土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

室生寺、女人高野の先駆けですネ。

2015年03月09日 | 奈良の古寺巡り



(2015.03.07訪問)


今にも降りそな空模様、迷車大和路号、今日はまぎれもなく大和路を走っています。久々の西名阪針ICから
一路室生寺に向かっています。R369の外の橋を左折、R165に出る手前にいつも立ち寄るアートハウスさん、
朝のコーヒーとマスターとのカメラ談義が楽しみなカフェ、あろう事か今年の一月で閉店の貼り紙、世の流
れの無常か、また一軒名物カフェが消えました。室生川は今も昔も変わらず静かに流れているのに。


▼室生寺シンボル朱塗りの太鼓橋。撮った方向が逆ですがご容赦の程を。





[ 室生寺 ]
●山号 宀一山 (べんいちさん)
●寺号 室生寺 (むろうじ)
●勅願 伝 光仁天皇 (こうにんてんのう)
●開基 賢憬 (けんけい)
●開創 奈良時代後期
●宗派 真言宗室生寺派大本山
●本尊 如意輪観音菩薩坐像
▲入山料 600円 朱印 300円 駐車料 500円
▲拝観時間 12月1日~3月3日 9:00~17:00 4月1日~11月30日 8:30~17:00
▲奈良県宇陀市室生78 Tel.0745-93-2003
▲http://www.murouji.or.jp
▲近鉄大阪線「室生口大野駅」下車 室生寺前行きバス終点下車徒歩5分


室生寺縁起 (室生寺パンフより抄出)
奈良時代末期、この深山で時の皇太子山部親王(後の桓武天皇)病気平癒の祈願が興福寺高僧、賢憬など五
人の僧により厳修、卓効あったことから、勅命により創建されたのが室生寺で建立実務は賢憬高弟修円であ
った。以来各宗兼学の寺院として独特の仏教文化、仏教美術を形成継承、そして流れる室生渓流は龍神の信
仰を生み、雨乞い祈願も行われてきた。時の高野山は厳しく女人を禁制してきたので女人の救済済度をはか
る真言道場として女性参詣を許したことから以来女人高野と親しまれている。


▼太鼓橋を渡ると正面本坊山門。





         ▼相当時代がかってきました、女人高野大本山室生寺と刻された寺名石柱。





▼楼門形式の仁王門。



重層楼門、三間一戸、八脚門、檜皮葺、初層左右に仁王像。建立は近代のものです。



▼阿形仁王さん。





▼吽形仁王さん。





▼梵字池。青空だったら仁王門の映りがきれいなんですがネ。





▼これぞ鎧坂、これ全部自然石なんですよ。
 四月になると左右の石楠花がお見事!今はただジーッと我慢の季節。





▼金堂 (国宝)。桁裄五間、梁間五間、寄棟造、杮葺。簡単な懸造り。文政十年 (1827年) 再建。



本尊 釈迦如来立像 (国宝)、像高237.7cm、榧一木造、平安時代前期の作。
内陣には本尊を中心に五仏が並び、その前に十二神将 (重文) が一列に整然と並んでいます。
お二人は現在奈良博に出張中、三月十四日にはお帰りになるそうです。



         ▼数年前に描いた十二神将のお一人巳神です。





▼ちょっと角度を変えて金堂。





▼金堂東側にいつの間にかこんな建物が、何だと思います。



新しいだけに非常に場違いな感じのお社ですネ。
答え1、室生寺の東にある龍穴神社への拝殿。
答え2、次の写真の拝殿です。
両方正解です。



▼参道石段を少し上がったところに天神社。大黒さんをお祀りしてるそうです。





▼初めてお会いする石仏、軍茶利さん。





▼金堂西には彌勒堂 (重文)。桁裄三間、梁間三間、入母屋造、杮葺。鎌倉時代。



本尊 弥勒菩薩立像 (重文)、榧材一木造り、両手、天衣、瓔珞などもふくめて一材から刻んでいるそうです。
本尊の隣に客仏として祀られている釈迦如来坐像 (国宝) のインパクトは凄い!
像高106.3cm、波打つ翻波式衣文のリズム感は心地与三郎です。



         ▼数年前に描いた釈迦如来坐像です。左肩衣文のリズム感、感じます?





▼放生池。





▼いよいよ本堂 (国宝) です。灌頂堂とも云います。



桁行五間、梁間五間、入母屋造、檜皮葺。延慶元年 (1308年) 建立。
本尊 如意輪観音坐像 (重文) 。像高78.7cm、檜一木造、平安時代の作。



▼室生寺生みの親、修円さん廟。





▼本堂。





▼五重塔 (国宝)。変わらぬ優雅な佇まいですね。



塔高16.1m、檜皮葺、平安初期の建立。室生山中最古の建造物。屋外五重塔で我が国最小。



▼五重塔から本堂の後ろ姿。





         ▼五重塔。





         ▼さていよいよ心臓破りの奥之院石段。





▼ここから本格的登坂開始!と云いたいところ、雨でスッテンしそうなんで今日はパス。





▼弁天さんに奥之院パスのお詫びをして、





▼護摩堂へ。





▼扁額です。





▼満を持しています。





▼本坊です。





▼太鼓橋たもとの橋本屋さんで天ぷらうどんをいただき、ホッとするも束の間、本格的に降り出しました。





▼憎っくき雨を集めて今日も変わらず室生川。





▼必死の形相の若い修行僧君、十五分程かかって書いてくれた御朱印です。本堂外陣床に置いて撮りました。
 




山岳寺院と云えども暫くの御無沙汰で境内がなんとなくスッキリ、この季節花色がないのと参拝者が少ない
のでそんな印象があるのかも、新しいお社が出来ていたり今まで知らない石仏を発見したり、境内整備もキ
レイです。なによりもお寺の方とのお話がゆっくり出来るのもいいですわ。

