土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

河内長野三山のうち、「天野行宮」金剛寺を訪ねました。

2010年09月22日 | 大阪の古寺巡り


(2010.9.18 訪問)
河内の名刹、天野山金剛寺は境内が工事現場と化しています。金堂が半解体修理、
多宝塔が屋根葺替・部分修理、鐘楼が屋根葺替・部分修理ということで平成29年
まで修復修理のためです。特に金堂周囲は覆屋建設のための基礎工事が為されて
おりコンクリート基礎がほぼ出来上がっています。まもなく覆屋が立ち上がって
行くのでしょう。金堂、多宝塔だけは近寄ることは出来ませんが、他の堂宇はま
だジックリ拝観することが出来ました。

南北朝鼎立の動乱期、南朝行在所がここ金剛寺におかれ天野行宮と呼ばれ南朝の
後村上天皇が六年間ここで政務を執られたそうです。同時期北朝の三上皇が人質
としてやはりこの地で幽閉、四年間御座所として過ごされ南北両朝が行在所を置
く特異な時期がしばらく続くという事があったそうです。

[ 金剛寺 ] こんごうじ
山号 天野山 寺号 金剛寺 宗派 真言宗御室派大本山 本尊 大日如来坐像

金剛寺縁起
奈良天平期、聖武天皇勅願で行基さんが開創し、のち空海さんが修行されたと伝
えます。その後一時期衰退、平安後期、高野山阿観上人が全山を復興、最盛期に
は七十余坊の塔頭が軒を並べたと伝えています。

●南大門。
門の前は国道170号線です。簡素な山門にいままで騙されていました。国道170号
線はたびたび通るのですが、この簡素さに入山することに躊躇いがありましたが、
しかし入山してビックリとはこの日のことでした。


●楼門。
南大門から歩くこと数十メートル、堂々とした重厚な楼門です。


●楼門から境内。
左に見える枝垂れは後村上天皇お手植えの桜だそうです。


●食堂。
南朝の政庁。後村上天皇はここで政務を摂ったといいます。向拝屋根は作為的で、
チグハグな感じにみえます。


●手水舎。


●鐘楼。
袴腰の立派な鐘楼ですが、間もなく屋根葺替と部分修理がはじまります。


●金堂。
平安後期の創建。重文です。
離れた位置からしか見れません。すでに修復修理のための覆屋建設用の基礎が出
来上がっています。
本尊は木造大日如来坐像、脇持に左木造不動明王坐像、右木造 降三世明王坐像。
本尊と不動明が京国へ、降三世明王は奈良国へ、それぞれの工房で修復修理が進
められています。




●多宝塔。
この塔も修復修理されます。周囲が囲まれていて 近付くことは出来ません。


●五仏堂。
平安期の創建、江戸初期に大幅な修理が行われたそうです。
小さいお堂ですが、仮本堂になっています。仮本尊は多宝塔本尊の大日如来が祀
られています。


●御影堂。
弘法大師空海さんの御影を祀っています。




●観月亭。
御影堂東側に張り出すように造られています。南朝帝、北朝帝どんな気持ちで月
を眺めていたのでしょうか。


●求聞持堂。
虚空蔵菩薩を修する行堂。やや離れた高台に建てられています。


求聞持堂からの境内。


●護摩堂。


●北朝光厳天皇陵。


●境内です。遠く見えている門は北門です。


●北門。


●摩尼院書院。
北門横にある南朝後村上天皇の行宮。残念ながらこの日は拝観出来ませんでした。




●摩尼院から本坊へ向います。天野川の清流は南北朝の動乱を見つめ、670有余
年後の今も静かに流れています。


●本坊。


●本坊庭園。
室町期の作庭で枯山水の庭。杉苔がきれいなお庭です。このお庭の南側に北朝御
座所、奥殿があります。




●奥殿御座所。
北朝三帝が過ごされた御座所。人質の身でありながらも優雅な待遇は尊氏の影が
ちらついたのでしょうか。




御座所手前の大広間。中央に見えるのが白洲正子さんが盛んに誉めてました重文
の日月山水図のレプリカです。


●総門。
かなり離れた位置にポツンと建っています。くぐることは出来ません。車での参
拝はここから駐車場へ。


付録です。総門の前にいました。


南北朝の動乱は、このお寺の形をすっかり変え、動乱の戦火は七十余坊を焼きつ
くしたと伝えています。繁栄と衰亡のドラマの歴史に彩られ、今に残る古刹の姿
を往時の帝たちはどんな思いで彼岸から見ているのでしょうか。

それでは南朝の思い色濃く残る観心寺に向かいます。