土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

西方浄土の二上山、くれなずむ茜の西空は望めませんでした、當麻寺。

2012年08月16日 | 奈良の古寺巡り


(2012.08.15訪問)

十四日早朝のあの狂ったような雷と豪雨、大阪、京都が特に酷かったようで被害に遭われた皆様お見舞い申
しあげます。自然環境が完全に破壊されているとしか思えない昨今の自然災害、受けて立つ術も無く恐怖が
先立ち手も足も出ない自然の力の強大さ、畏怖感のみしか残らない人間の弱さが露呈した雷と豪雨、科学技
術の驚異的進捗も自然の前には平伏するしか手は無いのでしょうか。

明けて十五日、いくらかましの空模様に、悉く予定がポシャった盆休みのアホらしさをせめて最後の日くら
いはと久々に葛城古道を走りました。とりあえず當麻寺へ。

▼當麻寺のヒロイン、中将姫像。
當麻寺を語るにはやはりこの方が主役でしょう。
中将姫伝説
奈良時代後半、藤原南家武智麻呂の長子藤原豊成の娘中将姫が、継母の難から逃れ當麻寺で出家、極楽往生
を願い蓮糸で一夜にして織り上げた曼荼羅、西方極楽浄土を描いた當麻曼荼羅と呼ばれている阿弥陀浄土変
相図、今本堂厨子に祀られている本尊がこれです。




[ 當麻寺 ]
●山号 二上山
●寺号 當麻寺(たいまでら)
●宗派 高野山真言宗 浄土宗
●開基 (伝)麻呂子皇子
●開創 (伝)推古20年(612年)
●本尊 當麻曼荼羅

當麻寺縁起
聖徳太子の弟君麻呂子皇子の御願で當麻寺の前身寺院萬法蔵院が今の大阪太子町、二上山西麓に建立され、
金堂に弥勒仏を安置、勅願寺に準じられた。天武天皇の時代、現在地に移され現代までその法灯を守ってい
ます。(異説は数説あるようです)

▼仁王門。三間一戸、十二脚門。入母屋造、本瓦葺き。両袖に金剛力士が睨んでいます。




▼境内。後方右、雄山が隠れた二上山。




▼境内からの仁王門。




▼鐘楼。吊られている梵鐘は国宝、銅造、総高153cm、口径85cm、飛鳥時代。我が国現存する最古の梵鐘
らしいです。




▼金堂(重文)。元の本堂。桁行5間、梁行4間、入母屋造、本瓦葺、鎌倉時代。
金堂内部拝観は通常こちらから入堂しますが、裏側になります。




▼金堂本尊弥勒仏坐像(国宝)。像高222.8cm、塑造漆箔、飛鳥時代。(淡交社、古寺巡礼 奈良7 當麻寺から)
我が国最古の塑像と云われ、漆箔剥落や螺髪も多くが失われていますが、柔和なお顔がやや大きく感じるも
のの全体に安定感、重量感は感じます。ただ如来や菩薩特有の三道が無いのはやはりそうとう古い作例なん
でしょうね。本尊を中心に四方に四天王立像が祀られています。




▼こちらが金堂正面。




▼金堂前の八角石灯籠(重文)。総高250cm、凝灰岩製、奈良時代。
基壇と火袋を除いて当初のまま、我が国最古の石灯籠だそうです。




▼講堂(重文)。桁行7間、梁行4間、寄棟造、本瓦葺。鎌倉末期乾元二年(1303年)再建。
中央須弥壇に本尊 阿弥陀如来坐像(重文)。他数体の仏像群が一列に祀られています。壮観ですよ。




▼東塔(国宝)。三重塔、塔高24.39m、奈良時代。




▼東塔相輪。通常塔の相輪は九輪が標準と聞きますが當麻寺の両塔は共に八輪しかありません。なぜなんで
しょう、意味はあるんでしょうね。




▼本堂(曼荼羅堂)。桁行7間、梁行6間、寄棟造、本瓦葺。永暦二年(1161年)の建築
梁行6間のうち、奥3間を内陣、手前3間を外陣としています。
當麻曼荼羅厨子、高さ501cm、間口390cm、奥行123cm、厨子六角厨子が置かれ本尊当麻曼荼羅が安置さ
れています。




▼本堂法会が終わり、次の大師堂に向かうお坊さん。




▼本堂(国宝)。




▼西塔(国宝)。三重塔、塔高25.21m、平安時代初期。




▼西塔相輪。




▼塔頭西南院(さいないん)山門。




▼西南院境内から西塔。手前は庫裏です。




▼西南院放生池。西塔が映っています。




▼西南院池泉回遊式庭園。




▼西南院高台から西塔と東塔。両塔をワンカットに収める定番位置からの定番写真。
大和古刹の往時の両塔を今に伝えるのは當麻寺だけ。




▼西南院庭園。




▼西南院境内から西塔と東塔。




▼弘法大師堂。弘法大師空海さんをお祀りしています。




▼弘法大師堂施餓鬼法会。




▼北門(黒門)。




道路もお寺もガラガラでした。お盆とはいえ、暑さとケッタイな天候、皆さんお参りどころではないのでし
ょうか。案の定空が怪しくなってきました。今日はこれにてオシマイ!



