土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

日吉大社、記紀の世界へ誘い。

2017年10月12日 | 滋賀の古寺巡り





(2017.10.08訪問)


坊村の明王院から坂本へ向かいます。さすが叡山のお膝元、クルマも人も溢れんばかり、次に訪ねたのは律院と云うお寺、坂本の界
隈はよく歩くのですが律院は初めての訪問、しかし訪問出来ませんでした。律院では何か大きな法要があるらしく、門外まで人で溢
れています。本堂までとてもとても行き着くことは出来ません。まして写真など論外のごとし。
よし取り敢えず腹ごしらえと日吉そばへ。そば屋へ入って鰊うどん下さ〜い。
心と腹が満たされ、さてと道路の左を見ると前方に赤い大きな鳥居が見えます。叡山鎮守の日吉大社の鳥居です。
そうだ今日は久々に神社を訪ねよう。





▼日吉大社シンボル山王鳥居。







[ 日吉大社 ]
●社号 日吉大社(ひよしたいしゃ)
●開創 崇神天皇七年 (BC91年)
●祭神
 西本宮 大己貴神 (おおなむちのかみ)
     大己貴神は出雲神話の最大のヒーロー大国主の別名。素戔嗚尊より五世の孫
 東本宮 大山咋神 (おおやまくいのかみ)
     山の地主神で農耕治水を司る神とされる。近江日枝山(比叡山)およ葛野の松尾に鎮座し、里山に鎮まる神とされる。
 宇佐宮 田心姫神 (たごりひめのかみ)
     宗像三女神の一柱。宗像大社では沖ノ島にある沖津宮に祀られている。
 牛尾宮 大山咋神荒魂 (おおやまくいのかみのあらみたま)
 白山宮 菊理姫神 (くくりひめのかみ)
     白山比咩神社の祭神。菊理媛の「くくり」は「括る」に もつながり、「和合の神」「縁結びの神」として崇敬。
 樹下宮 鴨玉依姫神 (かもたまよりひめのかみ)
     賀茂氏の祖先とも云われている神で、神武天皇の母神玉依日売命の別名ともいわれ、八咫烏の子孫とも云われる神です。
 三宮宮 鴨玉依姫神荒魂 (かもたまよりひめのかみのあらみたま)
▲滋賀県大津市坂本5-1-1 Tel.077-578-0009
▲http://hiyoshitaisha.jp
▲JR湖西線「比叡山坂本駅」下車徒歩20分
 京阪石山坂本線「坂本駅」下車徒歩10分
 名神高速道路 「京都東IC」から西大津バイパス(国道161号線)経由、滋賀里ランプで下車、T字交差点左折で道なり。
 湖西道路「坂本北IC」から交差点右折で道なり。





▼社号石柱は旧表示そのまま。官幣大社ですよ。







日吉大社縁起 (日吉大社HPから抄出)
比叡山の麓に鎮座する当大社は、およそ2100年前、崇神天皇7年に創祀された、全国3800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮です。
平安京遷都の際には、この地が都の表鬼門(北東)にあたることから、都の魔除・災難除を祈る社として、また伝教大師が比叡山に
延暦寺を開かれてよりは天台宗の護法神として多くの方から崇敬を受け今日に至っています。





▼社号扁額。







▼大宮橋(重文)。日吉三橋の一つで三橋の中で最も豪華な造りといいます。







▼その豪華な造りを横から見ると。







▼参道少し行くと、日吉大社シンボル山王鳥居「惣合神門」鳥居上部の合掌の形から「合掌鳥居」と呼ばれるそうです。







▼西本宮に向かう参道。







▼参道途中右手に立派な拝殿が見えます。宇佐宮拝殿(重文)です。







▼宇佐宮本殿(重文)。祭神は田心姫神 (たごりひめのかみ)
 やや高い外縁に高欄を巻き、両端に阿吽の獅子が置かれています。
 桁裄五間、梁間三間、日吉造、檜皮葺、一間向拝付、慶長三年(1598年)造立。







▼西本宮楼門(重文)。大社に相応しい豪華な楼門です。
 重層楼門、三間一戸、入母屋造、檜皮葺、天正十四年(1586年)推定造立。







▼ご苦労さ〜ん、上層軒下四隅にお猿が屋根を支えています。「棟持ち猿」と云うそうです。







▼楼門を潜るとすぐ前に西本宮拝殿(重文)。







▼西本宮本殿(国宝)。祭神は大己貴神 (おおなむちのかみ)
 縁に高欄を巻き、両端に阿吽の獅子が置かれています。
 桁裄五間、梁間三間、日吉造、檜皮葺、一間向拝付、天正十四年(1586年)造立。







