時12分10秒 | 日々雑感
 4月16日付け朝日新聞オピニオンのテーマは新卒一括採用がテーマであった。脳科学者の茂木健一郎氏と人材コンサルタントの常見陽平氏の意見が述べられていたが、イノベーションに対する両者の意見が全く異なっており、面白かった。まず両者の意見の概要を記す。
 茂木氏は、経済を成長させるエンジンはイノベーションであり、イノベーションの本質は不確実性である為多様な人材を必要とするが、新卒一括採用は多様性を排除するとの主張である。これに対し、人材コンサルタント、常見陽平氏は、日本経済の競争力を高めているのはイノベーションでは無く、地道な品質の向上を高めることの出来る普通の人であり、このためには一括採用は合理性があるとの主張である。
 茂木氏の主張では、イノベーションは多様性のある人材が生み出すとし、多様性の欠如を一括採用と結び付けているが、日本人の多様性の無さの原因は別のところにあり、一括採用を止めたところで多様性が生まれるわけでもないだろう。しかし、企業が偏差値でなく、多様性を重視するとなると学生も変わって来るであろうが、そう簡単なことでは無い。常見氏も多様性を不必要とは言っていないが、人材はメーカが育てるとし、大学教育をあてにしていない様である。この指摘に対して、茂木氏はどう答えるであろうか。
 日本人の多様性の無さは一括採用の為ではなく、昔からの日本文化の根幹である。“和をもって尊しとなす” の聖徳太子の時代より今日まで “出る杭は打たれる” の横並びをよしとする社会である。人と違うことをやるには勇気がいる。
 一括採用は同質の人材を集めるには便利なシステムである。イノベーションは多様な人材の中から生まれる可能性が高いが、多様性があるからと言ってイノベーションを生み出せるわけで無い。イノベーションを生み出せそうな人間を選択しなくてはならないが、この選択眼のある人間がそもそもいないことが問題である。
 小保方晴子氏のSTAP細胞騒ぎは納まったが、小保方氏を採用した人間は、彼女をイノベーションを生み出しそうな人材と判断し、採用した筈だ。見事に裏切られたが、このようなリスクは常に付きまとう。採用する企業や人間がどこまで耐えられるかだ。
 これからの日本社会は多様性のある、自ら判断できる人材をより多く必要とすることは間違いないだろう。このため企業は、一括採用ばかりでなく、自由な発想が出来る人材の随時採用を重視するようになるだろう。しかし、国家公務員の一括採用は絶対無くならないだろう。国家公務員には自由な発想は必要ないからである。官僚機構には戦後70年の歴史があり、前例踏襲が重要であり、独自の発想は村八分である。
 政府は原発を維持しようとしているが、その背後には官僚が控えていることを忘れてはならない。ベースロード電源との何だか分からない概念を持ち出し、その必要性を訴えているが、原発を何とか維持しようと努力するのは前例踏襲の最たるものであろう。(犬賀 大好-122)

