(2012.07.21訪問)
地下鉄蹴上駅を出るとパラパラきてました。フラフラ歩いて南禅寺中門にさしかかった途端、猛烈な雨粒、
いきなりの土砂降りです。境内にいた方、右往左往、中門の軒下も見てる間に人で一杯。小降になったらシ
ャッターを切り、強くなったら雨宿り。今日一日が思いやられますワ。
南禅寺は京都五山、鎌倉五山の上に列せられている別格の臨済宗の禅寺です。
因みに京都五山は、五山之上南禅寺、一位天竜寺、二位相国寺、三位建仁寺、四位東福寺、五位満壽寺だそ
うです。
五山中、ここ南禅寺と東福寺以外訪ねたことがありませんので一度制覇しょうか思案中です。
もちろん晴れた日に。
▼南禅寺境内マップ。
[ 南禅寺 ]
●山号 瑞龍山(ずいりゅうざん)
●寺号 太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ) 通称 南禅寺
●宗派 臨済宗南禅寺派大本山
●開基 亀山法皇
●開創 正応四年(1291年)
●開山 仏心大明国師(だいみんこくし)
●創建 南院国師(なんいんこくし)
●中興 本光国師(ほんこうこくし)
●本尊 釈迦如来坐像
南禅寺縁起 (南禅寺 HPから抄出)
南禅寺は正応4年(1291年)、亀山法皇が無関普門禅師(大明国師)を開山に迎えて開創。
亀山法皇は第90代亀山天皇。圓爾辧圓(えんにべんねん)禅師(無関禅師の師、聖一国師)に受戒、問法。
正応二年(1289年)、上皇は離宮禅林寺殿で出家され法皇になられました。法皇は禅師の徳をたたえて深く帰
依され、正応四年、離宮を禅寺とし開山に迎えられた無関禅師は十二月に遷化。正応五年、法皇は第二世と
して規庵祖圓禅師(南院国師)を選任されました。禅寺といっても、離宮には伽藍として機能するものは一つも
ありませんでした。その建立が規庵禅師に課せられたわけですが、入寺からおよそ15年の歳月を費やしその
完成をみました。
▼勅使門。寛永十八年(1641年) 明正天皇より御所の「日の御門」を拝領移築したものです。現代は住持の晋
山に限って開かれる門です。
▼中門。
▼中門から三門への参道。
▼森永湛堂師の句碑。この門を 入れば涼風 おのづから
▼三門(重文)。十八脚二層の楼門、桁行五間三戸、梁行二間、周縁勾欄付、本瓦葺、高さ22m。
寛永五年(1628年)建立。石川五右衛門「絶景かな、絶景かな」は勿論ウソ! この門は五右衛門死後30年の
建立だそうで。
▼圧倒的重量感のある列柱。
▼三門で雨宿りのご婦人。
▼三門楼上への階段。雨宿りを兼ねて、結構大勢の方が登楼されてましたよ。
▼三門にかかる青もみじ。
▼三門から法堂への参道。
▼法堂。南禅寺の本堂。本尊 釈迦如来坐像。明治二十八年焼失、四十二年再建の新しいお堂です。
▼法堂内陣。二段須弥壇上段に本尊釈迦如来坐像と右獅子に騎乗の文殊菩薩、左象に騎乗の普賢菩薩を祀っ
ています。床敷き瓦。
▼法堂天井の幡龍。ダイナミックな龍が描かれていますが、向きは逆ですね。
▼本坊。
▼本坊滝の間。中央庭に滝が落ちていますが…。
ここではお抹茶をいただくことが出来るそうです。もち有料ですよ。
▼本坊長廊下。突き当たり左、方丈に続いています。
▼本坊入口左に、唐破風の立派な大玄関。
▼大方丈(国宝)。入母屋造、杮葺。慶長十六年(1611年) 御所の建物の下賜を受けて再建。
鳴滝の間、麝香の間、鶴の間、西の間をはじめ九間あり、狩野派絵師筆による障壁画(重文)で彩られていま
す。現在は、デジタル復元した障壁画を展示公開しています。
▼方丈庭園、虎の児渡し。虎の親子が川を渡る様子に見えることからその名がついたという枯山水庭園。
小堀遠州作庭。と云われているそうです。
▼方丈庭園。 ▼還源庭。
▼茶室窮心亭。
▼六道庭。 ▼如心庭。
▼庭を結ぶ渡り廊下。
▼龍吟庭。 ▼華厳の庭。
▼珍しい竹組の南禅寺垣。
▼僧堂。雲水修行の道場、拝観は許されていません。
▼僧堂の鐘楼。
▼白壁が美しい境内。JRCMでお馴染みですね、ここは。
▼今や南禅寺境内の一方の顔、琵琶湖疎水の水道橋、水路閣。
ジックリ水路閣を見るのは初めてです。レンガの妙がお寺にシックリとけ込んでいる不思議。違和感ないの
も不思議。
▼水路閣。アレッ、名取裕子さんがチラッと見えましたよ、事件かな!
▼水路閣。アレッ、船越英一郎さんが誰かを見張っているみたい。
▼約2mの滝。どこにあるかわかります?
▼トンネルを抜けてきた疎水は、ここ水路閣を通って市内へ流れてゆきます。
今日は雨降る予報じゃなかったぞ、ウラメシヤ天気予報。
南禅寺には塔頭寺院が12ヵ寺、南禅院や天授庵など名勝名園が結構ありますが、すべてキャンセル、小雨の
中、三条京阪まで歩いて帰りました。
↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。
神社・お寺巡り ブログランキングへ