▼外縁両端に阿吽の獅子が置かれています。これは左側吽の獅子です。







▼西本宮本殿を中心に瑞垣が巡っています。







▼白山姫神社拝殿(重文)。四方吹き放し方三間、入母屋造、檜皮葺、慶長三年(1598年)造立。







▼白山姫神社本殿(重文)。祭神は菊理姫神 (くくりひめのかみ)
 高床式の建物で縁に高欄を巻き、両端に阿吽の獅子が置かれています。
 三間社流造、檜皮葺、一間向拝付、慶長三年(1598年)造立。







▼こぼれ陽が美しい東本宮に向かう参道です。







▼神木にもスポット。







▼東本宮楼門。







▼東本宮楼門を入ると左に樹下神社拝殿(重文)。
 四面とも格子と格子戸のユニークな造り、外縁は高欄が巻かれています。
 桁裄三間、梁間三間、入母屋造、檜皮葺、文禄四年(1595年)造立。







▼樹下神社本殿(重文)。祭神は鴨玉依姫神 (かもたまよりひめのかみ)
 外縁は高欄が巻かれています。三間社流造、檜皮葺、一間向拝付、文禄四年(1595年)造立。







▼東本宮拝殿(重文)。四方吹き放し方三間、入母屋造、檜皮葺、文禄五年(1596年)造立。
 石垣上に建てられているので、下から見ると屋根の稜線がまるで羽根の様、今にも飛び立ちそう。







▼東本宮本殿(国宝)。祭神は大山咋神 (おおやまくいのかみ) 
 桁裄五間、梁間三間、日吉造、檜皮葺、一間向拝付、文禄四年(1595年)造立。最近修復されたのか美しい建物です。







▼外縁両端に阿吽の獅子が置かれています。これは右側阿の獅子で、少々寄り目は愛嬌か。

      





▼東本宮楼門を出るとスグ二宮橋(重文)。日吉三橋の一つ、天正年間豊臣秀吉の寄進と伝わるそうです。



橋を渡り少し坂を上るとはじめの鳥居に、日吉大社これにて オ シ マ イ

さほど広くない境内に、これでもかとお社が並んでいます。それぞれの神様に拝殿と本殿、神社ファンには応えられないでしょう。
平安京の鬼門除け厄除けとして、叡山の鎮守として2000年を越える社歴は半端じゃありません。
魔除け厄除けの象徴神猿(まさる)として「魔が去る」「勝る」に通じ、語呂合わせ気味にお猿が大切にさているようです。
参道に本物がいましたのでおちょくりましたが、完全に無視されました。





↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ

明王院、比叡山北限無動寺の奥の院です。

2017年10月10日 | 滋賀の古寺巡り





(2017.10.08訪問)


錦秋の彩りがチラホラ感じられる京大原から途中越えのトンネルを越え、国道367号を北へ。この道は数あるさば街道の東端の道、
比良山系の山あいを高島を経て小浜に向かうなかなか味のある街道です。なんと云っても鯖ですもの塩味が効いてます。やがて比良
武奈ヶ岳の麓、旧坊村懐かしい地名に到着。比良山系を歩き回っていた頃、琵琶湖側からやこちら側から武奈ヶ岳アタックのベース
としてよく通った所です。約半世紀後の今は坊村の表情もすっかり変わりましたが、道沿いに流れる安曇川は遠い姿そのままに綺麗
な水の流れを見せています。葛川息障明王院、通称明王院はそんな国道367号沿いを少し入った所にあります。この道は幾度も通っ
ている道ですが、チラチラ見える朱色を横目に走るのみで今まで訪ねたことはありません。





            ▼参道入り口には自然石を刻した石碑が建っています。                                    






            [ 明王院 ]
            ●山号 北嶺山 (ほくれいざん)
            ●寺号 明王院 (みょうおういん) 正称 葛川息障明王院 (かつらがわそくしょうみょうおういん)
            ●宗派 天台宗 (てんだいしゅう)
            ●開創 伝 貞観元年 (859年)
            ●開基 伝 相応和尚 (そうおうおしょう)
            ●本尊 不動明王立像 千手観音立像 毘沙門天立像
            ●近畿三十六不動尊二十七番札所
             琵琶湖百八霊場湖西名刹十八番札所
            ▲拝観 境内自由 朱印300円
            ▲時間 9:00~16:30
            ▲滋賀県大津市葛川坊村町155 Tel.077-599-2372
            ▲http://www.biwa.ne.jp/~k-katura/
            ▲JR湖西線「堅田駅」からバスで40分 「坊村」下車から徒歩で3分
             湖西道路「真野IC」からR167を車で30分 葛川市民センター前





