土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

百済寺、湖東三山の参、ひゃくさいじと読みます。

2015年11月06日 | 滋賀の古寺巡り




(2015.10.31訪問)


さて迷車大和路号は湖東三山その壱、西明寺を辞して、弐抜けをし国道307号を一路南へ湖東三山その参、百済寺へ向
かっています。途中左にその弐、金剛輪寺の立派な導入サインがあり、大和路号は勝手に左折しようとしたのでコラコ
ラ今日は寄らないよとなだめて、ハンドル真っ直ぐなおも南進するのでした。その壱から八キロ程、国道から県道へそ
して立派な導入参道は鈴鹿山系の山懐目指して進んで行くのであります。




▼両側から覆いかぶさる緑の洪水、深まる秋のイメージから遠い参道を行くと……、






[ 百済寺 ]
●山号 釈迦山 (しゃかざん)
●寺号 百済寺 (ひゃくさいじ)
●宗派 天台宗 (てんだいしゅう)
●開基 伝 聖徳太子 (しょうとくたいし)
●開創 伝 推古天皇十四年 (606年)
●本尊 十一面観音菩薩立像 (秘仏)
▲拝観 600円 朱印300円 駐車場無料 
▲時間 8:00~17:00 
▲滋賀県東近江市百済寺町323 電話0749-46-1036
▲http://www.hyakusaiji.jp/index.html
▲近江西国観音霊場第十六番
 神仏霊場第百四十一番
 湖国十一面観音霊場第十番
 びわ湖百八霊場第六十四番
▲JRびわこ線「近江八幡」駅下車 近江鉄道「八日市」駅下車 タクシー15分(循環バス有)
 ※春秋にはシャトルバス運行
 名神高速八日市ICから車で約10分




▼赤門に着きました。味わい深い山寺の山門そのものグーです。
 一間一戸、切妻造、桟瓦葺、袖塀付。慶安三年(1650年)建立。






百済寺縁起 (百済寺HPから抄出)
寺伝によると千四百年前、推古十四年(606年)渡来人のために聖徳太子が創建された近江の最古刹です。
像高2.6mの十
一面観音を本尊とし、御堂は百済の「龍雲寺」を模して創建され、開闢法要には、高句麗僧「恵慈」を咒願とし、百済
僧「道欽」や暦を伝えた「観勒」も永く住したと伝えられております。龍雲寺と百済寺の御本尊は、同木から彫られた
観音さまと言うことになります。ご本尊は、別名「植木観音さま」と呼ばれます。
これは、太子が根の付いたままの幹に十一面観音を彫られたことに由来します。
その後、鎌倉時代からは「天台別院」
と称され、千三百人が居住する巨大寺院となるが、天正元年四月十一日信長の焼討ちに遭い壊滅。その後天海僧正の高
弟亮算が入寺し、堂舎再興の勅許を得て諸国に勧進、慶安三年(1650年)現在の本堂が竣工、寺形が整えられました。




▼秋の兆しは先っちょにチョット。






▼さてここから表参道になりますが人の姿が見えませんネ。
 実はココから歩く方は殆どいないらしく、クルマで駐車場へが一般的ですって。






▼真っ直ぐに参道が…、
 紅葉ファンの方、十一月中以降が凄いことになるそうですよ。






▼供養碑。天文法華の乱のときに出陣した百済寺僧兵の戦死者の供養碑が建立されております。
 ★天文法華の乱/法華 一揆(日蓮宗)VS一向一揆(浄土真宗)。






▼極楽橋。橋の手前を「此岸」橋を渡ると「彼岸」という形で造作されています。
 ドンドン行ましょう。






▼表参道横駐車場高台の入山受けの門を入るとドーンと視界が広がり…、






▼本坊前の広場到着です。






▼表門。入山料600円を払い境内へ。(先に本坊庭園を見るも良しです)






▼本堂までは石段が続く赤門からの石垣参道。一段あたり低いので軽~い軽~い、どんどん上って行きましょう。






▼間もなく仁王門が見えてきました。






▼この石段を上りきると仁王門。






▼仁王門です。桁裄三間一戸、梁間二間、入母屋造、檜皮葺、慶安三年(1650年)再建。






▼正面左右一対の大草鞋に触れると、身体健康、無病長寿のご利益があると伝えられているそうです。






▼アングルがえの仁王門。






奥の手発揮出来ず、見にくい仁王さんですが、本当に非常に分かりにくい仁王さんなんです。なんせ肌面ボロボロで腰
に何かを巻き付けていますし、この何かがよう分かりません。しかも向かい合っているのです。

▼阿形金剛力士。






▼吽形金剛力士。






さて本堂を目指しましょう。

▼一人のお姉さんが堂々と石段真ん中を上って行きます。






▼最後の石段です。






▼参道右に可愛い小さなお社、弁天堂です。先ほどのお姉さんが長いこと手を合わしていました。






▼簡素な手水舎。






▼本堂 (重文)です。正面写真が撮れません。余りにも引きがないんです、魚眼以外ムリ。
 桁裄五間、梁間六間、入母屋造、檜皮葺、軒唐破風付。慶安三年(1650年)再建。






▼正面の軒唐破風です。左右は全面蔀戸。






▼軒唐破風の蛙又。かなり手の混んだ意匠ですネ。






▼外陣天井と長押の奉納額。






▼内陣須弥壇のお前立ち像。本尊十一面観音菩薩立像は秘仏、後ろのお厨子に祀られています。
 本尊十一面観音菩薩立像(秘仏)。像高260cm、木造、平安時代。






        ▼お前立ち十一面さんの顔はフックラ切れ長の目、ベッピン観音さんです。






▼外陣の様子。広い板敷きの床は靴のまんまがOK。内陣とは引違い全面格子で区切られています。






        ▼内陣の門番か古色の中でやや場違いの閻魔さん。






▼陽の透過光が眩しい、まだまだ青いです。






▼鐘楼。一撞きに青もみじの樹々に吸い込まれて行くようなナガ~イ余韻が……。






▼一間社流造の三所権現。本堂と同時期の建立らしいのですが、相当傷んでおり水平ラインがなく要するにガタガタ。






        ▼樹叢に埋もれた宝篋印塔。






本坊広場へ戻り、本坊庭園(喜見院庭園)へ。

▼庭園の裏山くらいかな染まり出しているのは。






▼庭園入口の不動堂。
 信長百済寺焼き討ちの時、本尊をこのお堂に避難させた「お守りお堂」当寺は西ガ峰の奥之院にあったそうです。






▼本坊庭園。
 庭園は東の山を借景に山懐を利用し、池と変化に富む巨岩を配した池泉廻遊観賞式庭園です。


























▼別名「天下遠望の名園」と称され「西方琵琶湖をかすめて、比叡山系、比良山系を望まれる広大なパノラマが展開し
 ます」とHPは云ってますが、そこまで見えませんでしたけどネ。











▼御朱印です。






本坊下駐車場までクルマで進入出来ますが、このお寺を歩かれる方は、是非参道口の赤門からの参拝をお勧めします。
参道左右には石垣が累々と残っています。「地上の天国 一千坊」云われた僧坊の遺構なんです。信長焼き討ち後のなれ
のはて、極楽橋から本堂まで「石垣参道」として見ることが出来、いやが上にも往時の雄大な山岳寺院的遺構の中を歩
く歴史散歩を味わうことが出来ます。
しかし信長もココまでやるかと感慨ひとしお。まあ比叡山を焼いた人だもんネ。

湖東三山の参 オ シ マ イ





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