土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

お昼過ぎの中之島バラ園

2017年05月13日 | 花巡り





(2017.05.11訪問)


風もなくイイ調子々々とホクホクの最中、なんということでしょう、バッテリー切れ、よくやるんですよ懲りずに。
チェック&スペアを痛感! 今度行くときはスペア持ってゆきます、結構な咲き具合でしたのにマッタク。



▼マダム ピエール ユーレ







▼スヴニール ドゥ アンネフランク







▼メルヘン ケーニギン







▼マグレディス イエロー







▼アレックス レッド







▼レディ エマ ハミルトン







▼キャスリン モーレ







▼アンバー クイーン







▼エドガー ドガ







▼ルーピング







▼メアリー マグダレン







▼ゴールド バニー



以下まだまだイッパイ咲いてます。又今度。





▼お昼過ぎの中之島バラ園







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昆陽寺、大震災から見事に甦りました。

2017年05月10日 | 兵庫の古寺巡り






(2017.04.29訪問)


川西の満願寺の次に訪ねた昆陽寺の紹介が一週遅れになりました。新大和寺号がトラブった訳ではありません、GWのせいです。
言い訳はさて措いて、新大和寺号は満願寺から南へ10キロ足らず、伊丹市の昆陽寺へ向っています。宝塚尼崎線を南へ西国街道まで
来るとスグ左に朱色の楼門がイヤでも目に入ります。幹線道路に面して楼門が建つわかり易いお寺です。このお寺、あの阪神大震災
で強烈に被災したお寺なんです。




▼復興のシンボルと云ってもいい山門。朱色が映える仁王門。西国街道 (R171) に面して建っています。
 重層楼門、三間一戸、入母屋造、本瓦葺、江戸明暦年間に建立。阪神淡路大震災で被災、解体修理を実施。






[ 昆陽寺 ]
●山号 崑崙山 (こんろんさん)
●寺号 昆陽寺 (こやでら)
●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう)
●勅願 伝 聖武天皇 (しょうむてんのう)
●開基 伝 行基 (ぎょうき)
●創建 天平五年 (733年) 
●本尊 薬師如来 
▲兵庫県伊丹市寺本2-169 Tel. 072-781-6015
▲拝観料 境内自由 ご朱印300円
▲時間 9:00~16:30
▲「JR伊丹駅」「阪急伊丹駅」から市バス昆陽里行き、または小井内経由南畑・荒牧公園行きで昆陽里下車、東へ100メートル




            ▼山門脇に建つ寺号石標。






昆陽寺縁起 (兵庫県立歴史博物館HPより抄出)
昆陽寺は真言宗の寺である。僧行基が開いたと伝えられるため「行基さん」の名で親しまれている。本尊は行基の作と伝えられる薬
師如来仏である。「行基年譜」によると、天平二年(730年)布施屋と呼ばれる形態の昆陽施院を建てたとあるが、当初は運脚に食
事や宿泊所を支給するための施設で、寺としての体裁を整え始めたのは行基が大僧正に任ぜられてからだと思われる。
天正七年(1579年)信長により焼き払われたが、山門と観音堂が江戸時代に再建された。




▼山号が書かれた扁額。







▼右に阿形金剛力士。       













▼左に吽形金剛力士。       









動きの軽快な仁王さんですが、余りにもガードが固すぎてこういう撮り方しか出来ません。





▼手水舎。







▼重層で袴腰の立派な鐘楼です。寛永元年 (1789年) 建立。







▼山門から一直線、本堂です。







▼本堂正面ですが樹々と煙台がねぇ。本尊薬師如来、行基さん自作と伝わるそうです。
 阪神淡路大震災で崩壊、二年後平成九年再建。







▼本堂前面ですが覗くことすら出来ません。







▼扁額。本堂は別名瑠璃殿と云うそうです。







▼横から狙っても見えないものは見えません。






            ▼近衛文麿公の記念植樹の大木。



            近衛文麿、戦時中の内閣総理大臣。戦後A級戦犯として裁かれるを良しとせず自死。




            ▼空海さんの石像と石碑






▼経蔵。







▼石の小橋に菖蒲。絵になる放生池ですネ。







▼放生池畔に立つ弁天堂。







▼観音堂。本尊十一面観音菩薩。桁裄三間、梁間三間、寄棟造、本瓦葺、一間向拝付。江戸寛永年間建立。
 阪神淡路大震災で被災、解体修理を実施平成九年に完成。







▼堂宇に懸る青もみじ。







▼行基堂。方三間、宝形造、本瓦葺、一間向拝付。江戸元禄年間建立。
 本尊行基像 (行基さん自作) 脇持に文殊菩薩、普賢菩薩。阪神淡路大震災で被災、解体修理を実施平成十年に完成。