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つづいて京都五山之弐位、名刹相國寺を訪ねます。

2012年08月08日 | 京都の古寺巡り


(2012.08.04訪問)

京都五山を訪ねる第四弾は、京都五山弐位の相國寺です。
山外塔頭、鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)を持つこのお寺は、本山でありながら両寺より地味な感じを受け
ていましたが、なかなかどうして五山文化、禅文化の中心としての相國寺は傑出した名僧や文化人、画家を
輩出し、学問、芸術の拠点としての地位は京都五山弐位の格に相応しいものだと聞きました。
このお寺ほど兵火、火災に翻弄されその都度再建復興が繰り返されたお寺もそうそうないのでは。やはり時
々の権力のバックアップは発展復興には欠かせないものだったのでしょう。

基本的にこのお寺は観光寺院ではなく、年二回春期、秋期の特別拝観を除いては堂内拝観は出来ません。
やはり皆さん良く知ったもので、この日は拝観の方はいませんでした。そりゃそうでしょう暑すぎ!!

[ 相國寺 ]
●山号 満年山(まんねんざん)
●寺号 相國聖天禅寺(しょうこくしょうてんぜんじ) 通称 相國寺
●宗派 臨済宗相國寺派大本山
●開山 開山始祖 夢窓疎石(むそうそせき) 開山 春屋妙葩(しゅんおくみょうは) 
●開基 室町三代将軍 足利義満(あしかがよしみつ)
●開創 明徳三年(1392年)
●本尊 釈迦如来坐像

相國寺縁起 (相國寺HPから抄出)
十四世紀末、室町幕府三代将軍の足利義満により創建されました。
幾度も焼失と復興の歴史を繰り返しましたが、現存する法堂は日本最古の法堂建築として1605年に再建され
た物を今に伝えています。夢窓疎石を開山とし、創建当時は室町一条あたりに総門があったといわれ、北は
上御霊神社の森、東は寺町通、西は大宮通にわたり、約百四十四万坪の壮大な敷地に五十あまりの塔頭寺院
があったと伝えられています。

▼総門。
今出川通り御苑今出川御門の向かい、同志社に挟まれて参道があります。




▼境内マップ。
開創時の境内地は約140万坪を擁したといい、現在約4万坪あるそうですよ。




▼放生池の天界橋。
天文二十年(1551年)に相国寺が焼亡した天文の乱はこの橋をはさんで始まったと伝わるそうです。




▼残り蓮かな、咲いているのはこの株だけでした。




▼三門跡。三門は天明八年(1788年)の大火の後再建されていません。




▼法堂参道。




▼法堂(重文)。
単層、桁行五間、梁行四間、切妻造、本瓦葺、裳階付、堂高22m。
初建は明徳二年(1391年)だが四度の火災で焼失、現在の建物は慶長十年(1605年) 豊臣秀頼の寄進での再建、
日本最古の法堂だそうです。




▼法堂。




▼法堂須弥壇。本尊 釈迦如来坐像、脇侍 迦葉尊者 阿難尊者。




▼本尊 釈迦如来坐像。木造、像高110cm 、鎌倉時代。一説に運慶作と伝わるそうです。
遠目で拝見するも漆箔がよく残り、お顔はやや面長で螺髪は大きめ、安定感のある量感は運慶作かなと思い
たくなるほどの本尊です。




▼庫裏。




▼方丈勅使門。




▼方丈覆屋です。このお寺も方丈修復中でした。




▼鐘楼。入母屋造、本瓦葺。天保十四年(1843年)再建。
下への広がり安定感が凄い袴腰を持つ堂々の鐘楼です。




▼経蔵。万延元年(1860年)建立。高麗版一切経が納められています。




▼浴室。慶長元年(1596年)再建。




▼天響楼。もう一つの鐘楼です。
平成二十二年(2011年)夏に建立の新しい鐘楼です。この鐘は中国開封大相國寺で二つ鋳造され、その一つが
日中佛法興隆、両寺友好の記念として寄進されたものだそうです。




