
(2012.12.08訪問)
嵐電嵐山に着き渡月橋へ、いままで橋景は撮ったことが無いもので北東川原で数カット、直後空にわかに怪
しく、いきなりバラバラと霰が降り出しました。その後霰が霙になりそして間もなくシトシト雨、今日一日
が思いやられますわ。にもメゲズに大覚寺に向かいます。
▼今朝の渡月橋。

今晩から嵐山花灯路が始まりますぇ。後ろの山と渡月橋がライトアップされて、川面に浮ぶ渡月橋がなんと
もいへん景色でおすぇ。見たいなぁ~、さぶいやろなぁ~、ぶぶずけほしいなぁ~。
[ 大覚寺 ]
●山号 嵯峨山(さがさん)
●寺号 大覚寺(だいかくじ) 正式名 旧嵯峨御所大覚寺門跡
●宗派 真言宗大覚寺派大本山(しんごんしゅうだいかくじは)
●開基 嵯峨天皇
●開山 恒寂入道親王(ごうじゃくにゅうどうしんのう)
●開創 貞観十八年 (876年)
●本尊 五大明王
大覚寺縁起 (大覚寺HPより抄出)
嵯峨天皇が建立された離宮嵯峨院を起源とし、恒寂入道親王を初代門跡としてお寺に改められました。天皇
になられるお立場だったんですが、承和の変に巻き込まれ、皇太子を廃立、母の淳和太后が我が子の最後の
よりどころとして、父嵯峨天皇がこよなく愛された嵯峨の離宮をお寺にし、息子である親王を守ろうとされ
たのです。それに尽力されたのが菅原道真で、離宮を大覚寺にするべく上奏文を起草、勅許を得て大覚寺が
誕生し真言宗の寺院として再出発したのです。以後、明治の初頭まで代々天皇もしくは皇統の方が門跡を務
められた、格式高い門跡寺院として今日に到ります。
▼参道。

▼嵯峨院御所跡を示す石柱。

▼大門。

▼式台玄関。白幕に菊の御紋が凛とした表情で迎えてくれます。

▼唐門。

▼宸殿。桁行九間、梁行六間、入母屋造、檜皮葺。
後水尾天皇より下賜された寝殿造りの建物。内部は四部屋が続き、狩野山楽の金碧襖画が飾られています。

▼広縁外廊と前庭。

▼古式正しい左近の梅と右近の橘。

▼宸殿前庭。

▼宸殿後景。

▼御影堂。桁行七間、梁行五間、入母屋造、桟瓦葺、正面一間の向拝付。
御影堂須弥壇には、嵯峨天皇、後宇田法皇、恒寂入道親王、弘法大師の尊像が祀られています。
この建物は御所の饗応殿を下賜されたもの。後宇田法皇六百回忌を機に大覚寺へ移築されたものだそうです。
北側に建つ心経殿の拝殿の役目をしています。

▼御影堂須弥壇。前の白っぽいものはフレアではありません、お線香の煙です。

▼御影堂広縁。

▼御影堂前庭。前は四方6mの石舞台、後方は勅使唐門。元は五大堂 (本堂) が建っていたそうです。

▼心経殿。嵯峨天皇をはじめ六天皇の般若心経写経が奉祀されています。
校倉風八角堂、大正14年 (1925年) 再建。

▼霊明殿。檜皮葺、二層方形造、正面に1間の向拝付。
建物は縁板まで含め総朱塗、大覚寺功労者の過去帳位牌を祀り、阿弥陀如来が本尊。

▼霊明殿広縁。縁板が見事なまでに光っています。

▼渡廊下。建物との間は屋根付き廊下で結ばれています。

▼御霊殿内部。内部は一間が下陣、その奥の二間が内陣で天井の格天井鏡板に花鳥などを描き、その奥が内
々陣で後水尾天皇をお祀りしています。折上の鏡天井に雲龍が描かれている。

▼五大堂。大覚寺の本堂。本尊五大明王をお祀りしています。
桁行五間、梁行五間、入母屋造、本瓦葺。正面一間の向拝付。天明年間 (1781~1789年) の再建。

▼鐘楼。

▼庭湖大沢池。嵯峨院の庭池、日本最古の人工庭苑池で嵯峨天皇が築池したと伝わるそうです。

▼鴨でしょうか、悠然と漂っていました。

▼蓮のなれの果てとはいえ、来年の勢時には池面いっぱい大輪で埋もれることでしょう。

▼北側沿いにもみじのトンネル、つい一週間前までは、豪華な赤の綾錦トンネルだったとか。

▼池に浮かぶ菊ヶ島。

▼雨空でもなお映える朱の心経多宝塔。昭和42年 (1967年) 建立。

▼聖天堂。

▼大日堂。

▼閼伽堂。

▼閼伽堂の檜霊水受け。一瞬檜風呂と思ったほど大きなものです。

▼最後にもう一度、すでに冬景色の大沢池。

♩きょうと~ らんざんだいかくじ~
こいにつかれた おん~ながひとり~
しおざわがすりに な~ごや~おび~♩
雨にけむる嵯峨野路にこんな女人の姿、いません。今や絶対いません。
てなことを云ってる場合ではないのです。今日の京都盆地、寒すぎ、冷たすぎ、まだもう一ヵ寺訪ねる予定
ですのに。