(2018.12.01訪問)
たまたま西国三十三所観音霊場のご朱印帳を眺めていたら、何としたことでしょう、知らぬ間に三十二所のお寺が拝観済みになって
るじゃありませんか。残り一カ寺を残すのみ、それが三十三番札所谷汲山華厳寺、締めの結願寺院なんです。お寺を訪ねて十数年、
特に三十三所を意識して訪ねてはいませんが大半寺院が近畿圏内にある中で華厳寺は岐阜県にあります。我が大大阪からは少々遠い
ので敬遠していたのかも知れません。よっしゃ、結願しようじゃないかと云うことで大和路号は取り敢えず名神を走っています。
▼境内マップ。
[ 華厳寺 ]
●山号 谷汲山 (たにぐみさん)
●寺号 華厳寺 (けごんじ)
●宗派 天台宗 (てんだいしゅう)
●開祖 豊然上人 (ほうねんしょうにん)
●創建 延暦十七年 (798年)
●本尊 十一面観世音菩薩 (秘仏)
▲拝観料 無料 朱印 300円
▲ 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23
▲札所 西国三十三所観音霊場三十三番札所
▲JR東海道本線大垣駅→樽見鉄道 谷汲口駅下車 名阪近鉄バス、揖斐川町バス(谷汲山行き)谷汲山下車
名神高速(関ヶ原IC)(大垣IC)(岐阜羽島IC)から共に約60分 約35km
東海北陸自動車道(各務原IC)から60分 約35km
▼西国三十三満願霊場の碑。
華厳寺縁起 (華厳寺HPより抄出)
奥州会津の出身の大口大領は十一面観世音の建立を願い奥州の文殊堂に参篭し苦行の末、満願明に霊木を手に入れる事が出来、大領
はやっとの思いで尊像を完成させました。京の都から観音像を奥州へ運んでいこうとすると、観音像は近くにあった藤蔓を切って御
杖にして、御笠を被り、わらじを履いて自ら歩き出しました。途中、美濃国赤坂 (現岐阜県大垣市赤坂) にさしかかった時、観音像は
立ち止まり「遠く奥州の地には行かない。我、これより北五里の山中に結縁の地があり、其処にて衆生を済度せん」と述べられ、奥
州とは異なる北に向かって歩き出しました。しばらくした後、谷汲の地に辿り着いた時、観音像は歩みを止め、一歩も動かなくなっ
たので、大領はこの地こそが結縁の地だろうと思い、山中に柴の庵を結び、誠に持戒堅固な豊然上人が住んでいたので、大領は上人
と力を合わせて山谷を開き、堂宇を建てて尊像を安置しました。すると堂近くの岩穴より油が滾々と湧き出し尽きることが無いので、
それより後は燈明に困ることが無かったといいます。
▼仁王門。重層楼門、3間1戸、入母屋造、銅板葺、奥の間左右に仁王像を安置、宝暦年間の再建。
▼山号谷汲山と書かれた仁王門扁額。
▼早速入山しましょう、いきなりのインパクト、期待出来そうじゃないですか。
▼参道沿いはとりどりの赤。
▼十王堂。
▼須弥壇には閻魔大王を中心に十人の裁判官が睨んでいます。
▼羅漢堂。
▼須弥壇中央にはキンピカの阿弥陀三尊、周囲に十六羅漢が取り巻いています。
▼境内は赤の競演。
▼英霊堂。
▼南無阿弥陀仏と書かれた扁額。
▼堂形の珍しいお堂、一切経が納められた経堂です。
▼観音さんと勢至さん、仲がおよろしいようで。
▼袴腰で鐘楼と判りますが、唐破風付きの立派すぎるほど立派な鐘楼。
それでは本堂へ参りましょうか。
▼本堂への石段。
▼フル表示は本堂前に。
▼これが結願札所の本堂です。本尊十一面観世音菩薩。桁裄5間、梁間4間、入母屋造、本瓦葺、1間向拝付。
▼香煙の絶えることはありません。
▼向拝左右の柱の「精進落としの鯉」
西国巡礼をこのお寺で満願して記念にこの鯉に触ると万々歳。
▼本堂正面の扁額、寺号が書かれています。
▼本堂外陣には多くの奉納額が。
▼内陣に架かる大きな鰐口と山号扁額。
▼質素でシンプルな須弥壇ですネ。
▼奥はこれ以上見えません。お厨子と思われる中に本尊はいらっしゃるのでしょう。
▼本堂後堂に祀られる観音さんと彩色鮮やかな四天王の面々。
▼お札を貼りまくられている雨乞い祈願仏。
▼本堂前から来た参道を見下ろすと。
▼見言聞のタヌキ版。
▼本堂横段上に納骨堂。
▼おいづる堂。西国三十三所巡礼を終えた人々が奉納した笈摺、朱印帳さらに千羽鶴(折鶴=笈摺)が奉納されされています。
▼おいづる堂内部には奉納された数々の品。
▼奉納された千羽鶴。
▼おいづる堂隣の子安観音堂。本尊子安観音。安産子宝祈願のよだれかけが奉納されています。
▼子安観音堂内の子安堂にはキンピカの観音さんがお坐りです。
▼山々もいい感じ。
▼紅葉のボリュームに負けず劣らずの満願堂石柱。
▼小さいながら堂々の堂姿ですネ。お堂周囲に満願の文字の刻まれた狸が大勢並んでいます。
▼満願堂須弥壇。中央に本尊がお立ちです。
▼満願堂本尊十一面観音立像。お顔が見えないのは残念でした。
▼紅葉と十三重石塔。
▼今盛り。
▼庫裡の一部の阿弥陀堂。
▼本尊阿弥陀さんはまだ新しいようですネ。
▼とりどりの赤。
▼境内の少し離れた所に建つ不動堂。
▼本坊中門、門内から外は赤グラデの世界。
▼講堂は大修復中。
▼全く読めない講堂扁額。
▼講堂仏間。中央のお厨子に立つのは何方かナ。
▼今日一印象に残った襖絵。
▼最後に庫裡玄関。
▼西国三十三所観音霊場三十三番札所ご朱印です。
広い境内に所狭しと建ち並ぶ堂宇伽藍、古色に彩られ落ち着きと重厚さが漂うその姿は結願寺院そのものの貫禄か。さすが西国三十
三結願寺院の開創1220年の歴史は伊達じゃありません。西国三十三所観音霊場三十三番札所として巡礼者の最後のお寺として、そし
て時は絶好紅葉のシーズン、もみじの名所としての顔をも持つこの華厳寺、訪れる人の多さは半端じゃありませんでした。ボクの場
合特に巡礼を目的としてお寺を訪ねている訳ではありませんが、ここ華厳寺へは観音霊場結願寺院の重みを感じながら、大阪から約
160キロの道のりをやって来た次第であります。
これにて華厳寺 オ シ マ イ