土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

矢田寺、天下の紫陽花寺。

2017年06月15日 | 奈良の古寺巡り





(2017.06.10訪問)
郡山第二弾は、あじさいの寺矢田寺です。慈光院から西へ10分余り、矢田山系の中腹にあるあじさい寺を訪ねます。参道手前から参
詣の人が急に増えたように感じ、駐車場を探すのに四苦八苦、花の寺はやはり人気があるようですネ。
侘び寂び閑のお寺から、花のある華やかなお寺へ、それにしてもピーカンの今日、生き生きとした元気なあじさいを見ることが出来
るのでしょうか。





▼あじさい寺の今。
受付のオネーサンとの会話「満開かな」「そうですねぇ~50パーくらいでしょうか」「そんなんで500円とるの」「もちろんでーす」







[ 矢田寺 ]
●山号 矢田山 (やたさん)
●寺号 矢田寺 (やたでら) 正式名称 金剛山寺( こんごうせんじ)
●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう)
●勅願 天武天皇 (てんむてんのう)
●開基 智通僧正 (ちつうそうじょう)
●開創 天武九年 (680年)
●本尊 地蔵菩薩立像
▲大和郡山市矢田町3549 Tel. 0743-53-1445
▲拝観料 通常無料 紫陽花時期6月上旬~7月上旬 500円 ご朱印300円
▲時間 8:30~17:00
▲http://www.yatadera.or.jp/
▲近鉄橿原線「近鉄郡山駅」駅下車 奈良交通バス「矢田寺」下車
  西名阪自動車道「大和まほろばスマートIC」から北北西へ20分
        
         「法隆寺インター」から北北東へ25分             
  第二阪奈道路 「中町ランプ」から南へ25分 





▼境内マップです。なかなかのもんです、一生懸命描いたんでしょうネ、ベリーグー!







矢田寺縁起 (矢田寺 HPから抄出)
今から約1300年前、大海人皇子 (天武天皇) が、 壬申の乱戦勝祈願のため矢田山に登られ、即位後の白鳳四年、智通僧上に勅せられ、
七堂伽欄四十八カ所坊を造営されたのが当山の開基です。当初は十一面観世音菩薩と吉祥天女を本尊としていましたが、 弘仁年間に、
満米上人により地蔵菩薩が安置されて以来、地蔵信仰の中心地として栄えてきました。





            ▼金剛山寺が本名です。







▼山門。何やらイヤーな感じ、石段があるじゃないですか。

       





▼参道石段。何やらイヤーな感じ、相当長そうじゃないですか。
 何度か訪ねているこのお寺、このイヤ〜な石段の記憶がないんです。記憶が飛んだか、はたまた○○のはじまりか。







▼本堂手前、紫陽花に囲まれたみそ嘗地蔵。別名地蔵寺の名があるこのお寺、本尊を初めとして境内には沢山おられます。







▼本堂です。桁裄七間、梁間七間、入母屋造、本瓦葺、三間向拝付。平成大修理の後平成十五年落慶。
 濃朱が落ち着きを醸しています。いい色になってきました。







▼三間向拝。







▼外陣に掛る寺号が書かれた大きな扁額。







▼内陣の様子。内陣拝観料別途500円。







            ▼三尊形式の本尊地蔵菩薩立像 (重文)。像高161.9cm、木造、彩色、彫眼。平安時代初期。
             通常お地蔵さんは右手に錫杖をお持ちですが、この方は持たずに施無畏、与願印の印相で
             左手に宝珠をお持ちです。「矢田型地蔵」と呼ばれているそうです。



             (本尊写真はネットより借用)





            ▼内陣の板襖絵「羅漢図」。



            (写真は矢田寺ハガキを複写)





▼本堂側面。







▼鐘楼。境内一の貫禄、袴腰の重層、入母屋造、本瓦葺。屋根の傾斜が半端じゃありません。







▼梵鐘 (重文)。寛元四年在銘、鎌倉時代。







▼閻魔堂。このお堂も特別公開中。本尊木造閻魔倚像。







▼蓮花池。蓮は姿無し、そのかわりミズカンナの葉が池面をうめていました。







▼六地蔵。







▼開山堂。開基智通僧正をお祀りしているそうですが、堂内を窺うことが出来ません。







▼春日神社 (重文)。矢田寺の鎮守社。







▼板碑が集められています。







▼御影堂。方三間、入母屋造、銅板葺、一間向拝付。
 本堂裏山をしばらく上ると広場にポツンと建ってます。天武天皇をお祀りしているそうですが、これはお気の毒としか云えず疎外
 感ありあり、隣に見えるのはトタン小屋ですよ。







