土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

同じく安産祈願の霊験新たかな龍象寺を訪ねてみました。

2011年04月26日 | 奈良の古寺巡り


(2011.04.23 訪問)
帯解寺から南へものの200mぐらいの所に龍象寺はあります。全くのご近所。車が
一台止まっていましたが参拝者はボクだけ、境内は本堂と庫裏と集会所風の建物
のみ、本堂はお世辞にも綺麗とは言い難く古色蒼然、今にもどうにかなりそうな
雰囲気。しかし狭いながらもお庭には季節の花々が植わっており、藤棚には藤が
元気な姿を見せていました。

[ 龍象寺 ] りゅうぞうじ
●山号 宝寿山(ほうじゅさん)
●寺号 龍象寺(りゅうぞうじ)
●宗派 真言宗
●開基 聖武天皇勅願 天平二年(730)行基菩薩が創建。
●中興 百拙禅師
●本尊 木造地蔵菩薩半跏像



龍象寺縁起
聖武天皇の勅願、天平2年(730)に行基菩薩が創建、自ら彫刻した地蔵菩薩が本尊
として安置されているそうで、以来皇族をはじめ市井の人々の安産子授けの「帯
解子安地蔵尊」として崇拝されてきたといいます。

帯解の奥の院というのはかって近くの広大池畔にあった広大寺の奥の院という意
味で帯解寺とは関係はないといいます。山門扁額には帯解安産地蔵尊、立額には
通称おびとけ奥の院と朱文字で墨され、山門右前には日本第一帯解子安地蔵尊の
墨書黒々の石碑が建てられています。見ようによっては、帯解寺に喧嘩を売って
いるようにも見えますが、由緒寺歴はもう一つ当てにはなりませんが龍象寺の方
が時代を遡るらしいのでそれはなさそう。
問題は帯解という名を使うなということらしいですが、奈良時代にすでに帯解と
いう地名があったのか、平安初期、文徳天皇の命名以降なのか、龍象寺がいつ頃
から帯解を称しているのか、これによってこの諍いあらかた解決しないのかなァ。

▼山門
もと藤堂藩代官所の門を旧帯解小学校の門としていたのを移建したそうです。


▼立派な石標
日本第一帯解子安地蔵尊と墨跡鮮やか。


▼山門入り口の偏額と立額


▼本堂


▼本堂編額
山号宝寿山と墨されています。


▼本堂前柱長押の上に菊の御紋が燦然と。


▼本堂内陣の荘厳
奥の須弥壇上にご本尊がおられます。ここでも菊の御紋が光っています。


▼本堂前の藤棚


龍象寺HPに、帯解広大寺奥の院、聖武天皇勅願寺、宮内庁腹帯献納所とあります。
当寺には享保年間に一乗院宮(皇室出家門跡)から拝領した「龍象資聖禅寺」の大
きな扁額があり、傍らに名僧百拙禅師の木札が掛かっています。記録からみると、
当寺は特にこの頃から皇室関係の安産を盛んに祈念しています。現在は皇室関係
の方を祈願したとしても、或いは腹帯等を贈ったとしても、その方の御名を出さ
ないのが常識になっています。特に現在生きている皇族の名を出すことは大寺住
職皆々、ひかえているのが現状です。現実に皇室に腹帯を贈っているある大寺の
住職がそう語っていました。なお、皇族の方から特定の寺院に祈願を申し込むこ
とは全くありません。
この姿勢に帯解寺側はカチンときているのでは…。

▼山門と鐘楼


両寺とも宮内庁腹帯献納所であることをうたっていますが、かたやPRの材料、か
たやそれは遠慮する姿勢、いわば経営方針の差、本当の諍いの種がどこにあるの
かは分かりませんが、ラーメン屋同士の客の分捕りあいのよう、仲良くしましょ
うよ、共存共栄で行きましょう、お釈迦さんの原点に返りましょう。
黄昏の今の仏教界、そんなことをしている暇はないはずですが。

菊の御紋シリーズとなりましたこの日の最後は、山村御殿円照寺につづくのです。

安産祈願の霊験新たかな帯解寺を訪ねました。

2011年04月26日 | 奈良の古寺巡り


(2011.04.23 訪問)

なんと艶っぽいネーミング、が粋筋ご用達では決してありません。もっともっと
賢所、雲上人命名のありがたい寺名なんです。とは言え宮内庁ご用達とは申しま
せんが、美智子皇后をはじめ雅子皇太子妃、紀子秋篠宮妃に安産帯を献納した実
績はこのお寺の大いなる拠り所、菊の御紋が随所に目立ちます。
帯解寺は知名度の高さに比して、境内は狭く、旧村のお寺の感じ、門前の道など
極めて細く、入り組んでいますが、さすがにお参りの方たちは大勢いらしたよう
です。

[ 帯解寺 ] おびとけでら
●山号 子安山(こやすさん)
●寺号 帯解寺(おびとけでら)
●宗派 華厳宗
●開基 文徳天皇
●本尊 地蔵菩薩半跏像(重文) 鎌倉時代 像高188cm

帯解寺縁起(帯解寺HPより抜粋)
当山は弘法大師の師である勤操大徳の開基巖渕千坊の一院で霊松庵と称していま
した。子供に恵まれなかった文徳天皇の皇后(藤原明子)が祖神春日明神のお告
げによって、帯解子安地蔵菩薩に祈ったところ、まもなく懐妊、惟仁親王のちの
清和天皇を無事出産。858年文徳天皇の勅願により伽藍が創建され、寺号を改め、
無事帯が解けた寺、帯解寺としたと伝えられ、安産祈願のご利益に霊験新たかな
お寺だそうです。

▼山門
立派な山門で、入るとスグ本堂です。


▼手水舎
徳川家もこのお寺にお世話になったそうで、手水鉢は徳川四代将軍家綱の寄進だ
そうです。


▼本堂
この日も多くの参拝の方々が祈祷を受けていました。本堂内からは、祈祷の声が
絶え間なく流れていました。以外と年配のご夫婦が多いように見受けられました。
なぜなんでしょう。


▼本堂外陣の千羽鶴


▼本堂


▼鐘楼


▼十三重石塔
立派な石塔で、大阪の子安講の方々が建てたそうです。


▼新御堂
1階が納骨堂、2階が護摩堂。2008年10月に完成。


帯解寺のHPを見ますと、「ご注意下さい」というページがあります。
帯解寺からスグの所にある龍象寺というお寺のことが書かれています。江戸期の
古文書が帯解寺の言い分ですが、早い話が本家争い、宗派が違うとそれぞれがボ
ロクソ、罵しり合い、それが今のお寺だと以前著名寺院のご住職から聞いたこと
がありますが、まさにその例がここにありました。
単に足の引っ張り合い、なんとマァ了見の狭い、ケツの穴の小さい(ボクとした
ことが、なんとお下劣な品のあるじゃなかった品のない表現で御座いましょう。
聞かなかったことにして下さい。)ことよと三者的に見ますとそう見えますが、
実はそうではなく何か深~いドロドロしたわけがあるのかも知れません。お釈迦
さんが聞いたらどうお諭しになるのでしょうかネ。
それでは、もう一方の安産祈願のお寺、龍象寺へ向かいます。どう受けて立って
いるのでしょうか。