土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

大原三千院、緑の絨毯はそれはそれはきれいです。

2012年08月22日 | 京都の古寺巡り


(2012.08.19訪問)

まだまだ文句なしの上天気です。
静寂の阿弥陀寺から大原メインエリアの三千院へ、僅か十分足らずの間に閑と騒の世界がこれほどハッキリ
存在する仏の世界、隠遁した天台僧たちは今、これを見てどんな感慨を持つのでしょうか。

わらべお地蔵ちゃんが今日もご機嫌よく迎えてくれた三千院は訪れる人もさすが多い。光と影が織りなす有
清園の緑の絨毯は、いかなペルシャよりも上等に見えます。

▼わらべ地蔵。




[ 三千院門跡 ]
●山号 魚山(ぎょざん)
●寺号 三千院門跡(さんぜんいんもんぜき)
●宗派 天台宗
●開基 伝教大師最澄(さいちょう)
●開創 延暦年間(782~806年)
●本尊 薬師如来立像(秘仏) 宸殿に祀られています。

三千院縁起 (三千院HPから抄出)
比叡山延暦寺を開かれた伝教大師が、東塔南谷に草庵を開いたのに始まり、その後幾たびか移転しました。
寺名も円融房、梨本房、円徳院、梨本門跡、梶井宮と変遷、応仁の乱後、梶井宮の政所であった現在の地を
一時仮御殿とされ、明治維新までは御所の東、河原町御車小路梶井町に御殿を構えておりました。元永元年
(1118年) 堀川天皇第二皇子、最雲法親王が梶井宮に入室され正統を継がれて以来、皇族出身者が住持する
宮門跡となりました。
妙法院、青蓮院、曼殊院、毘沙門堂とともに天台宗五箇室門跡のひとつです。


▼ご存知、御殿門前の参道です。




▼ご存知、御殿門。




▼宸殿。
本尊 薬師如来立像(秘仏)。
大正15年(1926年) 宮中行事の御懺法講儀式を行うため御所の紫宸殿を模して建立。




▼宸殿から往生極楽院。




▼有清園。宸殿前から往生極楽院を取り囲む庭園。




▼往生極楽院(重文)。桁行三間、梁行四間、単層入母屋造、柿葺。寛和2年(986)の建立。




▼往生極楽院の本尊。
本尊 阿弥陀三尊像(国宝)。脇侍は向かって右、左脇侍観音菩薩坐像。向かって左、右脇侍勢至菩薩坐像。
中尊阿弥陀如来坐像(国宝) 像高233.0cm、木造檜寄木造、漆箔。久安四年(1148年)。
脇侍観音菩薩坐像(国宝) 像高131.8cm、木造檜寄木造、漆箔。久安四年(1148年)。
脇侍勢至菩薩坐像(国宝) 像高130.9cm、木造檜寄木造、漆箔。久安四年(1148年)。
衆生を彼岸へ誘うため阿弥陀さんと、菩薩お二人の来迎する姿を表している相。菩薩お二人は、まさに立ち
上がろうとする瞬間の姿、上半身やや前屈みのご存知大和坐りで。



三千院名物僧の漫談風説明会は時間の関係か今日は聞くことが出来ませんでした。機会があれば一度聞いて
ください。なかなかのものですよ!


▼往生極楽院。




▼わらべ地蔵。




▼有清園の緑の絨毯。




▼わらべ地蔵。




▼金色不動堂。
本尊 金色不動明王立像(秘仏)。三千院の祈願道場。平成元年(1989年) 建立。




▼観音堂。
周りの環境がすっかり変わっているのには驚きました。お堂の前や周りは何も無かったのですが、今は植栽
され補陀落浄土を再現した石庭が造られています。




▼観音堂本尊。キンピカの観音立像が祀られています。




▼阿弥陀石仏。境内西に端坐、律川の赤い橋が目印ですよ。




▼緑陰。




▼朱雀門。
境内南端にあります。今は飾り門のように思います。藤原期様式門で江戸時代再建。極楽院を本堂としてい
た頃の正門だそうです。



信仰と観光、寺院とはなんだ、仏像とはなんだ、と云うよなヤボなことは考えず、ここまで徹底して観光寺
院化させた三千院はなかなか立派じゃないですか、かえって気持ちがよろしい。

朱雀門の前の道は来迎院への参道。呂川沿いに少々上ると着くそうです。それではまいりましょうか。


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