▼西参道。




▼塔頭瑞春院。
参道途中に水上勉さんの「雁の寺」のモデルになった瑞春院があります。




▼西参道入り口に建つ西門寺標。




▼聖天閣美術館への道。
昭和59年(1984年) 相國寺創建600年記念事業として相國寺、鹿苑寺(金閣)、慈照寺(銀閣)、他塔頭寺院に
伝わる美術品を受託、保存及び展示公開、修理、研究調査、禅文化の普及を目的として聖天美術館は建設さ
れました。現在、国宝5点、重要文化財143点を含む多くの優れた文化財が収蔵されています。



今、聖天閣美術館では相國寺のエース、伊藤若冲さんの釈迦、文殊、普賢三尊像三幅の展示公開しています。
思えば五年前、宮内庁所蔵若冲さんの「動植綵絵」30幅がここに里帰り、三尊像を含めた伊藤若冲展があり
もの凄い人気、長蛇の列を思い出しました。

その時の感想です。
http://blog.goo.ne.jp/mrslim2/m/200706

結局この日、聖天閣美術館はパスしました。



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京都五山之参位、建仁寺を訪ねました。

2012年08月06日 | 京都の古寺巡り


(2012.08.04訪問)

京都五山を訪ねる第三弾です。
俵屋宗達の国宝風神雷神図屏風(国宝)で著名な京都五山参位の建仁寺を訪ねました。
風神雷神図屏風真筆は京博に寄託中、寺内大書院にはデジタル複製が展示されています。方丈は屋根の葺き
替え工事ため建物すべて覆屋でスッポリの状態ですが、内部は本坊から大小書院、お庭、方丈そして法堂ま
でスムースに拝観が出来ます。

▼建仁寺の案内パンフレットです。表紙絵が風神です。



[ 建仁寺 ]
●山号 東山(とうざん)
●寺号 建仁寺(けんにんじ)
●宗派 臨済宗建仁寺派大本山
●開山 栄西禅師(えいさい) 
●開基 源頼家
●開創 建仁二年(1202年)
●本尊 釈迦如来坐像 脇侍 迦葉尊者 阿難尊者

建仁寺縁起 (建仁寺HPから抄出)
建仁寺は建仁二年鎌倉将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立されました。
元号を寺号とし山号を東山と称します。創建時は真言、止観の二院を構え天台、密教、禅の三宗兼学の道場
として当時の情勢に対応していました。その後の火災等で境内は荒廃するも、正嘉元年東福寺開山円爾弁円
が当山に入寺し境内を復興、禅も盛んとなりました。文永二年宋の禅僧、建長寺開山蘭渓道隆が入寺してか
らは禅の作法、規矩が厳格に行われ純粋に禅の道場となりました。室町幕府により中国の制度にならった京
都五山が制定され、その第三位として厚い保護を受け大いに栄えますが、戦乱と幕府の衰退により荒廃しま
す。天正年間に安国寺恵瓊が方丈や仏殿を移築しその復興が始まり、徳川幕府の保護のもと堂塔が再建修築
され制度や学問が整備されます。明治に入り政府の宗教政策等により臨済宗建仁寺派として独立、建仁寺は
その大本山となります。また廃仏毀釈、神仏分離で塔頭の統廃合が行われ、境内が半分近く縮小され現在に
いたります。

▼勅使門(重文)。
切妻造、銅板葺、四脚門。平重盛の六波羅邸の門と云われているそうですが詳細は不詳。




▼寺標。




▼放生池に架かる石橋。




▼三門 (望闕楼)。
重層楼門、三間三戸、十二脚門、入母屋造、本瓦葺、。大正十二年、静岡県浜名郡の安寧寺から移建。
御所を望む楼閣という意味で「望闕楼」と名づけられ、楼上には釈迦如来、迦葉、阿難両尊者と十六羅漢が
祀られています。