株価2万円を考える

2015年04月18日 10時08分37秒 | 日々雑感
 4月10日、株価が一時的にではあるが2万円を超えたとマスコミ報道も浮かれ調子である。成長戦略の内観光産業以外は軌道に乗っていないのに株価が上がるのが不思議な現象であるが、原因として円安、原油安等の他、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)が株を大量に購入してからだと言われる。
 株を持っている人は当然大儲けであろうが、株に関係ない一般大衆も株高の恩芸を受けているとの論調がある。GPIFは、年金の積立金の一部、約137兆円の資金を運用している。今回の株高でやはり大儲けしているつもりであろう。GPIFが株で儲かっているから将来の年金原資が増えるから一般大衆も安心できるとの説明である。本当だろうか。株で持っている限り、それがいつ下がるかのリスクを抱えている。だからと言って株を手放せば、大口投資筋が逃げ出したと、株は一気に下がる危険性がある。
 現在、日本の経済好調は原油安による影響が大きいと言われる。原油の価格は、石油輸出国機構(OPEC)の総会で決定される。昨年末の総会で原油の生産を維持すると決めたから、市場に原油がだぶつき、原油安になっているとのことである。原油の生産の続行の理由は、米国シェルオイルに打撃を与えるためとか、いろいろ言われるが、少なくとも日本の意向を反映した訳ではない。
 OPECに日本は当然加盟国でない。と言って今後の動向を逐次把握しているとは到底思えない。何しろ中国が主導するAIIB(アジアインフラ投資銀行)にEU各国が雪崩をうって参加したのを、予想外と受け止めていた位であるから。菅官房長官は想定内と言っているがそう言わざるを得ないであろう。今後OPECが方針を変更し、原油高となった場合、日本経済はもろに影響を受けると思うが、株高は維持されるであろうか。
 また、株高を支えているのは、日本企業の業績改善に対する外国人投資家らの期待であるらしい。彼らは、業績改善すれば配当金が増えるのを目的にしているのであろうか。それより、株高になったとき株を売って差額を儲けることが目的ではなかろうか。株取引の6割は外国人とのことであるので、彼らの影響は大きいが、彼らの行動を制御できるとは到底思えない。
 株高はバブルの様相を呈し始めているが、日銀総裁をはじめ財務省は、日本経済は制御可能と言い張っている。しかし、日本経済は日本単独で成り立っているわけでない。世界の経済の影響をもろに受ける。株高の要因である原油安と外国人の株購入は、日本政府の言いなりにならない。それなのに制御可能と強弁しないと、株高を維持できないのではないかと、かえって心配になる。
 菅官房長官は、「二兎を追って二兎を得る」を実現したいと語ったと言う。二兎とは、経済再生と財政再建である。昔からの格言は「二兎追うものは二兎を得ず」である。(犬賀 大好-121)

宇宙の大きさ

2015年04月15日 09時00分38秒 | 日々雑感
 遠方にある星までの距離を測る方法には、距離に応じて各種の方法があるが、それぞれの方法は相互に比較されてはじめてその正確さが検証される。これを“はしごが繋がった”と表現するようである。
 比較的近い距離にある太陽系内の星までは電波の反射時間で測定するとのことである。比較的近いと言っても宇宙の話であるので、とてつもなく遠い。例えば、太陽系の最も外側を回る海王星までは、電波が行って帰って来るまでの時間は約8時間となる。次に遠方の星は年周視差を利用した三角測量法を適用するそうだが、ここまではその測定原理は何とか理解できる。
 更に遠方の星は特殊な星の性質を利用するそうだ。セファイド型変光星(Cepheid variable star)では、6500万光年までを測れるとのことであるが、宇宙のはしごを繋ぐためには、セファイド型変光星を三角測量で測定しなければならない。セファイド型変光星はどこにでもある星ではないので、現状宇宙のはしごは繋がっていないと言うことだ。
ところで光年と言う単位は、光が1年間に進む距離であるが、先述の海王星までの距離は僅か0.0005光年年程度であるので、宇宙はいかに大きいか分かる。
 さて、セファイド型変光星、北極星もそのひとつとのことであるが、その明るさが周期的に変化し、周期が長いほど本当の明るさが明るくなることは、別の観測結果から分かっているらしい。周期は2日から100日程度らしいが、宇宙の話としては恐ろしく短い。何が起こっているのか興味をそそる。その物理的な現象は解明されているのであろうか。
 更に遠い星は、活動銀河核(クエーサー)の明るさが一定である原理を用いるそうで、約95億光年の距離にある星まで推定できるとのことである。地球の年齢が46億年とのことであるので、それより遥か昔に発せられて光がようやく地上に届いているとは、正に気の遠くなる話だ。またそんなに遠くから来る光を地上でよく検出できるものかと驚きである。
 以上の距離の話はあくまでも実生活で体感する三次元空間を宇宙にまで延長した上での話である。しかし、実際の宇宙は宇宙スケール上でかなり歪んだ時空連続体であるそうだ。時空連続体と聞いただけで、我が知識を逸脱し、それが歪んでいるとは頭がくらくらする。ビッグバンが137億年前に起こったのに、一方では現在観測可能な一番遠い星は460億光年離れていると言う。これを聞くとビッグバン以前にも星が存在したと思ってしまう。宇宙は三次元空間ではなく、時間を含めた四次元空間でなければ理解できないらしい。三次元空間しか理解できない頭には到底ついて行けない。
 宇宙の謎を解明するのは、かなりの専門知識を駆使する大仕事であるが、それを凡人に理解させるのも大仕事である。宇宙のはしごは何とか凡人にも理解させられるが、460億光年の距離をどうやって説明してくれるであろうか。(犬賀 大好-120)