(2012.08.15訪問)
十四日早朝のあの狂ったような雷と豪雨、大阪、京都が特に酷かったようで被害に遭われた皆様お見舞い申
しあげます。自然環境が完全に破壊されているとしか思えない昨今の自然災害、受けて立つ術も無く恐怖が
先立ち手も足も出ない自然の力の強大さ、畏怖感のみしか残らない人間の弱さが露呈した雷と豪雨、科学技
術の驚異的進捗も自然の前には平伏するしか手は無いのでしょうか。
明けて十五日、いくらかましの空模様に、悉く予定がポシャった盆休みのアホらしさをせめて最後の日くら
いはと久々に葛城古道を走りました。とりあえず當麻寺へ。
▼當麻寺のヒロイン、中将姫像。
當麻寺を語るにはやはりこの方が主役でしょう。
中将姫伝説
奈良時代後半、藤原南家武智麻呂の長子藤原豊成の娘中将姫が、継母の難から逃れ當麻寺で出家、極楽往生
を願い蓮糸で一夜にして織り上げた曼荼羅、西方極楽浄土を描いた當麻曼荼羅と呼ばれている阿弥陀浄土変
相図、今本堂厨子に祀られている本尊がこれです。
[ 當麻寺 ]
●山号 二上山
●寺号 當麻寺(たいまでら)
●宗派 高野山真言宗 浄土宗
●開基 (伝)麻呂子皇子
●開創 (伝)推古20年(612年)
●本尊 當麻曼荼羅
當麻寺縁起
聖徳太子の弟君麻呂子皇子の御願で當麻寺の前身寺院萬法蔵院が今の大阪太子町、二上山西麓に建立され、
金堂に弥勒仏を安置、勅願寺に準じられた。天武天皇の時代、現在地に移され現代までその法灯を守ってい
ます。(異説は数説あるようです)
▼仁王門。三間一戸、十二脚門。入母屋造、本瓦葺き。両袖に金剛力士が睨んでいます。
▼境内。後方右、雄山が隠れた二上山。
▼境内からの仁王門。
▼鐘楼。吊られている梵鐘は国宝、銅造、総高153cm、口径85cm、飛鳥時代。我が国現存する最古の梵鐘
らしいです。
▼金堂(重文)。元の本堂。桁行5間、梁行4間、入母屋造、本瓦葺、鎌倉時代。
金堂内部拝観は通常こちらから入堂しますが、裏側になります。
▼金堂本尊弥勒仏坐像(国宝)。像高222.8cm、塑造漆箔、飛鳥時代。(淡交社、古寺巡礼 奈良7 當麻寺から)
我が国最古の塑像と云われ、漆箔剥落や螺髪も多くが失われていますが、柔和なお顔がやや大きく感じるも
のの全体に安定感、重量感は感じます。ただ如来や菩薩特有の三道が無いのはやはりそうとう古い作例なん
でしょうね。本尊を中心に四方に四天王立像が祀られています。
▼こちらが金堂正面。
▼金堂前の八角石灯籠(重文)。総高250cm、凝灰岩製、奈良時代。
基壇と火袋を除いて当初のまま、我が国最古の石灯籠だそうです。
▼講堂(重文)。桁行7間、梁行4間、寄棟造、本瓦葺。鎌倉末期乾元二年(1303年)再建。
中央須弥壇に本尊 阿弥陀如来坐像(重文)。他数体の仏像群が一列に祀られています。壮観ですよ。
▼東塔(国宝)。三重塔、塔高24.39m、奈良時代。
▼東塔相輪。通常塔の相輪は九輪が標準と聞きますが當麻寺の両塔は共に八輪しかありません。なぜなんで
しょう、意味はあるんでしょうね。
▼本堂(曼荼羅堂)。桁行7間、梁行6間、寄棟造、本瓦葺。永暦二年(1161年)の建築
梁行6間のうち、奥3間を内陣、手前3間を外陣としています。
當麻曼荼羅厨子、高さ501cm、間口390cm、奥行123cm、厨子六角厨子が置かれ本尊当麻曼荼羅が安置さ
れています。
▼本堂法会が終わり、次の大師堂に向かうお坊さん。
▼本堂(国宝)。
▼西塔(国宝)。三重塔、塔高25.21m、平安時代初期。
▼西塔相輪。
▼塔頭西南院(さいないん)山門。
▼西南院境内から西塔。手前は庫裏です。
▼西南院放生池。西塔が映っています。
▼西南院池泉回遊式庭園。
▼西南院高台から西塔と東塔。両塔をワンカットに収める定番位置からの定番写真。
大和古刹の往時の両塔を今に伝えるのは當麻寺だけ。
▼西南院庭園。
▼西南院境内から西塔と東塔。
▼弘法大師堂。弘法大師空海さんをお祀りしています。
▼弘法大師堂施餓鬼法会。
▼北門(黒門)。
道路もお寺もガラガラでした。お盆とはいえ、暑さとケッタイな天候、皆さんお参りどころではないのでし
ょうか。案の定空が怪しくなってきました。今日はこれにてオシマイ!
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