(2013.06.02訪問)
今日が最終日の興福寺北円堂と南円堂の特別開扉の駆け込み拝観後、久々に大茶盛りの西大寺を訪ねました。
たまたま今、続日本紀称徳天皇条を読んでいまして、一度ゆっくり四王堂を拝観しょうと思い訪ねました。
称徳天皇名残は四天王しか見ることは出来ません。やはりこのお寺は中興の祖、叡尊さんのお寺と云うほう
が通りがいいようです。
▼本堂。手前は東塔跡の復元基壇です。
[ 西大寺 ]
●山号 勝宝山 (しょうほうざん)
●院号 四王院 (しおういん)
●寺号 西大寺 (さいだいじ)
●宗派 真言律宗総本山 (しんごんりっしゅう)
●開基 称徳天皇 (しょうとくてんのう)
●開山 常騰上人 (じょうとうしょうにん)
●創建 天平宝字八年 (764年)
●中興 叡尊上人 (えいそんしょうにん)
●本尊 釈迦如来立像 (重文) (清涼寺式釈迦如来)
▲奈良市西大寺芝町一丁目 電話 0742-45-4700
▲拝観料 境内は自由。本堂400円、愛染堂300円、四王堂300円、御朱印300円
▲近鉄奈良線西大寺駅下車徒歩3分
西大寺縁起 (西大寺パンフより抄出)
天平宝字8年(764年)称徳天皇が鎮護国家、平和祈願のために七尺の金銅四天王像を造立を発願、天平神護元
年(765年) から造営開始、境域は面積約三十一町 (約四十八ヘクタール) の広大なもので金堂をはじめ両塔な
ど百十数宇の伽藍が甍を並べていた。東の東大寺に対する西の大寺に相応しい官大寺であった。平安期再三
の兵火、災害で衰退。鎌倉時代、叡尊が寺に入り復興、真言律宗の根本道場として伽藍整備、今見る西大寺
はほぼこの頃のプランを伝えている。
▼南門。西大寺の正門なのに、こちらから入山者はほとんどいません。
▼南門扁額。山号が揮毫されています。
▼南門からの参道。前方は本堂です。
▼本堂(重文)。
桁行十四間、梁間十間、単層寄棟造、本瓦葺。土壁を施さない総板壁の建物。宝暦二年(1752年)建立。
本尊 釈迦如来立像(重文)。木造、像高167cm、宝治三年(1249年)仏師善慶造像。京都嵯峨野清涼寺の三国伝
来釈迦像の模刻。本尊左に文殊菩薩騎獅像と四侍者像(重文)、右に弥勒菩薩坐像が祀られています。
▼本堂床板。痛々しくも250有余年の歳月です。
▼東塔跡。
創建当初は東西両塔が在ったそうで、共に平安期に焼失、東塔は藤原後期に再建されたが室町時代にまたも
焼失、礎石外側の八角形は創建期に計画され途中変更された八角七重塔の基壇規模です。
ちなみに西塔跡は愛染堂西奥にありますが見ることは出来ません。
▼愛染堂。
御所御殿を宝暦十二年(1762年)移築。宸殿造りの仏堂。桁行十一間、梁間八間、入母屋造、桟瓦葺。
本尊 愛染明王坐像(重文)。木造、像高31.8cm。叡尊さんの念持仏として、宝治元年(1247年)仏師善円造像。
朱色彩色、截金は造像当初のまま。
▼愛染明王。数年前に描いたペン画です。
▼左横からの愛染堂です。
▼鐘楼。
桁行三間、梁間二間、袴腰、入母屋造、本瓦葺。
摂津多田院から 寛文年間 (1670年) 代に西大寺へ移築されたものと伝えます。
ちなみに除夜の鐘はどなたでも撞くことが出来、人数制限なし、列が切れた時点で終了という、なかなか味
なことをする西大寺さん。今年の暮れは西大寺に行こう!
▼大師堂。
▼青龍池。
▼青龍池。
▼三十三観音。境内南端に並んでいます。
▼平和観音。観音さんはこんな色でしたか、日が沈むと怖そう。
▼大黒堂。桁行一間、梁間二間、切妻造、本瓦葺き。
本尊 大黒天立像 (重文)。木造、像高83cm。建治二年 (1276年) 仏師善春造像。
▼手水舎。
▼護摩堂。本尊 不動明王。寛永元年 (1624年) 建立。
▼四王堂。
江戸時代、延宝二年 (1674年) 再建。重層、桁行七間、梁間五間、寄せ棟造、本瓦葺。
本尊 十一面観音立像 (重文)、錫杖を執る長谷寺式十一面観音像、像高638cm。
長谷寺十一面さんのスモール版とは云え、真近で見上げるとお顔が見えないくらい大きいお像です。
四天王立像四体(重文)。四王堂の名の起こり、称徳天皇発願の像ではあるけれど、お像は再三の災禍で、邪
鬼だけが当初のものと云われているようです。
▼四王堂扁額。
▼放生池の鴨。ただ一人、波風まかせで悠然と。
▼東門からの参道。
▼東門。近鉄西大寺駅から一番近い門。皆さんここから。
▼東門扁額。
▼本堂の御朱印です。
東大寺や興福寺の賑わいはここにはありませんが、南都七大寺の誇りは、境内を歩いていて十分に感じるこ
とは出来ます。
称徳天皇心の葛藤、政情不安、父聖武天皇への思慕と対抗心、それらがない交ぜになり、大寺院を建立、こ
れによって彼女の心は満たされたのでしょうか。往時の為政者の心の中を覗いてみたいものです。