天下のあじさい園へ行ってみましょう。
園は回遊路が巡っています。この咲き具合でも人の列が途切れません。



















































あじさいはいいとこ撮りをしても、マダマダの感じ。今週末頃から見頃になるようですよ。





▼御朱印です。

               



矢田寺これにて オ シ マ イ





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慈光院、武家茶道石州流の家元。

2017年06月12日 | 奈良の古寺巡り





(2017.06.10訪問)



新大和路号で大和路を走らずして何が大和路号や、ということで今日は郡山にやってきました。郡山の町中はドライバーにとって誠
に走りにくい町、出来るならば走りたくない町。そんな町に名刹古刹が点在してるのは一種の皮肉かとも思われる町でもありますネ。
今日はそんな郡山の判り易いところにある慈光院を先ず訪ねてみました。お寺らしくないお寺、お寺全体が茶席のようなお寺、お庭
の美とそこで戴くお茶の深~い意味、茶道無作法なボクでも何かを感じることが出来るのでしょうか。キット無理ですネ。



▼書院。寺全体を茶席として演出する茅葺きお堂。

 





            [ 慈光院 ]
            ●山号 円通山 (えんつうざん)
            ●寺号 慈光院 (じこういん)
            ●宗派 臨済宗大徳寺派 (りんざいしゅうだいとくじは)
            ●開基 片桐石見守貞昌 (片桐石州)
            ●開山 玉舟宗坂 (大徹明應禅師)(ぎょくしゅうそうばん)
            ●開創 寛文三年 (1663年)
            ●本尊 釈迦如来坐像
            ▲奈良県大和郡山市小泉町865番地  Tel. 0743-53-3004
            ▲拝観料 1000円(抹茶付) ご朱印300円
            ▲時間 9:00~17:00
            ▲http://www1.kcn.ne.jp/~jikoin/
            ▲JR線大和路線 「大和小泉」駅下車 徒歩18分
    
              近鉄橿原線『近鉄郡山駅』駅下車 法隆寺行きバス行「片桐西小学校」下車
              西名阪自動車道「大和まほろばスマートIC」から北北西へ10分
        
                     「法隆寺インター」から北北東へ15分             
              第二阪奈道路 「中町ランプ」から南へ15分 





            ▼茶道石州流、皆様ご存知?







慈光院縁起 (慈光院HPから抄出)
寛文三年大和小泉藩二代目藩主の片桐石見守貞昌が初代藩主であるの菩提寺として自分の領地内に、大徳寺百八十五世玉舟和尚を開
山に迎え建立した臨済宗大徳寺派の寺院。寺としてよりも境内全体が一つの茶席として造られており、表の門や建物までの道、座敷
や庭園、そして露地を通って小間の席という茶の湯で人を招く場合に必要な場所ひと揃え全部が、一人の演出そのまま三百年を越え
て眼にすることができるということは、全国的に見ても貴重な場所となっている。





▼全山茶席の総入口。簡素な門に石柱が二基。







▼鍵形参道に複雑なこぼれ陽。

       





▼アートだねぇ、むき出しの根の壁。







▼片桐且元の茨木城から貰い受けた楼門。







▼楼門からチラッと見える書院。







▼開放された初夏の書院のお部屋。右が十二畳、左手前八畳、奥六畳。







▼十二畳の床。白紫陽花がキリッと床格を上げているようです。







▼書院扁額。サテなんて書いてあるでしょう、開山玉舟宗坂の書で「聚遠」と書かれています。
 お茶を楽しみに遠方からもドンドンいらっしゃいという意味らしいです。







▼名勝庭園を書院から。大小の丸刈り込みを用い周辺環境との調和を、禅寺庭園にしては石を用いず多種の樹々を使い、茶席の庭と
 して季節毎の風情演出を構成したお庭になっている。そうです。







▼名残五月を前にしてお抹茶をいただく。茶の湯の深さを改めて思う、思うが判らない。







▼名残五月。残念でした五月(さつき)は五月(ごがつ)の下旬が見頃ですよ、とお寺のオネーサン。







▼目を転じて東を見ると、大和青垣の峰々が連なり、古代大和の繁栄を想う。
 紹保和尚曰く、「青垣の真ん中の窪みから満月が昇ります。中秋の名月の鑑賞会があるので是非いらっしゃい」
 シマッタ何時か聞き漏らしました。







