(2010.9.18 訪問)
河内長野市街から東へ金剛山越えで奈良五条へ走る国道310号線、まもなく金剛
の山懐に入る少し手前の山麓、その国道310号線沿いに観心寺はあります。南朝
忠臣大楠公、楠正成や南朝後村上天皇と縁が深く、有名な何とも表現のしようの
ない艶っぽさ、国宝彩色如意輪観音菩薩座像が祀られている古刹です。
[ 観心寺 ] かんしんじ
山号 檜尾山(ひのおさん) 寺号 観心寺 宗派 高野山真言宗 本尊 如意輪観
音菩薩座像
観心寺縁起
役小角が開創した前身寺院を空海さんが北斗七星を勧請し再興、甥で直弟子の実
恵さん、孫弟子真紹さんが寺院造営、仏像整備当たったと寺伝は伝えているよう
です。空海さんがもたらした密教理論とその文化は国家鎮護と衆生安康の祈願寺
として時の皇室の帰依も得、発展してきたと伝えています。
●山門。
両脇を築地塀に囲まれた簡素な四脚門、観心寺唯一の門です。
●山門横の寺標石柱。
●御村上天皇行在所旧跡。
先の金剛寺から観心寺に移られ、この地で約十か月政務を執られたと云います。
山門を入りすぐ右に在ります。
●石段参道。
正面に金堂が見えます。
石段参道を上りきったところが金堂です。
●手水舎。
●訶梨帝母天堂。
空海さんが勧請した、春日造り檜皮葺きの鎮守堂。訶梨帝母(鬼子母神)を祀っ
ています。
●拝殿。
訶梨帝母天堂の南側に池をはさんであり、小さい太鼓風橋が架かっています。訶
梨帝母天堂のための拝殿なのでしょうか。
●金堂正面の弘法大師礼拝石。
どんな由緒があるのかよくわかりません。
●金堂。
単層の入母屋造、和、禅、大仏様の折衷様式、室町初期の建立。昭和五九年大修
理落慶。組み物や柱の朱色、白壁に連子風窓の緑が境内で一際目立って映えてい
ます。大阪最古の国宝建造物です。
●金堂内陣。
後方須弥壇に本尊如意輪観音菩薩座像(国宝)は中央黒いお厨子に、向って右の
お厨子には不動明王(重文)、左には愛染明王(重文)が祀られていますがいず
れも秘仏のためお厨子は閉じられています。厨子前には木造四天王立像が一列に
並んでいます。
●建掛塔。
大楠公建立予定が湊川で討死のため、未完に終わった三重塔の初重。
●鐘楼。
●弁天堂。
金堂横の小さなお堂、30cm位の可愛いい弁天様が祀られています。
お百度を踏む3人の女性(お一人は小学生くらいの娘さん)
●閼伽井戸
●阿弥陀堂。
境内少し高台に建っています。
●御影堂。
空海さんをお祀りしています。若い女性お二人長時間一心に般若心経を唱えてい
ました。
●大師修行中の銅像。
●行者堂。
前身寺院を開創した役小角をお祀りしています。
●境内。
●本願堂(開山堂)
観心寺の実質的開基、空海さんの一番弟子の実恵さん(道興大師)をお祀りして
います。
●道興大師実恵さんの御廟。
●大楠公楠正成の首塚。
湊川で討死した正成の首級を足利尊氏がこのお寺に届けたと伝わります。毎年5月
楠公供養祭が行われています。
●後村上天皇檜尾陵。
御影堂横から後村上天皇檜尾陵への参道。
後村上天皇
第97代天皇(南朝第2代)、後醍醐天皇第8皇子、在位約30年。
鎌倉北条政権を倒し天皇親政を貫いた後醍醐天皇の意志を継承するため、戦乱の
中での生涯だった。吉野宮、賀名生宮、河内行宮(金剛寺、観心寺)、住吉行宮
を転々。住吉行宮で崩御、41歳。当地後山に陵を造営。
檜尾陵。
●牛滝堂。
金堂西少し下ったところに在り、牛馬の安全祈年祭が毎年8月に行われています。
●楠正成騎馬銅像。
山門西側で、遠く吉野の宮を望んでいるのでしょうか。
昨年四月お厨子開扉のとき本尊如意輪観音菩薩座像を拝見しました。外陣から内
陣お厨子へは少々距離があり、ご本尊は約110cmの大きさなので肉眼では非常に
見え辛く、終始双眼鏡を利用しました。写真で拝見するとおり往時の色彩は見事
に残り、官能美は心をくすぐります。一説に嵯峨天皇の皇后、絶世の美女橘嘉智
子(檀林皇后)がモデルという説があるそうです。
河内長野三山巡りおしまい。