▼近畿三十六不動尊二十七番札所、琵琶湖百八霊場湖西名刹十八番札所の木札が。







明王院縁起
明王院は比叡山無動寺の奥の院です。貞観元年円仁上人の師弟である相応和尚が厳しい修行の末生身の不動明王を感得、その木像を
安置したのが始まり。相応は天台座主円仁 (慈覚大師) の弟子で、比叡山東塔の南に位置する無動寺谷に住したが、修行に適した静寂
の地を求めてこの地に移ったという。





▼明王滝川にかかる赤い橋、三宝橋を渡ると境内です。







▼明王滝川の景観、晩秋には紅葉の一大名所、凄いことになると聞きました。







▼それではレッツゴー。これ全部もみじ!







▼石段を上がると左手、寺務総取り扱い政所の表門が見えます。







▼がっちりと石垣に囲まれた立派な山門(重文)です。一間一戸、切妻造、銅板葺、大永六年(1526年)建立。
 ご朱印はこちらで戴きます。







▼政所前がスグ境内、境内には山門はありません。







▼手水龍の水口。残念ながら水涸れ、不浄の身を清めることは出来ませんでした。







▼弁天さんも祀られています。







▼護摩堂(重文)。桁行三間、梁間三間、宝形造、杮葺。宝暦五年(1755年)建立。







▼護摩堂三間正面は蔀戸、左右は火頭窓。この日蔀戸は〆切、中を窺うことは出来ませんでした。







▼それでは本堂へ。







▼石段先に見えるのが本堂。ムム、何やら異型の感じ。







▼本堂(重文)。桁行五間、梁間五間、入母屋造、杮葺、正徳五年(1715年)建立。
 引きが少なく正面の堂形が撮れなくて判りにくいですが、入り口が右端のみ正面側には入口を設けていません。一間向拝が付いて
 います。







▼息障明王院と書かれた本堂扁額。







▼向拝貫の蛙股の獅子の彫刻。これのみ色付き、よく目立ちます。







▼本堂外陣。







▼外陣長押に奉納絵馬がギッシリ飾られています。







▼外陣と内陣は格子で仕切られています。







▼格子の一マスから覗いた内陣の様子。須弥壇中央にお不動さんが、この像はお前立ちか。







▼お前立ちお不動さんの後ろに立派なお厨子が。この中に本尊三尊が祀られているのでしょう。







            ▼お前立ちお不動さん。火焔の造りがリアルですネ。







▼本堂屋根。







▼境内の一角に三社、祭神確認忘れました。







▼宝蔵。







            ▼胴が丸い、これも宝篋印塔か。







明王滝川を渡った対面に明王院の鎮守社、地主神社が鎮座、行ってみましょう。

地主神社由緒(滋賀県神社庁HPから)
比叡山延暦寺と深い関係にあり、平安時代前期に相応和尚が息障明王院の鎮守、守護神として創建されたものである。創建時は明王
院背後の山腹に鎮座されたが室町時代文亀二年に現在地に遷座した。





▼参道石段。







▼拝殿と本殿だけの小さな境内、石段を上がるとスグ右手に拝殿。拝殿から本殿です。
 拝殿 入母屋造 間口三間 奥行二間三尺。







▼拝殿扁額。







▼本殿。屋根とお堂の造りが複雑な形、魅力のある社です。祭神国常立尊。三間社隅木春日造 間口二間 奥行二間三尺。







▼本殿横景。







▼垂木の向きとアール付き垂木、ユニークな形状ですネ。







▼本殿。







▼ご朱印です。







明王滝川に架かる朱色の三宝橋を渡ると雰囲気が一変、厳とした精神の聖域がそこにあるような感覚です。叡山北限無動寺の奥の院
と云うことで、狭い境内ですが凛とした空気とお不動さんの気魄が感じられるとっても気持ちのイイお寺ですヨ。
明王院 オ シ マ イ