▼扁額はズバリ。







▼行基堂。







▼昆陽寺鎮守のお稲荷さん。







▼四国八十八ヶ所巡りが出来ます。     












            ▼境内林の中に建つ五輪塔。






▼建立間もない納骨堂。







▼岩室の中、役行者おひとりで。前鬼後鬼はどこかお使いに行ったみたい。







▼境内の奥にいい感じの林が広がっています。フィトンやマイナスイオンまみれになるのに絶好ですヨ。







▼林の奥に一筋の参道。







▼鎮守堂です。







▼扁額に大梵天王と書かれています。どういう性格のお堂かよく判りません。







▼ご朱印です。






平成七年一月十七日、阪神大震災により1300年の歴史が一瞬にして崩壊、守り抜いて来た堂塔伽藍が、完膚無きまでの痛手を被った
昆陽寺も、震災直後から復興機運高々に平成十年には、再建、解体、修理の復興工事が完成、僅か三年余りで成し遂げたその力は、
お寺の復興への高い志と努力、そして地域住民の方々の応援なくしてはなし得なかったと思います。今境内の真ん中に立ち周辺を見渡
しても、甚大な被害があったとはとても思えず、むしろ地域に根ざしたお寺の貫禄さえ感じます。

各お堂は全て閉め切り、入堂は勿論、中を覗くこと、本尊をはじめ諸仏のお顔も拝することは出来ませんでした。
ト ホ ホ の昆陽寺 オ シ マ イ




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奥さん孝行はシンドイですわ。

2017年05月05日 | 長野の古寺巡り





(2017.05.02~03訪問)



軽井沢に行こうとウチの奥さんが云うので、行ってきました。ただし我が家は軽井沢には別荘はありません。
GW突入5日前くらいにいきなり云うので、2~3ホテル候補で最初にかけた電話、恐る恐る「5月2日の晩ですけど、今頃部屋はないで
しょうネ」「大丈夫です、どうぞ」と云うことで、ボクがビックリしましたワ。
「ホテルどこ?」「万平ホテルとれたよ」
「ウッソーそのホテルに泊まりたかったんよ」「泊まりに行くだけかい」
「なにか問題ある?」「おまへん」
色々問題を残しながら、奥さん孝行をしょうと、5月2日朝8時、500km先の軽井沢を目指して新大和路号は出発したのであります。




▼今夜ここに泊まります。軽井沢万平ホテルです。







チェックインして、取り敢えずでコーシーを、例によりそのあと別荘村のお散歩。
▼こんな別荘や……、







▼こんな別荘がひろ~い敷地に点々と。







▼こんなチャペルも。




軽井沢の森や林の樹々は若葉もまだなく冬景色、寂しい上に住人の気配もありません。
軽井沢銀座も歩きました。人もクルマもイッパイ、皆さん別荘の持ち主以外、軽井沢へ何しに来るんでしょうネ、不思議。





▼さて夕食はこの部屋で、ホテル自慢のステンドグラス。







▼ルームNo313へ戻ります。何もすることありません。







▼ホテルの夜景だけ撮っときました。







▼3日もいい天気。







余り癪なんで急遽「今日は善光寺に向うぞ」「善光寺以外ナイの」とイヤ~な顔。「ナイ」
と云うことで、約100km先の善光寺に向います。高速はGW真っ只中にもかかわらずガラガラ。
長野で下りた途端、街中はギッシリの渋滞。

