土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

御寺、泉涌寺は皇室の菩提所です。

2015年12月21日 | 京都の古寺巡り




(2015.12.19訪問)
先週、泉南の長慶寺ご住職に書いて戴いた紹介状を懐に、京阪電車「東福寺駅」で降り目指すは御寺泉涌寺。
東大路通りから泉涌寺道をお寺に向かいます。寒く鬱陶しいお天気にも関わらず三々五々参拝の方々の姿があります。
さてどんな所を拝観させて戴けるのか、ワクワクの気持ちもそぞろ、降り出すと困るので先に境内を一周、はやる気持
ちで本坊へ。紹介状の威力は大したもの、早速僧侶の方が出てこられ、どうぞご案内します……。


▼泉涌寺道表示より電線が目立っています。この道を真っすぐ300mくらい行くと、





[ 泉涌寺 ]
●山号 東山(とうざん)
●寺号 泉涌寺(せんにゅうじ)
●宗派 真言宗泉涌寺派
●開山 月輪大師 俊芿(がちりんだいし しゅんじょう)
●開創 嘉禄2年(1226年)
●本尊 三世仏、釈迦如来坐像、阿弥陀如来坐像、弥勒如来坐像
▲拝観 500円 本坊拝観料300円 朱印300円 駐車場無料 
▲京都市東山区泉涌寺山内町27 電話075-561-1551
▲JR奈良線「東福寺駅」から徒歩10分
 京阪電車「東福寺駅」から徒歩10分
 京阪電車「七条駅」から市バス208で「泉涌寺道」下車、徒歩7分 
 京阪電車「祇園四条駅」から市バス207で「泉涌寺道」下車、徒歩7分


▼墨跡鮮やか泉涌寺総門です。





泉涌寺縁起 (泉涌寺HPから抄出)
東山三十六峯月輪山の麓にたたずむ泉涌寺。皇室の菩提所として清浄無垢の法域となっている。
当寺は天長年間、弘法大師がこの地に草庵を結び法輪寺と名付けたことに由来し、建保六年(1218年)当寺が開山と仰
ぐ月輪大師俊芿(がちりんだいししゅんじょう)が宇都宮信房からこの地の寄進を受け、大伽藍の造営を志し、嘉禄二年
(1226年)に主要伽藍が完成。その時寺地の一角から清水が涌き出たことにより泉涌寺と改めた。この泉は今も枯れるこ
となく涌き続けている。当時朝野の尊信篤く、後鳥羽、順徳上皇、後高倉院をはじめ、北条政子、泰時も月輪大師につ
いて受戒するなど、公家、武家両面から深く帰依された。
大師入滅後も皇室の当寺に対する御帰依は篤く、仁治三年(1242年)四条天皇崩御の際は、当山で御葬儀が営まれ、山稜
が当寺に造営された。その後、南北朝~安土桃山時代の諸天皇、続いて江戸時代に後陽成天皇から孝明天皇に至る歴代
天皇、皇后の御葬儀が執り行われ、山稜が境内に設けられて、月輪陵(つきのわのみさぎ)と名づけられた。こうして当
山は皇室の菩提所として、篤い信仰を集めることとなり泉涌寺が御寺(みてら)と呼ばれる所以である。



        ▼泉涌寺イラスト境内マップがいやでも目に入ります。






        ▼御寺の文字が泉涌寺のステータス。






▼大門(重文)。江戸期初頭、御所の門を移築したもの。袖塀の五本線が格を表します。切妻造、四脚門、本瓦葺。






▼山号東山と書かれた大門扁額。






▼御寺の定番、大門から下り参道。






▼前方は仏殿です。






▼仏殿(重文)。本尊 三尊仏。釈迦如来坐像、阿弥陀如来坐像、弥勒如来坐像。
 単層裳階付、桁行5間、梁行5間、入母屋造、本瓦葺。寛文八年(1668年)再建。
 重層に見えますが、下屋根は裳階で、内部は天井が高く播龍図が睨みをきかせており豪快な内部ですよ。