▼東のお庭の片隅に「角ばらず」手水鉢 (重文)。







▼もう一度南を見ると大刈り込みが目前に。これは五月の刈り込みではなく、数十種類の樹々の寄植え。
 目前の大刈り込み、この位置にあるのは深~い意味があるんです。







▼大刈り込みの手前に「独坐」手水鉢 (重文)。







名勝庭園を歩いてみましょう。

▼名残五月を通して書院です。誰がどう見ても茅葺き農家ですネ。
 慈光院の中心的な建物であるが、寺全体を茶席として演出するときに茅葺きの農家風の外観というのは、堂々とした荘厳なお堂に
 は表せない大きな意味合いを有している。 (慈光院HPから抄出)







▼お庭の高台に観音堂。







▼小さな池に小さなお社。







▼お稲荷さんも祀られています。







それでは書院茶室を見てみましょう。

▼高林庵茶室 (重文)。左奥が「亭主床」片桐石州の席。







▼閑茶室 (重文)。躙り口がなく廊下から入る形。茶室の奥、壁丸窓の映り込み見えます? 

               





▼閑茶室前に「女の字」手水鉢 (重文)。







▼書院から見た方丈です。







▼渡り廊下の窓の設え。ここで和尚が「儂の写真撮ってくれへんか」と5カットほど、ナニするんでしょうネ。







▼方丈。
 元々慈光院にこのような別棟の本堂があったわけではなく、現在書院と呼んでいる建物が方丈で、そこに本尊釈迦如来だけが祀ら
 れていたと思われる。それが後になって開山と石州の座像が移されてきたことで、書院の北側に小さい仮のお堂を付け足してお祀
 りすることとなった。 (慈光院HPから抄出)







▼扁額。







▼方丈仏壇。中央ご本尊は釈迦如来坐像。右に開山玉舟和尚、左開基片桐石見守貞昌 (石州) が祀られています。







▼天井には入江正巳画伯作の墨絵雲龍図。







▼中庭から書院。右は五葉松。







▼中庭と庫裡。







▼ご朱印です。







ここにお坐りと紹保和尚が促して下さった書院の八畳の間の柱前。ここが慈光院の特等席やということで、二人でというより和尚の
独り舞台、開基石州や叔父且元の話、この位置から見る南面の庭と東面の庭が最高や、というその意味、味のある話し振りはさすが
でした。 紹保和尚、長時間お付き合いくださりありがとうございました。                       合掌

茶道とは、抹茶のほろ苦さからその精神の奥深さを知る、それ何、余計判らんヤッパリ無理ですネ。
慈光院 オ シ マ イ





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瑠璃寺、いい響きの名前どうりの古刹です。

2017年06月08日 | 兵庫の古寺巡り





(2017.06.03訪問)


斑鳩寺から北西へ約50キロ、これから訪ねる瑠璃寺は山の中らしい。瑠璃寺、なんと云うイイ響きの名前でしょう。
仏法七宝の一つとして珍重された濃紺の輝きを寺名にする往時の人たちは、現代のボク達が思いもよらない神的能力で山中に伽藍を
造り、突如顕われた浄土の世界を清浄な色で表現する、その感性の高さを思いながら、新大和路号は播州平野の初夏緑の息吹を感じ
つつ瑠璃寺を目指しています。





▼見落とすことは先ずありません、参道入口に建つ豪快な寺号碑。







            [ 瑠璃寺 ]
            ●山号 船越山 (ふなこしさん)
            ●寺号 瑠璃寺 (るりじ) 正式には船越山南光坊瑠璃寺
            ●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう)
            ●勅願 伝聖武天皇 (しょうむてんのう)
            ●開基 伝行基 (ぎょうき)
            ●開創 神亀五年 (728年)
            ●本尊 千手千眼観世音菩薩
            ▲兵庫県佐用郡佐用町船越877 Tel. 0790-77-0450
            ▲拝観料 寸志100円 ご朱印300円
            ▲時間 9:00~17:00
            ▲JR山陽線「姫路駅」から神姫バス「山崎」停留所で乗り継ぎ「船越」バス停下車 徒歩約15分 
 
