(2018.11.10訪問)
赤やオレンジに彩られる綾錦に魅せられる候にはチト早い今日、京都奥嵯峨の直指庵を訪ねるために早々に我が家を出ました。チト
早いとは云え十一月、世間のクルマが京都、奈良へ集中するであろうことを予測し久々早めに大和路号は我が家を出発したと思って
ください。有ろう事か大和路号のアホナビは、なななんと嵐山経由のコースを指示するではありませんか。高速降りて京北端へは市
街を北へ走るのは止むを得ませんが、選りに選って西向いて一番混雑する嵐山を通るなんて論外のアホナビめ、距離優先のため止む
を得ず従いました。案の定嵐山銀座はクルマも人もイッパイ、ノロノロノロとあとはなるようになれでした。
しかしよくよく考えて見ると、直指庵は嵐山の北スグなんですよネ。
▼自然石に彫り込まれた寺号じゃなかった庵号。直指庵は寺号がありません。
[ 直指庵 ]
●山号 祥鳳山 (しょうほうざん)
●寺号 直指庵 (じきしあん)
●開山 独照性円 (どくしょうしょうえん)
●開創 正保3年 (1646年)
●宗派 浄土宗
●本尊 阿弥陀如来
▲拝観料 500円 朱印300円
▲時間 9:00~16:00 (11月~12月上旬は16:30まで)
▲京都市右京区北嵯峨北ノ段町3 Tel.075-871-1880
▲JR「京都駅」から市バス28系統「大覚寺」徒歩15分
JR「嵯峨嵐山駅」徒歩約30分
▼山門。門前は小砂利が敷き詰められいい雰囲気です。
直指庵縁起 (直指庵パンフレットから抄出)
臨済禅を学んだ独照性円が南禅寺栖雲庵から正保3年 (1646年) 嵯峨細谷に草案を結んだのが始まり。その時の庵の名を没蹤庵とい
うそう。独照は枯れ松の枝が地に落ちるのを見て大悟し、直指人心の旨を守って庵を直指庵と号した。独照性円が明の高僧隠元隆琦
に黄檗禅を学び、隠元を直指庵に招じてからは、伽藍を建立し大寺院になったが、その後荒廃し、幕末に近衛家の老女津崎村岡局が
浄土宗の寺として再興したのが現在の直指庵である。
▼直指庵駒札。上記縁起より詳しく書かれています。
▼ではでは境内へGO ! 早速上りですネ。
うっすらと赤みが増して、もう少し秋が深まると素晴らしい紅葉を見せてくれそうですネ。
▼参道脇には石蕗が咲いてます。
▼3m余りの大きな燈籠。
▼後ろには竹林が控えています。
▼参道を進むと茅葺きの本堂が見えてきました。
▼本堂。本尊阿弥陀如来。屋根は茅葺、明治32年 (1899年) 再建。
玄関横には蓑が掛けられ、どこか農家の佇まいが感じられます。
▼直指庵と書かれた扁額。
▼本堂の隣に「珍しい竹の庭」と木札がありますが、ドコが珍しいのかよく判らないお庭でした。
▼本堂前に縁結びの愛逢い地蔵のお二人。顔の下にブラブラするものなあーに?
▼石仏と云えども姿形不詳の七体。
▼参道道すがら「待合」と云う小さな門風の建物、気になる名前です。
▼直指庵を再興した村岡矩子さんの墓所。
▼村岡矩子さんとはこんな方。
▼徴老和尚の塔。
▼境内の右手奥に「思い出草観音像」がお立ちです。
直指庵には、この地を訪ねた人が、様々な思いの丈を綴る「思い出草ノート」が置かれています。綴られた苦しみ悲しみの一切を
救ってくれる観音さんです。
▼釈迦涅槃のレリーフ。
▼開山堂。
▼開山独照和尚の墓、大円塔。
▼ちょっとコワーイですが独照和尚の木像が祀られています。
(和尚写真はネットからもらってきました)
▼開山堂の前に開山独照和尚自らが「出でて吾が塔を護る」と序した「亀石」があります。
▼境内。
▼石畳の道。
▼でっかい茅葺きの修練道場。玄関は締め切りでした。
▼ドウダンツツジの真っ赤に見送られて直指庵 オ シ マ イ
特に理由はないんですが、ボクはこのお寺ズーと尼寺と思っていました。
直指庵を訪ねる前にHP拝読すると、お寺として外部媒体の直指庵論に相当ご不満があり、HP1ページを割いてそのTOPに「直指庵は
尼寺ではありません」とキャッチコピーを入れ、訂正や反論を滔々と述べています。よほど腹に据えかねたものと思われます。
やはりボクたちもお寺ガイドや雑誌特集などをそのまま鵜呑みにして、そのお寺を理解していたきらいがあります。
情報の取捨必要ですネ。
次の訪問はここから南に少し下った、あの大寺院です。