さてさて、次の訪問はあの磨崖仏のお寺です。





↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ

水間寺、厄除効果は抜群らしいですヨ。

2015年03月02日 | 大阪の古寺巡り



(2015.02.07訪問)


出し惜しみをした訳ではないんですが、二月七日粉河寺訪問の後、大阪貝塚の水間寺を訪ねていました。大
阪の古刹を訪ねたのは久々、厄除水間観音の絶大な人気のほどは、厄除開運祈祷が本堂で厳修されています
が、交代制で大盛況、次々と皆さん並んでお待ちです。おかげで本堂参拝できませんでした。



▼二つ仲良く並んだ道路沿いの寺石標。





[ 水間寺 ]
●山号 龍谷山 (りゅうこくざん)
●寺号 水間寺 (みずまでら) 通称水間観音
●勅願 聖武天皇 (しょうむてんのう)
●開基 行基 (ぎょうき)
●開創 天平十六年 (744年)
●宗派 天台宗別格本山
●本尊 聖観世音菩薩 (絶対秘仏)
▲入山料 無料 朱印 300円 駐車料 境内無料
▲拝観時間 9:00~17:00
▲大阪府貝塚市水間638番地 Tel.072-446-1355
▲南海鉄道本線「貝塚駅」下車、水間鉄道に乗り換え、終点「水間観音駅」下車、徒歩約10分
 阪和自動車道「貝塚インター」すぐ。


水間寺縁起 (水間寺HPより抄出)
聖武天皇四十二歳の時、病に罹るも奈良西南に病災消除の霊像出現の夢告を受け、行基に勅し、行基は都の
西南の霊域を捜し求め到達したのがこの水間の地、谷間の美しい水の流れる巨岩の上の白髪の老人に会い行
基に聖観世音の尊像を手渡し自分は龍となって昇天したと由来記に記されています。
尊像は一寸八分の閻浮陀金の聖観世音菩薩で、天皇に捧げたところ、病たちまち癒え天皇はこの像を現地に
お祀りするようにと勅命、行基は伽藍を建立し厄除け観音として尊像を祀り庶民にも信仰されるように努め
られました。


▼厄除観音水間寺のシンボル橋、厄除け橋。きれいなアーチ橋です。





         ▼本尊レプリカ像か、厄除け橋のたもとに立つ聖観音菩薩立像。





▼正面に三重塔が。



塔高約20m、本瓦葺。天保五年(1834年)再建。



▼初層に彩色蟇股に干支が彫られています。妙に目立ちます。





         ▼安定感抜群!





▼本堂。本尊 聖観音菩薩立像、像高一寸八分 (約6cm) 絶対秘仏。内陣正面にお前立聖観音菩薩立像安置。



桁裄七間、梁間四間、重層入母屋造、本瓦葺。文政十年(1827年)再建。



▼山号が書かれた本堂扁額。





▼大勢方が入れ替わりお参りされてます。





▼こちら寺名の扁額。





▼堂内外陣に大提灯。





▼本堂前に経蔵。中には大般若経六百巻が納められているそうです。



一間四方宝形造、本瓦葺、唐破風付きのささやかな向拝がちょこんと。



         ▼傅大士が安置されてます。



傅大士は中国南朝の僧で輪蔵(経を納めた書架で周囲を回ることが出来るようになっている)の制を創設し
た事により輪蔵の前に置かれるようになったそうです。




▼鐘楼です。





▼布袋さんがいらっしゃいますヨ。





         ▼千日隔夜宝篋印塔。



塔身には梵字、基礎部左側面に鈷をさげ念仏を称えて歩いている隔夜僧の浮き彫りがあります。
享保十二年(1727年)立。いいプロポーションですが、惜しいかな奥左の笠の隅飾が欠けています。




▼護摩堂。本尊不動明王。三間四方寄せ棟造、本瓦葺。新しいお堂です。





▼愛染堂。





▼須弥壇上段に本尊愛染明王坐像。曰くこの愛染明王は行基が椿の木に刻んだものといわれているそうです。





         ▼愛染堂前庭に「お夏清十郎の宝篋印塔墓」



花立ての名前を見てください。懐かしや田中絹代と林長二郎 (後の長谷川一夫)。
お夏清十郎のお話は実話だそうで、許されぬ恋ゆえに清十郎は刑死、お夏は狂乱する哀しい恋物語、その
映画化でお夏に田中絹代、清十郎に林長二郎主演の「お夏清十郎」昭和十一年 (1936年) 松竹キネマ映画。
それにちなんだお墓らしいですネ。こうなるとお墓の真偽はおのずから。
(本当の墓は姫路市内の慶雲寺というお寺にあるそうです)


懐かしやと云ってもボクは知りませんけど。


本堂の南山手の石段を上がると奥の院、放生池 (鏡池) や幾つかの堂宇が建っています。
▼奥の院行基堂。



三間四方、寄せ棟造、本瓦葺。開基行基さんをお祀りしています。



▼御朱印です。





このお寺の絶対秘仏本尊聖観音像の大きさ一寸八分、未だかって誰も見た事がないとの事、先の粉河寺本尊
も一寸八分やはり絶対秘仏、そして誰も見た事がない。
クドイようですが誰も見た事がないのになぜ一寸八分の像と分かるの?
そう云えば江戸浅草寺の本尊聖観音菩薩も一寸八分の絶対秘仏だったように思いますが。
絶対秘仏はすべて一寸八分なのか、はたまた一寸八分に何か隠された秘密があるのだろうか。




↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