             中国自動車道「山崎IC」から約40分





            ▼なかなかユニークな境内マップでしょ。ここから参道を少し走ると……、







▼道端にいきなり仁王門。戸口から向こうを覗くと民家です。
 重層楼門形式の仁王門、三間一戸、八脚門、入母屋造、銅板葺。両サイドに金剛力士を安置。寛永十五年 (1638年) 建造。







瑠璃寺縁起
瑠璃寺は神亀五年、聖武天皇の勅願により僧行基が開山、本堂、金堂、薬師堂をはじめ、十二伽藍を建立したのが始まりといわれて
います。千手千眼観世音菩薩を本尊とし、創建以来加持祈祷の修験道場となり、多くの伽藍とともに、多くの文化財を有する、高野
山真言宗派の古刹です。





▼扁額。山号だと思います、おそらく。







▼右の阿形仁王さん。相当痛みが激しく、右手指三本なく、条帛欠け、左手持物の金剛杵、どこへ行ったんでしょう。

       





▼左の吽形仁王さん。左手持物なく、条帛が欠けています。







▼立派な寺号碑が建つ境内口。どう見ても山寺の雰囲気など微塵も感じませんネ。







▼赤い橋を渡り石段を上ると本坊へ、長屋門風の門が独特です。         



今日はここからは入らず……、





▼赤い橋の手前を右へ、山門への参道です。灯籠がズラリ、たくさん目につきます。







            ▼こんな灯籠が並んでます。







▼山門。やはり左右に灯籠が迎えてくれます。







▼山門から境内。正面が拝観受付本坊です。







▼山門長押の細かい細工の彫刻。獅子が二頭いますが見えます?

 





山門両脇壁面には竹林に虎。

▼右脇の虎。







▼左脇の虎。







▼本坊の拝観受付。ここでご朱印をいただきます。







▼立派な唐破風の門構え、大玄関風の大師堂。







▼何でも有りで相当ごちゃごちゃしている内陣の荘厳。中央須弥壇に本尊弘法大師像が祀られています。







▼山門左手から少し高台の護摩堂。







▼内陣須弥壇に本尊不動明王が祀られています。







▼護摩行のススでマックロケの天井。







▼護摩堂の向こうにチラッと見えるのは、聖天堂。







▼経蔵と思います。







            ▼バランスをあえて崩しているのかナ。







本坊エリアからそれでは本堂へ、ここからの雰囲気いよいよ……、

▼本堂への参道。大木の間の石段をドンドン登りましょう。      













 





▼石段オシマイ、やっと堂宇が見えてきました。                







▼権現堂。前に護摩壇があります。毎年二月第一日曜、採燈大護摩法要がこの前で執り行われるそうです。







▼鐘楼。木製袴腰、入母屋造、銅板葺。
 吊られている梵鐘は応安の鐘、応安二年 (1369年) の銘があるそうです。







▼開山堂。中興一世の覚祐上人坐像が祀られています。
 格子から覗いてみましたが堂内マックロ定かではありませんでした。







▼本堂。桁裄五間、梁間五間、入母屋造、銅板葺、三間向拝付。
 前面、側面柱間の造形を見て下さい。一間一間のデザインの違う変化を見ることができます。
 高所の僅かな平地に建つため、引きがなく正面全景が撮れないのが非常に残念でした。







▼本堂正面。中央扉が開けられていますが、覗くと内外陣の格子が邪魔をして内陣の状況は判りません。
 向拝柱貫の彫刻と木鼻彫刻どんなんかな~、







▼中央龍の彫り物。二頭の龍が絡んでいますが判るでしょうか。







▼木鼻の彫り物。象と獅子で、阿吽ではないようです。左右とも同じに見えますネ。   













▼向拝裏の垂木の手鋏み彫刻のボリュームがこれまた凄い、波と鳥が彫られています。







▼外縁に登るのが躊躇するぐらい相当の傷みと経時があるようですが、建立年代は判りません。







▼側面戸口の格子から覗いた内陣の様子。







▼本堂。二重垂木により軒の深さがより強調され屋根の反りの美しいこと。



本堂の美を堪能したところで瑠璃寺 オ シ マ イ





▼ご朱印です。







これだけの古刹が残るこの佐用の地を初めて訪ね、千年以上の経時に関わらず法灯を灯し続ける古刹の存在を改めて凄いことだと感
じ、山寺であろうと街中寺であろうと、往時の民衆の拠り所としてのお寺の存在がいかにその心をつかんでいたのかが判るような気
がします。本堂の美に魅せられてしばらくこのエリアをウロウロしていましたが、ついぞボク以外の拝観の方に会うことはありませ
んでした。





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播州斑鳩寺、聖徳太子十六歳孝養像は必見!