▼善光寺仁王門。ここから向こうは人、人、人。







▼仁王さん撮影も秘密兵器が使えません。
 立ち位置が違うようなんですが、そんなこと云ってられません。













▼必死で前進あるのみ。







▼聞きしに勝る山門。デカイです。







▼山門扁額。五羽の鳩が隠れているそうです。







▼なんとか本堂までやって来ました。







▼本堂前の煙台。獅子君も口から煙だすのもままならず煙まみれ。







▼本堂の中。堂内撮影厳禁なので当然外からの撮影です。







▼本堂縁から山門を。







▼丁度お昼12時の鐘を今から打たれます。







▼手に持つ紐を後ろへ引っ張るだけ、迫力まるでなし。







▼唯一目についた桜。







▼境内端に三重塔か、いえいえ忠霊殿と云うお堂です。
 戊辰戦争から第二次世界大戦で亡くなった英霊を祀る仏式霊廟。
 人がほとんどいません。境内の雑踏からは考えられない静けさです。







▼忠霊殿扁額。






            ▼相輪です。






大本願と大勧進って何?
善光寺は、天台宗の「大勧進」と二十五院、浄土宗の「大本願」と十四坊によって護持、運営されている珍しいお寺です。
お寺としては無宗派で法要など日常の行事は交替で勤めているそうです。

▼「大本願」の「大本願上人」は公家出身者から住職を迎えている尼寺です。







▼「大勧進」の「大勧進貫主」は天台宗の名刹から推挙された僧侶が務めている。

 





▼ご朱印です。






一日目サラッと軽井沢、二日目サラッと善光寺、こんなにサラッとした旅行は初めて。
しかしまだこれから約420kmを帰るんですよ。
総走行距離二日で1,023km、もうダメ、もうアカン、もうカンニン、もうユルシテ。
奥さん孝行も命がけ!!






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満願寺、清和源氏の拠り所として発展したそうです。

2017年05月01日 | 兵庫の古寺巡り





(2017.04.29訪問)


大和路弐号が23日大安の日に納車されました。排気量も図体も大きくなったので、もう高速も怖くありません。チンタラ走らなく
て良さそうです。今日はその大和路弐号初のお寺巡りになります。しかし問題があるんです、細く曲がりくねった未舗装の山道は先
ず無理、迷車大和路号ならスイスイでしたけどネ。
と云うことで、今日はその心配のない兵庫県の川西市と伊丹市の古刹を訪ねます。先ずは川西の満願寺、名前がイイじゃないですか、
満貫じゃなかった満願ですよ、幸いお願いごとが沢山あるのでまとめて面倒見てもらいましょうか。




▼参道石段。なにか意味有りげな33段。






            [ 満願寺 ]
            ●山号 神秀山 (しんしゅうざん)
            ●寺号 満願寺 (まんがんじ)
            ●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう)
            ●勅願 伝 聖武天皇 (しょうむてんのう)
            ●開基 伝 勝道上人 (しょうどうしょうにん)
            ●創建 神亀年間 (724~728年) 
            ●本尊 千手観音菩薩立像 
            ▲兵庫県川西市満願寺町7-1 Tel. 072-759-2452
            ▲拝観料 入山100円 金堂300円 ご朱印300円
            ▲時間 9:00~16:30
            ▲http://www.manganzi.jp
            ▲阪急電車宝塚線「雲雀丘花屋敷駅」から阪急バス「愛宕原ゴルフ場」ゆきで「満願寺」下車徒歩2分




            ▼石段脇に建つ寺号石柱。






満願寺縁起 (満願寺HPより抄出)
伽藍開基記によると神亀年間(724~728年)聖武天皇の命により諸国に満願寺を建立した勝道上人が、摂津国の満願寺として千手観
音を本尊に開基したと伝えられています。さらに安和元年(968年)摂津の国多田に本拠に構えたという清和源氏の祖といわれる満仲
が、この寺に深く帰依したといわれ、歴代源氏一族の祈願所として発展した。のち足利幕府の保護により栄えましたが、室町時代末
期に戦火で焼失。寄付によって再建され、現在の伽藍は承応二年(1653年)建立と伝えられている金堂や、寛文八年(1668年)建立され
た観音堂など近世の建造物が現存しています。一時は四十九院を数える多くの院坊が存在しましたが、明治初年には円覚院のみとな
り、明治三十一年より円覚院を本坊として現在にいたっています。




