土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

須磨寺、敦盛哀し青葉の笛。

2016年06月13日 | 兵庫の古寺巡り





(2016.06.11訪問)


そのムカシムカシ代理店にいた頃、須磨の離宮公園は絶好のロケ地で、広告制作などでカメラマンやモデルらとよく撮影に訪れた所。
須磨寺はその離宮公園のおトナリ、しかし全く知りませんでした。
今日は三宮で少しばかリ仕事の後、平家の哀歌が残る須磨寺をついでと云っちゃなんですが初めて訪ねました。哀しいお話を予想し
て訪ねたんですが、まるっきり予想が外れたお寺でした。




▼放生池に架かる龍華橋。前方は仁王門、参道が一直線に本堂まで続きます。






[ 須磨寺 ]
●山号 上野山(じょうやさん)
●寺号 福祥寺(ふくしょうじ) 通称須磨寺
●宗派 真言宗須磨寺派(しんごんしゅうすまでらは)
●勅命 光孝天皇(こうこうてんのう)
●開山 聞鏡上人(もんきょうしょうにん)
●開創 仁和二年(886年)
●本尊 聖観世音菩薩坐像
▲時間 8:30~17:00
▲拝観 無料 朱印300円   
▲兵庫県神戸市須磨区須磨寺町4丁目6-8 電話078-731-0416
▲http://www.sumadera.or.jp
▲市バス「天神下」下車北へ徒歩12分
JR「須磨駅」下車 北へ徒歩12分
山陽、阪神、阪急電車「須磨寺駅」下車 北へ徒歩5分
R2からは、水族園前より北へ、離宮道を上がり左折、旧神明道路を西へ
阪神高速月見山ランプ 旧神明道路を西へ




▼仁王門。三間一戸、入母屋造、本瓦葺。源三位頼政の再建と伝えます。両脇奥の間に金剛力士を安置。






須磨寺縁起 (須磨寺HPから抄出)
須磨寺略歴縁起によれば、兵庫区和田岬の海中より出現し給える聖観世音菩薩像を安置するために、淳和天皇の勅命により、兵庫区
会下山に、恵偈山北峰寺が建立された。後に、仁和二年、光孝天皇の勅命により、聞鏡上人が現在の地に上野山福祥寺を建立し、北
峰寺より聖観世音菩薩像を遷し本尊としてお祀りしたのが、当山の開基と伝えられる。南北朝時代から江戸時代にかけて歴代住職が
書き継いだ、当山歴代によれば、本尊聖観世音は嘉応元年(1169年)源頼政が安置したとある。




▼阿形金剛力士。







▼吽形金剛力士。金剛力士は運慶、湛慶作と伝えるらしいですが、これはチョット?ですネ。







▼この参道を行くと本堂です。






            ▼仁王門を潜るとスグ右にお立ちです。






▼源平の庭。平敦盛と熊谷直実の一騎打ち、平家物語名場面を違和感無く再現!
             一の谷の いくさ破れ 討たれし平家の 公達あわれ
                        暁寒き 須磨の嵐に 聞こえしはこれか 青葉の笛







            ▼名場面の横には蕪村の句碑。
                     笛の音に 波もより来る 須磨の秋






▼参道に戻りましょう。

 





▼参道石段のテッペンに唐門、前が本堂です。







▼豪勢な一枚岩を刳り貫いた手水鉢。







▼鐘楼。梵鐘を弁慶の鐘といい、源平合戦のとき弁慶が陣鐘に代用したと伝えるそう。鐘高三尺、鐘径一尺八寸、重量五十貫。大体
 想像つきますネ、弁慶のバカ力。(鐘楼の駒札から)







▼本堂です。桁裄五間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺、三間向拝付。創建仁和二年(886年)、慶長七年(1602年)豊臣秀頼が再建。
 内陣の宮殿(重文)は応安元年(1368年)建立。本尊聖観世音菩薩、脇侍毘沙門天、不動明王が祀られています。







▼本堂扁額。






            ▼本尊聖観世音菩薩坐像。






▼読経中。前方朱色が内陣宮殿(重文)。







▼本堂右に護摩堂。本尊不動明王坐像。桁裄三間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。妻側が正面のお堂です。