2017年06月05日 | 兵庫の古寺巡り





(2017.06.03訪問)



西の法隆寺と称される兵庫太子町の斑鳩寺、以前から是非訪ねたいお寺でした。
我が家から約110キロほど。今日は天気上々、新大和路号はあのイヤな宝塚の恒例渋滞もものともせず、中国道から山陽道を走って
います。播磨路の初夏の空気は高速ばかりで余り感じることは出来ませんが、太子町に近づくつれて、斑鳩寺に近づくつれて聖徳太
子が放つ1400年の「気」が辺りに漂っているような……、ボクの「気」のせいでしょうか。



            ▼青葉攻撃で寺号が見えません。







            [ 斑鳩寺 ]
            ●寺号 斑鳩寺 (いかるがでら)
            ●宗派 天台宗 (てんだいしゅう)
            ●開基 聖徳太子 (しょうとくたいし)
            ●開創 推古天皇十四年 (606年)
            ●中興 昌仙法師 (しょうせんほうし) 
            ●本尊 釈迦如来坐像、薬師如来坐像、如意輪観音坐像
            ▲兵庫県揖保郡太子町鵤709 Tel. 079-276-0022
            ▲時間 9:00~17:00
            ▲拝観料 境内自由 聖徳殿、宝物館500円 ご朱印300円
            ▲JR山陽線「網干駅下車」南口より神姫バス山崎行きで「鵤」下車 北西へ徒歩約7分
 
             JR山陽線「網干駅下車」北口よりタクシーで約10分
             山陽自動車道龍野インターチェンジから約5km
 
             太子たつのバイパス「福田ランプ」より約1.5km





▼仁王門。三間一戸 (間口9m)、八脚門、入母屋造、本瓦葺。両サイドに金剛力士を安置。
 寛文十三年 (1673年) 建造。







斑鳩寺縁起 ( 斑鳩寺パンフレットから抄出)
聖徳太子が建てられた1400年の歴史をもつ寺院です。
推古天皇十四年秋七月、聖徳太子は推古天皇に豊浦宮で勝鬘經を講説。推古天皇はたいへん慶ばれ、播磨国揖保の水田百町を太子に
寄進。聖徳太子はこの地を「斑鳩莊(いかるがのしょう)」と名付け、一つの伽藍を建てられました。これが播州斑鳩寺の始まりです。
その後、斑鳩莊を法隆寺に施入、法隆寺の荘園として千年近く栄えました。往古には、七堂伽藍、数十の坊院が甍を並べ、華麗を極
めていたが、天文十年尼子政久氏の播磨攻めで堂塔尽く焼失、篠山円勝寺の昌仙法師により漸次再建されました。再建後天台宗とな
りました。 





ユニークと云わずしてなんと云う、と云うような仁王さん。
両像とも目が変です。ポーズが後ずさりしてます。ボクの印象では少々弱気な仁王さんと云う感じ。

▼阿形さん。

       





▼吽形さん。



宝物館にもう一体づつの阿吽両像が安置されていますが、この二体が本来仁王門を護っていたのではと云われているそうです。





▼仁王門。







            ▼仁王門を潜るとスグ左に聖徳太子二才像が合掌。







▼講堂。斑鳩寺の本堂です。桁裄五間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。







▼講堂内陣須弥壇。
 本尊釈迦如来坐像(重文)、薬師如来坐像(重文)、如意輪観音坐像(重文)。毎年2月22・23日太子忌に開帳。
 本尊三尊は秘仏、現在釈迦如来を除く二尊は写真が置かれています。







            ▼中尊の釈迦如来坐像(重文)。



            本尊写真は太子町HPからお借りしました。





▼講堂外陣に賓頭盧尊者。非常の厳しいお顔です。お釈迦さんに僧伽差し止めと叱られた時の顔みたい。







▼講堂。

 





▼不思議な境内マップ。江戸初期の境内が描かれたマップを何故? 境内にマップはこれしかないんです。







            ▼三重塔(重文)。斑鳩寺最古の建物、永禄八年(1565年)再建。



            スタイルといいプロポーションといいバランスといい全くいいところずくめの三重塔。
            今日斑鳩寺を訪ねた最大の理由はこの三重塔を見ることでした。しかし2カットしかありません。
            この日は、境内に出店がイッパイ、写真が撮り辛かったもので。





▼二層目の組み物。







▼コーナーの組み物。斗と肘木の組み合わせを見て下さい。相当複雑に組まれていますネ。







            ▼ほれぼれする塔形!