▼三十三段登りきると目前に……、







▼ご覧の通りユニークな仁王門。これも三間一戸と呼ぶんでしょうか。
 明治十四年(1881年)建立。一見中国風に見えるも明治初期の洋風を取り入れた建築様式だそうです。






            ▼右に阿形金剛力士。像高340cm、鎌倉時代末期。






            ▼左に吽形金剛力士。像高342cm、鎌倉時代末期。
             動きの軽快な仁王さんですが、余りにもガードが固すぎてこういう撮り方しか
             出来ません。






▼中央戸口から一直線の参道。







▼石畳のきれいな参道です。







▼参道石段の先、チラッ見えるのは金堂です。







▼鐘楼です。

         





▼地蔵堂。






            ▼半跏の珍しい形のお地蔵さんが一人お坐りです。光背がズレているのはご愛嬌!






            ▼岩組の中、お不動さんが二童子を従えてキリリと前方を見据えています。






▼観音堂。方三間、寄せ棟造、本瓦葺。寛文八年(1668年)建立。






            ▼観音堂本尊 千手千眼観音菩薩立像、像高215.6cm、一木造、平安後期。
             本尊は秘仏、春彼岸中日前後三日間特別開帳されます。
             千手千眼観音菩薩は満願寺の本尊です。
             (本尊写真は満願寺HPより借用)






▼境内から。







▼金堂が姿を現しました。






            ▼金堂エリア前に宝篋印塔。隅飾りが外に大きく開き、どこか飛んでるような
             動きを感じる塔です。






▼金堂。桁裄四間、梁間五間、一重入母屋造、本瓦葺、二間向拝付。承応二年(1653年)建立。







▼金堂扁額。







▼内陣。畳中央に床板敷六本柱造。







▼奥内陣須弥壇に宮殿(お厨子)が置かれ前に本尊が安置されています。






            ▼本尊阿弥陀如来坐像。






            ▼こんなお顔です。半眼の目は優しく、いくらか笑みを含んでいるようですネ。
             金泥はよく残っています。






▼天井からの荘厳が豪華、垂れる瓔珞の夥しい数に圧倒されます。奥に見えるのが宮殿。







▼金堂。







▼金堂隣に毘沙門堂。方三間、宝形造、本瓦葺。前面三間は蔀戸。







▼毘沙門堂扁額。書家川村驥山(かわむらきざん)(1882~1969年)揮毫。






            ▼毘沙門堂本尊 毘沙門天立像。像高91.9cm、木造。
             源満仲によって刻まれたと伝えられているそうです。平安後期。
             (毘沙門天写真は満願寺HPより借用)






▼毘沙門堂。







▼石像。







▼八幡宮。満願寺鎮守社と思われます。左にお稲荷さんも祀られているんですが。







▼坂田金時の墓。足柄山の金太郎さんその人。源頼光四天王の一人で大江山の酒呑童子を退治したのが有名ですネ。







▼真言宗定番、弘法大師修行像。







▼三廟の五輪塔。
 三廟とは源満仲の末子の美女丸、藤原仲光、その子幸寿丸の墓です。仲光は素行の悪かった美女丸の殺害を満仲に命じられ、
 身代わりに幸寿丸の首を差し出したそうです。後に美女丸は源賢阿闍梨という高僧になったそうです。室町時代の造立。









(この写真は満願寺HPより借用)





▼源氏七塔。源国房、光国、明国、仲政、国直、行国、国基の供養塔。(写真は満願寺HPより借用)







▼晴雲殿。古色の境内で異色の建物、納骨堂です。







▼参道石段を少し下ると本坊です。







▼本坊山門。赤漆喰の袖塀が何やら奥ゆかしく感じます。







▼本坊。先週以来やけに蘇鉄が目につきます。






            ▼その蘇鉄です。






▼本坊庭園の入り口。残念ながら〆切。







▼外から覗いた庭園二景。













▼ご朱印です。






兵庫の西端、阪神間に位置する川西市や伊丹市、猪名川町には名刹が結構多いと聞きましたので、今日はとりあえず大和路弐号の
走りぞめとして、我が家から1時間圏内の川西市の満願寺を訪ねた訳でございます。清和源氏の多田一族が祈願所としたと云う満
願寺は初期源氏の匂いが色濃く残る雰囲気のお寺でした。





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