▼護摩堂須弥壇。中央に本尊不動明王、右に摩利支天、左に神変大菩薩が祀られています。

    





▼本堂左に大師堂。三間四方宝形造、本瓦葺,一間向拝付。本尊弘法大師、真言八祖をお祀り。







▼大師堂扁額。






            ▼本尊空海さんです。まるで博多人形、きれいお像です。

   




▼大師堂前の敦盛首洗い池。普通の小さい池で、睡蓮が咲き出しています。







▼境内の一部です。







▼鎮守社出世稲荷。平清盛が都守護のため尾玉・荒熊・末廣三明神を勧請。






            ▼出世稲荷扁額と拝殿、本殿。






▼三重塔。弘法大師千百五十年御遠忌、当山開創千百年、平敦盛八百年遠忌を記念して昭和五十九年に再建。旧塔は四百年前の文禄
 大地震の際に倒壊。







▼初層正面、本尊大日如来が見えます。







▼本尊金剛界大日如来坐像。塔再建と同時に像顕されたお像でしょう、きれいな大日さんです。







▼裏扉にいらっしゃるこの方は胎蔵界大日如来。ボク達が馴染んでいる如来顔ではなく、普通の人間顔、より親しめるイイお顔です。
 木目鑿目が残り檀像風、上帛や裙、宝冠、瓔珞など飾り物は彩色と金箔が施されています。まったく新しいお像です。







▼三重塔を廻るように八十八カ所お砂踏み霊場があります。






            ▼三重塔全身を撮るのを忘れました。間違いなく三重塔なんで。






            ▼親子地蔵。須磨沖で起こった哀しい事件が建立理由です。
             お地蔵さんが子供を抱っこしています。






▼一畑薬師の三尊彫り石碑。






            ▼平敦盛首塚。一の谷の戦で、熊谷直実に討たれ戦死した平敦盛の菩堤を弔う為に建立。
             須磨浦公園にある「敦盛塚」には胴体が祀られているそうです。






それでは奥の院へ参りましょう。
▼奥之院への参道。お寺のオネーサン「スグです10分くらい」イヤな予感的中25分かかりました。







▼正確にはここからが参道なんでしょうネ。







▼奥之院のお堂。本尊弘法大師。三間四方宝形造、桟瓦葺。






            ▼本尊弘法大師。大師の右手の五鈷杵から五色綱は、
             お堂正面の五鈷杵に結縁の金剛線として繋がっています。
             空海さんとのご縁を求めてボクも引っ張っておきました。






さて奥之院から戻って書院の方へ行ってみましょう。
▼書院です。入ることは出来ません。   













▼書院前に朱印蔵。







▼横に長い本坊。







▼正面唐破風玄関の彫刻がスゴイ。貫上の花鳥彫りの中央、獅子の顔には玉眼が嵌っています。下の松に鶴は透かしになってます。







▼板戸上の龍の顔にはやはり玉眼が嵌り、四枚それぞれ額装したいくらいの芸術彫りです。







▼本坊庭園の真鍋豊平さんの歌碑。
              ひとすじに こころこめたる ことなれば 
                        ちよのしらべも たえじとぞおもう



真鍋豊平さんは一絃琴の名人だそうで、ちなみに本坊は一絃須磨琴の保存会本部、稽古場になっているそうです。





▼小さな流れも設えてあります。







▼芭蕉の句碑。
    須磨寺や ふかぬ笛きく 木下闇







▼よく歩き回りました、おイトマしましょ。







▼御朱印です。






あの阪神大震災の完膚無き痛手を、よくここまで復興された須磨寺の努力には頭が下がります。
写真では紹介できませんでしたが、このお寺、老若男女子供まで参拝に来られた総ての方に楽しんでお参りしてもらうために「おも
ろいもん」が祀られ置かれています。色々工夫され、笑い触れ合いは心を豊かに、笑いというご利益がいただける、いわばお寺エン
ターテイメント、ワンダーランドとして努力されているオモロイお寺です。
敦盛哀歌は何処へ行ったんだろう。  敦盛さんに合掌






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