土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

妙國寺「堺の寺といえば妙國寺、妙國寺といえばソテツ」貫首の自信。

2017年04月27日 | 大阪の古寺巡り





(2017.04.22訪問)


高倉寺から堺の街中に向かいます。次に訪ねた妙國寺、歴史が古いお寺ではないのですが超売り物があるんです。樹齢千年越えの
大蘇鉄と蘇鉄枯山水の庭、蘇鉄大盤振る舞いのお寺です。さすが有名寺院への道、迷車大和路号のアホナビでもすんなり案内して
くれました。




▼山門。門前は頻繁にクルマが通ります。途切れ一瞬のカット。






[ 妙國寺 ]
●山号 廣普山 (こうふさん)
●寺号 妙國寺 (みょうこくじ) 愛称 蘇鉄の寺
●宗派 日蓮宗 (にちれんしゅう)
●開基 三好義賢、油屋常言、常祐
●開山 日珖上人 (にっこうしょうにん)
●創建 永禄十一年 (1568年) 
●本尊 七字名号 
▲大阪府堺市堺区材木町東4丁1-4 Tel. 072-233-0369
▲拝観料 400円 ご朱印300円
▲時間 10:00~16:00
▲ 阪堺線「妙國寺前駅」から徒歩約5分




▼山門。正面から見るとまるで城門のようですネ。






妙國寺縁起 (堺観光ガイドHPより抄出)
妙國寺は堺の中心部、材木町に門を構える永禄十一年建立の寺。当時堺を支配した三好四兄弟の一人が日珖上人に土地を寄進し、
上人の父であり堺の豪商として知られる油屋常言の協力により建てられました。日蓮宗の代表的な寺院として、商人や来堺した戦
国武将たちの信奉を受けて栄華を極めながら、大阪夏の陣で「徳川家康妙國寺に有り」と聞きつけた豊臣兵により火を放たれ、灰
燼に化します。江戸期に再建されてからも再び堺大空襲により消失。昭和四十八年に三たび再建されたものです。




            ▼元皇室勅願所の映え、菊の御紋が光ってます。






            ▼山門左右の護り、右の阿形金剛力士。






            ▼左に吽形金剛力士。






            ▼こちら舊勅願所の碑。






            ▼境内右に宗祖日蓮さん睥睨の像。






▼現在の堂伽藍は総てコンクリート、デザインとカラーリングの妙を感じます。
 この建物は三つのお堂からなってるようですが、堂名は不祥。側面は蘇鉄のお庭。







▼こんなのや……、







▼こんなのが植わっています。これらはマダマダ小さい蘇鉄です。







▼立ち入りと写真撮影については相当厳しく規制をしています。

      





▼堂々の大伽藍、左右対称の美、上層が本堂です。階段の間奥が拝観受付になってます。







▼上層〆切、本堂拝観は出来ません。







本堂北側が蘇鉄の庭園になっています。霊木大蘇鉄と蘇鉄枯山水の庭がガラス越しの観賞になります。
お庭に下りること、信じられませんが室内からお庭の撮影総て御法度。

▼これが噂の霊木大蘇鉄。国指定天然記念物。(写真は門前のガイド板を複写)
 樹齢千年と云われても、近くで見れてこその値打ち、ガラス越しで5〜6mの距離では実感なし。







▼アングル変えの霊木大蘇鉄。(日本観光振興協会HP写真から)




霊木大蘇鉄の伝説蘊蓄 (堺観光ガイドHPより抄出)
戦国時代、妙國寺の蘇鉄は大変珍しがられ、天下統一を果たした織田信長も羨望の的に。ついにその権力をもって安土城へ移植さ
せてしまいました。ところが、その蘇鉄は毎夜毎夜「堺へ帰ろう」とすすり泣くのです。激怒した信長が部下に命じて蘇鉄を切ら
せたところ、切り口より鮮血が流れ、大蛇のごとく悶絶。さすがの信長も気味悪がり、蘇鉄を妙國寺に返し届けました。痛めつけ
られた蘇鉄は今にも枯れそうになり、日珖上人が読経したところ回復。ここから「蘇鉄」という名がついたと言われています。
現在大小120数本の幹枝を数え、江戸期の「和泉名所図会」には「大枝22本、小枝78本、総まわり25尺、高さ22尺余り、枝葉6~7
間は一面の蒼色ですいらんの如し」と記された堺の名木の一つです。




▼蘇鉄枯山水の庭。(堺観光ガイドHPより抄出)(写真は門前のガイド板を複写)
 築山を築かない蘇鉄の配植を中心にした平庭林泉回遊式枯山水庭園であることが判明、江戸時代後期の姿を基本として復元整備
 がおこなわれました。蘇鉄を中心とした枯山水庭園としては、全国的にも類をみない大変貴重なものだそうです。







▼手水鉢。







▼変な龍の水口。







▼本堂隣の宇賀徳正龍神社。女性の味方で妙國寺の鎮守社。







▼シンプルな扁額。







▼内部の神殿。







▼ここにも変な龍。顔を見れば龍、全体見ればカマキリのような変なヤツ。龍神社の龍かも知れませんネ。







▼堺事件の供養塔。(堺観光ガイドHPより抄出)
 妙國寺はまた、哀しい兵士の物語でも語り継がれています。慶応四年(1868年)堺に上陸したフランス兵と警備の土佐藩士と
 の間で争いがおこり、フランス人が多数死傷。この事件は国際問題となり、責任を追及された土佐藩兵士11名が境内で切腹し
 ました。有名な堺事件です。境内には土佐藩士割腹跡の碑が立ち、兵士をしのんで供養塔が建立。







▼境内最も目立たない所に鐘楼。







▼本坊。







▼南門。やはり菊の御紋が光ってますネ。こちらからお暇します。






                ▼境外にズバリの文言。







▼ご朱印です。





昭和期に再建されたお寺と云うことで、境内一帯、建物の美から売り物のお庭まで、さすが管理は素晴らしくキレイなお寺です。
しかし、見せてやるの代表のようなお寺で、拝観条件がんじがらめ、しかも蘇鉄の庭以外何もナシ。山内で山門脇の金剛力士以外
仏像の姿を見ることはなく、本堂で手を合わせることもなく、お寺本来の精神的なバックボーン、拝観者に対する啓蒙や仏教のあ
りよう、いくらかはそんなものを期待してお寺を訪ねるのですが、蘇鉄の庭だけとは……。

追、お寺を訪ねて仏像を拝見しなかったこと信じられます?





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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
福岡 (黒仁庵)
2017-05-01 02:41:21
博多も古刹だらけです(^-^)
一度おいでくださいm(_ _)m
京都奈良にはかないませんが……(≧∇≦)
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Unknown (hidepon)
2017-05-01 13:29:12
黒仁庵さん、こんにちは。
全国訪ねたいお寺はやまやまなれど、
地元近畿のお寺巡りで精一杯。というところです。
九州の名所旧跡と云われるところは何度か訪ねているんですが、
お寺となると、全くの未知の世界です。
黒仁庵さん、中州辺りでお寺談義、ご一緒にしたいですネ。
コメントありがとうございます。



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