土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

法華寺、あの光明皇后写しの写しに会ってきました。

2016年09月22日 | 奈良の古寺巡り





(2016.09.17訪問)


秋篠寺から十分少々、法華寺は奈良三大門跡尼寺院の一つです。尼寺と云うと何か特別の感情が一方でしますが、これはボクだけか
な。今日の法華寺、尼僧さんには一人もお会いすることはありませんでした。
特別公開以外、光明皇后写しと伝わる本尊十一面観音菩薩に拝することは出来ません。お厨子横にレプリカ像が公開されてます。こ
れがまた良く出来た像で極近くまで寄れジックリ拝観出来ます。模刻とは云え素晴らしい出来映えには、仏師もさぞ名のある方の作
ではないでしょうか。



▼南大門 (重文)。四脚門、切妻造、本瓦葺。慶長六年 (1601年) 豊臣秀頼再建。





[ 法華寺 ]
●寺号 法華寺門跡 (ほっけじもんぜき) 正称 法華滅罪之寺
●宗派 光明宗 (こうみょうしゅう)
●開基 光明皇后 (こうみょうこうごう)
●創建 天平十七年 (745年)
●本尊 十一面観音菩薩立像 (国宝)
▲奈良県奈良市法華寺町882 電話0742-33-2261
▲拝観料 700円 朱印300円 本尊開帳や名勝庭園等拝観など季節により拝観料が異なります。
 かなり細かく決めているようですのでチケット売り場で確認を。
▲拝観時間 9:00~17:00
▲近鉄「奈良」駅から航空自衛隊前または西大寺北口行きバスで「法華寺」下車徒歩3分
 近鉄奈良線「新大宮」駅下車徒歩約20分 



            ▼寺号石柱。





法華寺縁起 (法華寺HPから抄出)
創建の天平時代から千二百五十年以上続くお寺です。
光明皇后は藤原不比等没後、不比等の屋敷を皇后宮とし、総国分尼寺法華滅罪之寺とされました。略称として法華寺と呼ばれるよう
になります。東大寺が総国分寺、法華寺が総国分尼寺となされ、続日本記には、光明皇后の勧めによると記されています。



▼南大門は通行不可、正面に本堂が見えます。







▼東門、通称赤門。通常ここからの入山です。






            ▼禅刹に多い不許石標。ここは尼門跡、酔っぱらいのオトコは入ってはいけません。






            ▼寺号木札。






▼鐘楼 (重文)。桁裄三間、梁間二間、入母屋造、本瓦葺、袴腰付き鐘楼。桃山時代。







▼境内。







▼放生池中に浮かぶ護摩堂。本尊不動明王、桁裄二間、梁間三間、宝形造、本瓦葺、平成十七年落慶。







▼護摩堂東に噴水が……。







▼本堂前に大きな菩提樹が植わってます。







▼本堂 (重文)。本尊 十一面観音像 (国宝)。
 桁行七間、梁間四間、寄棟造、本瓦葺。慶長六年 (1601年) 淀君の寄進により再興建立。






            ▼本尊 十一面観音菩薩像 (国宝)。
             本尊は国宝の十一面観音菩薩です。
             光明皇后が蓮池を歩かれた姿を写したと言い伝えられています。
             写真がないのは説得力に欠けますネ、と毎度同じことを云ってます。
             像高約100cm、カヤ材一木造、髪、眉、髭は群青、唇に朱、目に白、
             髪、冠や腕釧は銅板を使用。光背は明治期の後補。



            (数年前に描きましたペン画です)




▼本堂。







▼本堂屋根。新旧の瓦が利用されているのでしょうか。







▼本堂前の大蘇鉄。







▼ここから先は通せんぼ。書院へ続く参道です。







▼薬師堂。桁行三間、梁間二間、入母屋造、本瓦葺。本尊 薬師如来。







▼横笛堂。平家物語第十巻に登場する横笛が祈りを捧げたお堂。滝口入道と横笛の悲話哀歌のお話が余りにも有名ですネ。
 現存する法華寺の建物としては最古、鎌倉時代の建立。




♥平家物語が語る滝口と横笛の悲恋物語♥
少し長いですが参考までに。
滝口入道とは、平重盛に仕え宮中滝口警護に当たる武士斉藤時頼のこと。時頼は平清盛の花見宴で、建礼門院に仕えていた横笛の舞
に一目惚れ、恋しい気持ちを文に記し横笛に届けた。宮中警護の武士の恋文を見た横笛はこの愛を受け入れ、二人は愛の契りを結ん
だ。時頼の父の叱責で時頼は自責の念に苛まれ、横笛に知らせることなく、十九歳で嵯峨往生院で出家。
都の噂で出家を知った横笛は、自分の心を打ち明けようと、あちこちの寺を尋ね歩きます。嵯峨の地へやって来た横笛は小さな庵か
ら念誦の声を聞いた。念誦の声に「この声は、滝口様」、表戸を叩き「滝口入道様、お姿をお見せくださいませ。都からまいりまし
た」と横笛の従者が声をかけた。横笛は茂みに隠れ滝口の姿を一目でもと。同時に念誦が止み、一人の僧が「そのような者はこの僧
坊にはおりません」と。横笛は「念誦の声は、間違いなく滝口様。なぜお姿を」と涙したのである。これは滝口が一人の僧に言わせ、
襖の奥から見つつ「会うは修行の妨げなり」と涙しながら帰したのである。追い返された横笛の落胆はいかほどか。横笛は自分の気
持ちを近くの石に「山深み 思い入りぬる柴の戸の まことの道に我を導け」と指を斬り、その血で書き記したという。滝口入道は、
それからすぐに女人禁制の高野山静浄院へ移った。それを知った横笛は悲しみのあまり南都法華寺で出家、そこで一生を終えたと伝
えられている。横笛の死を聞いた滝口は、いっそう仏道修行に励んだという。




▼からふろ。光明皇后伝説のある蒸し風呂。室町後期に改築、明和三年(1766年)再建。







▼からふろ扁額。







▼からふろの傍らに今も水が溜まる井戸。ムム、誰か写ってますネ。







▼光月亭。






            ▼光月亭駒札。






▼障子の明かり。







▼華楽園。約1,000坪の花園、江戸前期の作庭。四季を通じて花木草花を楽しめると説明されています。






咲いているのは、
▼芙蓉と







▼彼岸花と







▼スモークツリー。これは珍しい、初めて見ました。







▼可愛い小さな花です。名前判りません。







▼この花も名前判りません。花芯に秋の虫が必死で蜜を吸ってます。



今はこのくらいの花達が咲いているだけで、チョット寂しい華楽園でした。





▼ご朱印です。






ご本尊にも会えず、名勝庭園にも入れず、華楽園は寂しい限り、拝観者も二〜三人、少々物足りない法華寺でした。
次は奈良坂まで行きます。花のお寺、あのコスモス寺です。
期待し過ぎで期待はずれはショックが大きい、あんまり期待せんときましょか。





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