(2017.05.20訪問)
五月晴れとは今日のお天気を云うのでしょう。湖国の空は抜けるような青一色。新大和路号は名神を一路彦根を目指しルンルンで走
っています。今週は湖北へ十一面さんを訪ね行こうと思ったんですが、大阪からはチト遠い、長浜のお寺もヤッパリ遠い、そうだ彦
根はまだ訪ねたことがなかった、湖北よりは近いと急遽訪ね先を変更、彦根の古刹を訪ねることにしました。
▼参道には弁財天の幟がヒラヒラと。
[ 長寿院 ]
●山号 大洞山 (おおほらざん)
●寺号 長寿院 (ちょうじゅいん) 別称 大洞弁財天 (おおほらべんざいてん)
●宗派 真言宗醍醐派 (しんごんしゅうだいごは)
●開基 彦根第四代藩主 井伊直興 (いいなおおき)
●開創 元禄八年 (1695年)
●本尊 弁財天
▲ 滋賀県彦根市古沢町1139 Tel. 0749-22-2617
▲拝観料 境内自由 ご朱印300円
▲JR琵琶湖線 「彦根駅」 下車徒歩25分 タクシー5分
名神高速道路「彦根IC」5分
▼勾配急の参道中程に大鳥居。扁額の字、読めないんですよこれが。しかしなんで鳥居なの?
長寿院縁起 (大洞弁財天ガイドパンフレットから抄出)
元禄八年彦根藩四代藩主井伊直興が彦根城の鬼門除けと領内の安泰、領民に普く利益を浴させるため、一人一文の奉加金を募り、藩
金を加え自らが院主となり創建した藩寺です。彦根城から北東1.5キロの佐和山に連なる大洞山の中腹に位置しています。
▼鳥居の先に第一の門……、
▼総門です。
▼総門からマダマダ急石段、その上には……、
▼楼門が見えてきました。
▼立派な楼門です。三間一戸、入母屋造、本瓦葺。初層左右に堅牢地神、毘沙門天が安置。
▼初層右に堅牢地神。聞き慣れない神名ですが、天部の一神らしいです。
▼左に毘沙門天。兜の前飾が光輝いてます。
▼楼門から境内、正面に弁財天堂、本堂です。
▼境内から振り返って見る楼門。楼上には、甲冑姿の大黒天が睨んでるそうです。
▼楼門戸口が額縁。正面に彦根城が見える筈が……、
▼見えますネかすかに。ロングを持ってきませんでした。105ミリじゃこれが精一杯!
▼本堂弁財天堂 (重文)。本尊弁財天坐像。桁裄三間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺、向拝一間付、唐破風造。不思議なことにお堂背
面に向拝一間付。元禄八年(1695年) 建立。
▼扁額。先の鳥居扁額と同じ文字が書かれています。
▼向拝柱の貫彫刻。この写真では分りません (ヘタやねぇ) が、凄い彫刻だと思って下さい。
▼向拝柱の右の木鼻。
▼左の木鼻、いずれも象なんですが阿吽は不明。これが阿形と思うんですが。
▼鮮やかな彩色の残る海老紅粱と阿形龍。
▼こちら吽形龍。
▼内陣。格子戸の向こうに本尊弁天さんがお坐りです。
▼本尊弁財天坐像。像高約180cm。一点を見つめ左手宝珠、右手に宝剣を持つ福与かなお像です。
しかしボクが知る弁天さんとはチョット印象が違うようで、男っぽいですネ。
▼お堂側面の組み物も凝りに凝ってますネ。
▼弁財天堂の屋根。上は入母屋の鬼瓦、下が向拝唐破風の鬼瓦、龍の咆哮か……。
▼複雑な造りになっている弁財天堂、典型的な権現造りだそうです。
▼手水舎。
▼校倉造りの宝蔵。
▼境内高台に阿弥陀堂。桁裄五間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺、三間向拝付。元禄八年(1695年) 建立。
▼通常非公開のお堂なんですが、ラッキーですネ、公開中でした。
▼内部の欄間という欄間にはこれでもかと透かし彫刻。この欄間だけでも見応えがあります。
▼四本柱の内陣。須弥壇上に本尊阿弥陀如来立像、右釈迦如来坐像、左に大日如来坐像を安置しています。
▼須弥壇の三尊です。光背を見て下さい、相当賑やかな彩色ですネ。
▼本尊阿弥陀さんです。
▼スッキリ全景が撮れない阿弥陀堂でした。
▼弁財天堂裏正面に奥の院宇賀神堂への参道石段。
▼宇賀神堂。災厄消除と所願成就の宇賀大神を安置しています。
桁裄三間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。安永四年 (1775年) 建立。
小さいながらもお堂のエッセンスが詰まってます。
▼屋根の形がまた凝ってます。入母屋屋根に大きめの千鳥破風、向拝が唐破風と代表的な屋根の形状が、この小さなお堂に重量感を
与えているようです。
▼帰り参道の中途に経蔵が建ってます。思わず通り過ぎるところでした。
輪蔵に一切経を蔵。方三間の宝形造、本瓦葺。元禄十二年 (1699年) 建立。
▼少し珍しい受け花の上に宝珠がのっています。
▼ご朱印です。
境内には弁財天堂を初め多くのお堂が所狭しと配置され、見事なパズルの一面として収まっているお寺です。お堂密度の非常に高い
お寺とも云えるでしょう。数々のお堂で、目を見張るのはお堂内外部の各所に彫刻を多用し、その色彩が極彩色、漆塗りと非常に装
飾性に富んでおり、創建当初のイメージは、お山の中腹に突如表れた極楽浄土そのものだったのではないでしょうか。これも井伊家
の財力と元禄時代の浮き浮き世情の一端を表しているのかも知れませんネ。
街中を走っていて改めて彦根の町は井伊家のイメージが色濃く残っていることを実感、次に訪ねるお寺も井伊家の菩提寺です。
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