▼チョット角度を変えて仏殿。






▼月輪山の麓に広がる境内。






▼舎利殿。仏牙舎利を納める霊殿です。この日は入堂できませんでした。
 重層、桁行七間、梁間六間、入母屋造、本瓦葺。江戸慶長年間内裏の御殿を改装移築したそうです。






▼舎利殿。






▼本坊山門。






▼本坊大玄関。






▼勅使門。四脚門、軒はすべて菊の御紋瓦です。天皇勅使や皇族方が訪れた時のみ開門。






▼御座所前庭。       











▼御座所前庭の散り紅葉に埋もれる月見灯籠。






▼青銅の蹲踞。






        ▼こんな五重石塔も。






さてここからがボクの自慢です。
霊明殿は通常拝観不可で、僧侶の方も皇室法会以外は入らないそう。なんということでしょう、ここへ案内され滅多に
出来ない経験を今日はさせて戴いたのです。


▼霊明殿唐門。檜皮葺の四脚門。後ろの大屋根が霊明殿。






▼霊明殿。桁行七間、入母屋造、桧皮葺、一間向拝付。外観は宸殿風の建物。
 明治十五年(1882年)十月炎上の後、同十七年明治天皇によって再建された尊牌殿です。
 殿内は内陣、中陣、外陣に分かれ、内陣は五室の宮殿造り。それぞれに扉を設け、中央扉内には四条天皇尊像と尊牌
 をはじめ、明治天皇、昭憲皇太后、大正天皇、貞明皇后、昭和天皇、香淳皇后の真影尊牌が奉安され、それ以前の
 天皇、皇妃、親王方の尊牌は左右の御扉内に奉安されているそうです。



ここは皇室の尊牌殿として清浄無垢の空間。殿内には照明配線は無く今は自然採光、法会の折は灯明のみらしいです。
外陣からの拝観になり薄暗い中で内陣の五室の扉が辛うじて眼に映る程度。過剰な荘厳は一切なし、前面に法具が並べ
られているのみ。それが神聖な空間と云う感覚を演出し、身には精神の聖域として、日本国天皇の歴史のみならず我が
国の深遠な思想の連綿と続く歴史の流れがここに再現されているかのような感覚、しかし言葉だけでは理解不可能でし
ょうネ。




▼霊明殿の屋根の妻部分。






▼仏殿南の矩形池。






▼右が清少納言の歌碑。刻が薄れて文字判読不能。左の石塔は不詳。






▼水屋形。寺名起源の名泉、今も湧出しています。






▼浴室。床下の鉄釜で湯を沸かし蒸気を床上に入れる蒸し風呂だそうです。






▼大門を入って左手奥に楊貴妃観音堂。






▼楊貴妃観音堂。本尊 楊貴妃観音坐像(重文)。
 須弥壇中央に安置される聖観音像。寛喜二年(1230年)請来仏。像容の美しさから、玄宗皇帝が亡き楊貴妃の冥福を
 祈って造顕された像との伝承を生み、以後楊貴妃観音と呼ばれて来たそう。
 美しいお像で、宝冠の緻密な透かし彫りには驚きました。お口の紅、瓔珞などエキゾチックなお顔と法衣デザインや
 持物や派手さ加減はやはり請来仏なんでしょうネ。






▼楊貴妃観音堂の扁額。横には楊貴妃らしい画額が。






▼小さいながらも石組のお庭があります。






境内の東後方、月輪山麓の月輪陵(つきのわみさぎ)へお参りします。

▼御陵の入り口の説明木板。
 四条天皇、後水尾天皇から仁孝天皇までの二十五陵、五灰塚、九墓が営まれているそうです。






▼月輪陵御拝所手水舎。






▼手水盤は皇室菊御紋十六八重の表裏三十二花弁を表しているようです。






▼月輪陵御拝所。広大な前庭から望む月輪山は天皇御陵とともに深く静かに鎮まっています。 











高貴なみてら、そろそろお暇です。

▼下り参道から大門へ。






▼拝観を許された霊明殿と書いて戴いた御朱印です。






今日はいい経験をさせていただきました。 合掌





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