▼三重塔後ろに西国三十三カ所巡りの石仏が並んでいます。







▼木製袴腰の立派な鐘楼。







▼聖徳殿前殿。桁裄五間、入母屋造、本瓦葺。梁間は奥殿に続き一体の建物になっています。
 天文二十年(1551年)再建。







▼聖徳殿奥殿。八角円堂、銅板葺。大正五年 (1916年) 建立。
 内部は前殿が外陣、奥殿が内陣の役目らしく、奥行きの長い堂内になっています。



奥殿最奥のお厨子に本尊聖徳太子十六歳孝養像が安置。案内のご住職おもむろにお厨子の扉を開けて下さると、そこに初めて拝見す
る聖徳太子像。過去写真は公表してないと云うお像は植髪の聖徳太子像、なんとザンバラ髪、ボク達が知る美豆良の太子とは全く違
うお方がそこにお立ちでした。顔立ちは目尻やや吊り、細面のキリッとしたイメージはやはり太子そのもの、初めて見る感動の一瞬
とはこのことでしょう






▼前殿から見るお堂の内部。最奥に微かに見えるのが、本尊聖徳太子十六歳孝養像が安置されているお厨子。







▼外陣に掛けられている扁額。聖徳殿と書かれています。







▼ここからが内陣、御簾の奥須弥壇上にお厨子が置かれています。連結された堂内はさすがに奥行き長く、前殿、中の間、奥殿とそ
 れぞれのポイントでお話し下さるご住職の太子への思いが伝わる一時間少々でした。







▼聖徳殿奥殿の層間の木組みは平面的で、壁面文様みたいな感じ。







▼左奥が奥殿、右奥が前殿。手前の建物、これも連結されていますがよく分りません、聞き漏らしました。







▼聖徳殿前殿左右に馬の像。太子愛馬の甲斐の黒駒かな。







▼聖寳殿、宝物庫です。内部は正面ワイド状にお寺所蔵の仏像が並んでいます。







            ▼この軸は聖徳太子が推古天皇に豊浦宮で勝鬘經を講説している図ということですが、
             肝心の推古天皇が描かれていません,なんで?



            勝鬘經講説図写真は太子町HPからお借りしました。





            聖徳殿と聖寳殿をつきっきりでご説明いただいたご住職に感謝! ありがとうございました。               
                               合掌





▼五本の白線が格式と歴史を物語っているようです。

              




▼ご朱印です。






かつて聖徳太子が「斑鳩莊(いかるがのしょう)」と名付けたこの一帯も今や太子町の街中、1400年の寺歴を誇る斑鳩寺は聖徳太子と
云う名の重みを携えながら今日までその法灯を守ってきた。本来宗派も法隆寺と同様聖徳宗か元の法相宗かと思っていましたが、ご
住職に伺うと今は天台宗とのこと。何時の時代もその変遷、様変わりも明確でないまま変わって行くと云うのが世の常。ご住職曰く、
法隆寺との関わりは今も深く、叡山へ登るより法隆寺へ志向する方が多いかも知れません。と。本家法隆寺と西の法隆寺と云われる
斑鳩寺、聖徳太子が繋げる仏法の糸は、やはり細いとは云え、今もその精神は受け継がれているのでしょう。

これにて斑鳩寺 オ シ マ イ

次は凄い山寺を訪ねようと思っています。





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天寧寺、圧巻の五百羅漢。

2017年06月01日 | 滋賀の古寺巡り





(2017.05.20訪問)


一週遅れになりましたが彦根市のお寺第三弾です。
龍潭寺から南へ二キロ少々、彦根市街の外れ山裾に、これから訪ねる天寧寺があります。このお寺も彦根藩主井伊家に関わりのある
お寺で、江戸幕府譜代第一の彦根藩第十五代藩主で幕末の動乱期、桜田門外の変で暗殺された大老井伊直弼縁のお寺、そしてその父
直中が残したと云う五百羅漢像が完璧な姿で残る羅漢のお寺。それでは彦根第三弾、五百羅漢のお寺、天寧寺へ行ってみましょう。