叡山お膝元、坂本のお寺をこれから訪ねます。





  ↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ

東光院、萩のお寺も……、

2017年10月05日 | 大阪の古寺巡り





(2017.10.04訪問)


きのう、肉ワカメうどんにエビ天を奮発した豪華ランチの最中に、寺友のN君から「萩見に行かんか」の電話あり。
「もう萩も終わりと違うんかい」と云ってもウムを云わせず阪急宝塚線曽根駅で待ち合わせ指令。萩の寺東光院と云うお寺が豊中に
あると云うので止むを得ず行ってきました。皆様誤解なきように、ボクは花の寺に花を見に行く趣味はありません。時にそこに花が
あればもちろん愛でますが、それを目的に行くことは先ずありません。きのうは特別で、社にいても誰も相手になってくれないので、
これ幸いとN君について行った次第であります。


▼紅白萩が迎えてくれる萩の寺、咲き具合はどうでしょう。                                    

        





▼阪急曽根駅から5~6分の所、この延命橋を渡ると右に萩の寺山門があります。







            ▼山門前の寺号碑には愛称が刻されています。







            [ 東光院 ]
            ●山号 仏日山 (ぶつにちざん)
            ●寺号 東光院 (とうこういん) 愛称萩の寺
            ●宗派 曹洞宗 (そうとうしゅう)
            ●開創 伝 天平年間 (729年~749年)
            ●開基 伝 行基 (ぎょうき)
            ●本尊 薬師如来坐像
            ▲拝観 200円 (萩の開花期間は500円) 朱印300円
            ▲時間 9:00~17:00
            ▲大阪府豊中市南桜塚1-12-7 Tel.06-6852-3002
            ▲http://www.haginotera.or.jp/
            ▲阪急電車宝塚線「曽根駅」から徒歩4分
             名阪神高速「豊中北」出口から5分
             中国自動車道「豊中IC」から10分




▼ごく普通のお寺と云う感じの山門(薬医門)です。四脚門、切妻造、本瓦葺、総欅造り、宝歴七年 (1757年) 建立。

       





▼山門扁額。これも寺号ではないですネ。板書きにしか見えないですが、それにしても素晴らしい筆蹟。







東光院縁起 (東光院HPより抄出)
もとは大坂豊崎の里にあって、境内に萩多く通称「萩の寺」として親しまれ「南の四天王寺、北の東光院」と並び称された格式ある
古刹でした。僧行基が豊崎の里を訪れたとき、死者が浜に風葬されている光景を見て、民衆に我国で初めて火葬の方法を伝授しまし
た。天平七年 (735年) 行基六十八歳のことといいます。行基は荼毘に付した死者の霊をなぐさめるため、自ら一体の薬師如来像を造
り、その仏前に淀川水系に群生する萩を手折り供えました。それを縁に人々の浄財で薬師堂を建立したのが東光院の始まりです。
大正三年 (1914年) 阪急電車敷設により現在地に移転しました。





▼山門から境内を、紅白萩が僅かに見えています。







▼参道正面は本坊です。萩は少々寂しい感じ。左にはお堂が並んでいますので順に拝観しましょう。







            ▼魯山人観音。東光院と北大路魯山人は少なからず縁があるそうで、
             魯山人自ら刻した白衣観音を等身大模刻した石像だそうです。
             影がかかって見にくいですが、ベッピン観音さんです。







▼三十三観音堂。本尊 厄除薬師如来坐像。天保四年(1833年)建立。堂内には寄進された三十三体の観世菩薩像が奉安、脚下には各霊
 場の砂と円坐石が置かれ一巡すれば全霊場を巡礼したのと同じご利益が受けられるそうですヨ。







▼三十三観音堂扁額。







▼三十三観音堂本尊薬師如来坐像。お口が小さく優しそうなお顔ですネ。







▼観音堂前の赤萩。ここはよく咲いてます。株によってかなり差がありそう。







▼東照閣仏舎利殿とあごなし地蔵堂。仏舎利殿と地蔵堂を兼ねたお堂。
 仏舎利殿として元和三年(1617年)二代将軍徳川秀忠の上意を請けた大坂城主松平忠明が創建。







▼扁額。







▼仏舎利を納めた孔雀宝座。



 あごなし地蔵の由緒。 (東光院HPより抄出)
 平安初期の参議の小野篁が承和五年(838年)隠岐へ流されたときに阿古という人が世話をしました。この阿古は歯の病気に大層苦し
 んでいたので、篁は代受苦の仏である地蔵菩薩を刻んでこれを授けました。阿古が信心をこらして祈願するとたちまち病が平癒し、
 奇端は偏にこの地蔵尊の加護したまうところと、島民の信仰を集めました。その後、地蔵尊は島の伴桂寺にまつられ「阿古直し」
 が なまって尽には、「あごなし地蔵」と呼称されるに至ったといわれています。