▼法堂参道。




▼法堂。単層、桁行五間、梁行四間、入母屋造、本瓦葺、裳階付。明和二年(1765年) 建立。
本尊 釈迦如来坐像 脇侍 迦葉尊者 阿難尊者。




▼法堂天井双龍図。
平成十四年(2002年) 建仁寺創建800年記念で小泉淳作さん画の双龍図が描かれています。




▼双龍図を見上げる拝観者の皆さん。




▼本坊。




▼本坊大玄関。




▼本坊中庭の潮音庭。小書院と大書院の間に設えられた庭園です。小書院から大書院を見ます。
中央に三尊石、右に坐禅石を配した方形の禅庭です。




▼潮音庭の手水鉢。




方丈(重文) は本坊小書院、大書院から廊下続きで室内拝観が出来るようになっています。

▼方丈扁額。




▼方丈、室中の間の仏殿。




▼開山栄西禅師の頂相。




▼方丈、室中の間三方に竹林七賢図 (重文)。海北友松筆。襖絵はデジタル複製、真筆は現在掛け軸になってい
るそうです。




▼方丈、礼の間の雲龍図 (重文)。海北友松筆。襖絵はデジタル複製、この図も真筆は現在掛け軸になっている
そうです。




▼方丈花頭窓から前庭大雄苑の一部が望まれます。




▼方丈の外縁。周囲は足場が組まれています。




▼覆屋にスッポリの方丈。優雅な銅板葺きの屋根や前庭大雄苑は見ることは出来ません。




▼鐘楼。




▼茶碑。開山栄西禅師は茶種を宋から招来、喫茶の風を広めたと伝わります。




▼浴室。




▼境内参道。




▼西門。




▼北門。今日はこの門から入山しました。




▼祇園花見小路の人出です。突き当たりが建仁寺北門になります。




暑さにも熱中症にも負けず、今出川を目指します。そうです京都五山弐位の相国寺に向かいましょう。
それにしても暑いですわ!



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小倉山の緑陰に埋もれる常寂光寺は閑かです。

2012年08月01日 | 京都の古寺巡り


(2012.07.28訪問)

天龍寺から嵐山銀座を通り、野宮神社から嵯峨野竹林を越え、小倉池畔を通り緑のお寺、常寂光寺へ。

▼いつ見てもほのぼの、まめ地蔵さんにチョットご挨拶。


 

▼嵯峨野竹林を歩くと必ず思い出します ♪ デューク・エイセス ♪
  ♪ 京都 嵐山 大覚寺 恋に疲れた 女が一人
      塩沢がすりに 名古屋帯 耳を澄ませば 滝の音
              京都 嵐山 大覚寺 恋に疲れた 女が一人



ハイ、皆さんもう一度!
きょうと~ らんざん だいかくじ~ こい~につかれた おんながひとり~   もういいか。


[ 常寂光寺 ]
●山号 小倉山(おぐらさん)
●寺号 常寂光寺(じょうじゃっこうじ)
●宗派 日蓮宗
●開山 日禛上人(にっしん) 
●開創 文禄四年(1595年)
●本尊 十界曼荼羅

常寂光寺縁起
文禄四年(1595年) 京山科本圀寺十六世日禛上人が、保津川開削を行った角倉了以とその一族の所有地だった
この名勝小倉山の寄進を受け、ここを自身の隠棲処にし、常寂光寺を開創。

▼珍しい黒い山門。




▼仁王門。山科本圀寺の南門を元和二年(1616年)に移築。
三間一戸、茅葺屋根、両端に仁王像。珍しい茅葺きの屋根は厳めしい仁王門のイメージはありません。




▼これだけガード堅しの仁王さん、仏敵来襲の時どうするのでしょう。
 若狭小浜の長源寺から移されたもので、一説に運慶の作と伝わるそうです。




▼山門から一直線に本堂までの参道。




▼本堂が見えてきました。




▼本堂。
二世日韶上人が小早川秀秋から伏見桃山城客殿の寄進を受け本堂として移築。




▼本堂扁額。




▼本堂




▼鐘楼。寛永十八年(1641年)建立。




▼庫裡。




▼とにかく緑一杯の境内。




▼妙見堂。大阪能勢妙見大菩薩を分祀勧請した鎮守社。




▼境内からは、市内や遠く東山を望むことが出来ます。




▼少し上にある多宝塔への参道です。




▼開山堂。開山日禛上人坐像を安置しています。




▼多宝塔(重文)。
方三間、重層、宝形造、檜皮葺、塔高12m。元和六年(1620年)建立。内部は非公開です。






▼青もみじ向こうの多宝塔。




▼謌僊祠(かせんし)。
鎌倉時代の歌人、藤原定家、藤原家隆の木像を安置している。以前現在の仁王門北にあり、寺の建立時
に山上に移転したそうです。




▼ふと見上げると…。




▼時雨亭跡の碑。
藤原定家が「小倉百人一首」をここ時雨亭で編纂したという旧跡。
近くの二尊院、厭離庵にも時雨亭跡の伝えがあるそうですが、謌僊祠の位置や定家の明月記によれば、ここ
が本家かも知れないそう。後世、名所がより名所を作りたがる好例でしょうか。




▼光る苔。




▼仁王門から山門。
さて緑のシャワーを十分浴びましたのでそろそろ帰りましょうか。




常寂光寺は日蓮宗のお寺、同宗のお寺の多くは必ず開祖日蓮さんの大きな像が境内を睥睨しているのですが、
ここには在りません。ボクたちが持つ日蓮さん檄のイメージはこのお寺には皆無です。閑かで優雅で上品な
山寺、そんな印象を持ちました。ただし紅葉のシーズンは別ですよ!

▼帰り道、とあるお宅の庭で見つけました。オシャレな演出です。住む方の感性に敬礼!






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