▼天寧寺庫裡。拝観受付です。







[ 天寧寺 ]
●山号 萬年山 (まんねんざん)
●寺号 天寧寺 (てんねいじ)
●宗派 曹洞宗 (そうとうしゅう)
●開基 彦根十一代藩主 井伊直中 (いいなおなか)
●開山 寂室堅光禅師 (じゃくしつけんこうぜんじ)
●開創 文政五年 (1822年) 
●本尊 聖観音菩薩坐像
▲ 彦根市里根町232 Tel. 0749-22-5313
▲時間 9:00~17:00
▲拝観料 400円 ご朱印300円
▲JR琵琶湖線 「彦根駅」 から近江バス「天寧寺口」下車 徒歩3分
 名神高速道路「彦根IC」から5分



完璧に残る五百体羅漢さん。全国に五百羅漢のお寺はいくつかありますが、完全に揃っているところは多くないそうで、ここは一体
も欠けること無く残っており、本尊、十大弟子、十六羅漢、五百羅漢の合わせて527体が安置されているそうです。


▼これが噂の羅漢堂。近年補修裡されたのでしょう綺麗なお堂です。
 桁裄五間、梁間六間、入母屋造、銅板葺。重層に見えますが下屋根は裳階です。







天寧寺縁起 ( 天寧寺パンフレットから抄出)
井伊直弼の父である彦根藩第十一代藩主井伊直中が自分の過失で手打ちにした腰元と初孫の菩提を弔うために寂室堅光禅師の勤めで
発願建立した。文政二年の春、男子禁制御殿の奥勤め腰元若竹が妊娠、大奥の取締りのために相手の名を詰問したが明かさない。遂
には不義はお家の法度である掟によりお手打ちとなった。後にその相手が長男直清であったということが明かになり、直中も不知と
はいえ若竹と腹の子(初孫)を葬ったことに心を痛め追善供養のため、京都の大仏師駒井朝雲に命じて五百羅漢を彫らしめ安置した
という。





▼羅漢堂の正面は中央三間が格子戸、木札の五百らかんの白文字がいい案配です。







▼正面四本柱に須弥壇。







▼須弥壇上、中央本尊釈迦如来坐像、左右に釈迦十大弟子が祀られています。

      





▼西面の羅漢さんグループ。







▼第十番の羅漢さん「半諾迦尊者」







▼東面の羅漢さんグループ。







▼第十五番の羅漢さん「阿氏多尊者」







▼正面右の羅漢さんグループ。




写真では分りにくいですが、各羅漢さん個体に欠損や大きな傷もなく彩色も残り、よくぞこれだけのものを残されたことに敬意を表
します。しかし京都の大仏師駒井朝雲さんてよほど根気のある方ですネ、最も一人で彫ったのではないでしょうけど。





▼羅漢堂背面にキンピカ布袋さんがドーンと鎮座。像高1.2m、重量300kg。木造で日本一だそうです。さぞやご利益も超ビッグか。







▼う~ん、このお顔、布袋さん独特の愛嬌がネェ……。







▼羅漢堂斜めから。

 





▼羅漢堂と本堂の間は石庭になっています。







▼本堂。桁裄七間、寄せ棟造、桟瓦葺。







▼本堂扁額。最勝殿と読めます。







▼本堂内部、最奥に須弥壇が見えますが本尊は確認出来ませんでした。
 本堂へは入堂できません。この写真はどうして撮ったでしょう? お分かりの方はよほど目のいい方ですネ。







▼本堂、チョット斜めから。







▼境内から彦根市街が一望。彼方の山上に彦根城が見えます。







▼行者堂。どういうお堂か定かに非ず。







▼仏足石。







▼井伊直弼供養塔、立派な宝篋印塔です。
 桜田門外の変で、直弼が流した血が染みこんだ土は彦根に運ばれ、直弼最期の衣装類と共にこのお寺の境内に埋められたそうです。







▼ご朱印です。




彦根天寧寺これにて オ シ マ イ

訪ねた三ヵ寺は共に彦根藩主井伊家に縁あるお寺で、上手い具合に江戸初期、中期、後期の井伊家とのいくらかの関わりが発見出来
たことはこの日の収穫でした。





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