(2013.08.03訪問)
今日も京の寺之内にやってまいりました。酷暑でもって激暑です。
先週に続いて京都十六本山の内、日蓮宗大本山妙顕寺を訪ねました。
寺之内通りに面して大門、小門が並んで建ち、後醍醐天皇勅願のお寺として門に連なる土塀には五本線がそ
の格を表わしています。境内は暑さのせいもあり非常に静か、観光寺院ではないので拝観者の姿はありませ
ん。寂として閑でありますが、酷として激でもあります。とりあえず庫裡へ拝観伺いです。
▼孟宗竹林の坪庭。
[ 妙顕寺]
●山号 具足山(ぐそくざん)
●院号 龍華院(りゅうげいん)
●寺号 妙顕寺(みょうけんじ)
●宗派 日蓮宗大本山
●創建 元亨元年(1321年)
●勅願 後醍醐天皇
●開山 日像上人(にちぞうしょうにん)
●本尊 十界曼荼羅
▲京都市上京区寺ノ内通堀川東入 電話 075-414-0808
▲http://shikaishodo.com
▲拝観料 境内自由 庭園本堂拝観御朱印込500円。
▲JR京都駅より市バス9系統、三条京阪12系統 堀川寺ノ内下車5分
地下鉄烏丸線今出川駅下車寺之内通り西へ徒歩10分
妙顕寺縁起 (妙顕寺HPから抄出)
四海唱導妙顕寺は日蓮大聖人の孫弟子になる日像聖人が創建された関西法華宗団の根本をなす由緒ある寺で、
大本堂の両柱に掲げられた聯に宗祖直授の大導師として、妙法の教を弘め、法華宗号の発祥をなし、勅願寺
として四海唱導の公許を誇る日本国中の宗門の棟梁の零場である。創建以来法華下第一の誉れを伝え、都の
法華門下派二十一本山(現在は十六)の草分けであり、中心的存在として今日に至っているが度々の法難を
うけ、天文の法乱では破壊的な打撃を受け、信長秀吉等の弾圧もあり、寺地も変ること四度と伝えられます。
明治以後法華各宗派が大合同し、身延山を祖山と仰ぎ日蓮宗が結成されてからは、その大本山として全国に
三百余の末寺を統いしていたが、昭和十六年の制度改革によって、全ての末寺を教団に解放、今は名称のみ
を伝えています。
▼大門前の七字名号石碑。
▼寺ノ内通に面して立派な大門。
▼大門から境内。
▼大門を潜ると真っ直ぐな参道、前方は本堂です。
▼三菩薩堂。日蓮、日朗、日像の三祖を合祀する祖師堂。
▼三菩薩堂の扁額。
▼尊神堂。安産や子供の守護神鬼子母神が本尊。
▼尊神堂前の柘榴、かなりたわわに。鬼子母神と柘榴は切っても切れない仲。柘榴は中に種がつまってます
からその連想で子宝→多産→繁栄などのイメージで吉祥果とも云い鬼子母神の持物になってるようです。
半面その前身は怖いコワイお方なのは皆さんよくご存知のハズ。
▼壽福院石塔。十一層の大石塔。加賀藩主前田利家の奥さん壽福院日栄さんの壽塔。
▼本堂。桁行七間、梁間七間、入母屋造、本瓦葺。天保十年頃再建。
須弥壇はそれはそれは豪華な荘厳、本尊七字名号と三祖師が祀られています。
▼本堂扁額。四海唱導と揮毫されています。
「四海唱導」世の中(四海)の人々に教えを説いて(唱導)人を導くこと。
▼側面からの本堂。
▼本堂屋根四隅に吊るされている風鐸。これは北西隅の風鐸。
▼勅使門。
▼大玄関。
▼庫裡。本堂とお庭拝観はここから。お庭は客殿前庭と書院前庭の二面を拝観することが出来ます。
▼客殿前庭の龍華飛翔の庭。中央は勅使門、後方は本堂大屋根。
▼龍華飛翔の庭の蹲。
▼龍華飛翔の庭。
▼書院前庭の光琳曲水の庭。
▼光琳曲水の庭。まさに尾形光琳紅白梅図の川の流れを白砂曲水で表しているのでしょうネ。
▼光琳曲水の庭の一文字蹲。
▼光琳曲水の庭。
▼五角形のユニークな書院中庭、孟宗竹林の庭。
▼鐘楼。天明大火焼失後に再建。梵鐘は正徳三年(1713年)鋳造。
▼御真骨堂。日蓮大聖人、日朗聖人、日像聖人の御眞舎利を奉安するお堂。
▼御真骨堂扁額。鐘眞窟と揮毫。元は御真骨堂は鐘眞窟と云っていたらしいです。
▼慶中大菩薩。妙顕寺鎮守社。もともと京都御所鎮護の守護神。御真骨堂右奥に鎮座しています。
▼御朱印です。七字名号です。
日蓮宗系のお寺の本堂は通常宗徒以外は拝観不可のところが多いのですが、庫裡の若い僧に本堂拝観をお願
いしたところ、快くOK ! なかなかのイケメン僧で、須弥壇前でお参りそっちのけで雑談、実に礼儀正しい好
青年。修行中の身だそうで、「じゃ将来は実家のお寺を継ぐの」と聞くと、「兄が継ぐことになっていまし
て私はまったくの未定、何処かへ養子だと思います」
実に現実的なお話でした。
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