▼あごなし地蔵堂前の萩。













▼本坊です。ここで御朱印を戴きます。







▼本坊扁額。達者な墨跡、跳龍閣と書かれています、山門扁額の作者と同じ人ですネ。







            ▼金光明最勝王経のデッカイ写経塔。







▼萩まつりの祭神道了大権現を祀る道了堂。
 道了さんとは修験道の奥義を極め神変自在の神力を現した室町時代の禅僧。火神商神、火盗除災、心願成就の権現として
 勧請。







▼道了堂扁額。







▼本坊を右に折れるとこれまた一直線参道で本堂へ続きます。右手が大阪みどりの百選に選ばれている「萩露園」
 相当咲いてるように見えますネ。







            ▼参道左に子規の句碑。
             ほろほろと 石にこぼれぬ 萩の露







▼参道突端に釈迦白仏坐像(ホワイトブッダ)。
 スリランカ仏教徒会議は、大震災からの復興を讃えると共に、震災物故者への慰霊と仏・法・僧の三宝供養を萩の寺に託
 しこのワイトブッダ―釈迦如来白仏像を当山に託しました。







▼「萩露園」はやはりオシマイの様、萩のトンネルも心なしか寂しぃ〜、しかし株によっては今満開も見れます。



















▼本堂です。平成十一年十月十九日阪神淡路大震災から復興。







▼本堂前の赤萩。







▼本堂扁額。







▼本堂内陣の荘厳。須弥壇お厨子に本尊薬師如来がお坐りだと思われます。







▼紅白の残り萩を惜しみながら萩の寺東光院をお暇します。







▼ご朱印です。







花のお寺も旬を逸するとうら寂しい感じがするんですが、ここ萩のお寺は狭い境内にも関わらずこれでもかの萩が植栽され、花はも
うおしまいの感が強いですが、株の緑はボリュウム満点、名残の萩をチラチラ頭上に見ながら緑のトンネルを歩くもまた一興。萩ま
つりの最中にはさぞや華やいだ賑わいがあるんでしょうネ。
皆さん何はともあれ、花のお寺は満開の時に行きましょう。

東光院 オ シ マ イ





  ↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ

弘川寺、歌聖西行法師終焉のお寺。

2017年10月02日 | 大阪の古寺巡り





(2017.09.30訪問)


大阪河南町、葛城山西側山麓に在る弘川寺を訪ねました。このお寺、開山役行者、天武天皇勅願寺、行基がこの地で修行、嵯峨天皇
勅願で空海が中興、空寂上人による後鳥羽天皇快気、そして西行法師終焉の地であるという草創以来ビッグネームがズラリ揃ってい
る大阪の古刹。ことに西行さん名残りの西行桜、裏山桜山周辺には千本を越す桜が植樹されているそうですが、今は秋最中、春のお
ぼろはありませんが最後のグリーンシャワーを浴びながら歌聖の名残を偲んでみようとやって参りました。                   




▼駐車場からいきなり境内への石段。        













[ 弘川寺 ]
●山号 龍池山 (りゅうちざん)
●寺号 弘川寺 (ひろかわでら)
●宗派 真言宗醍醐派 (しんごんしゅうだいごは) 準別格本山
●開創 伝 天智天皇四年 (665年)
●開基 伝 役小角 (えんのおずぬ)
●本尊 薬師如来坐像
▲拝観 境内自由 朱印300円
▲時間 自由
▲大阪府南河内郡河南町弘川43 Tel.0721-93-2814
▲近鉄長野線「富田林駅」から金剛バス河内行終点下車
 南阪奈道路「羽曳野IC」から約30分





▼整然とした境内、石段を上りきると一直線上に本堂が見えます。







弘川寺縁起 (弘川寺パンフより抄出)
名峰葛城山の麓に、天智天皇四年役の行者小角により開創されました。白鳳五年天武天皇請雨祈願の勅願寺となる。その後行基が当
寺で修行、弘仁三年に空海が嵯峨天皇勅願で中興、密教の霊場と定められました。文治四年後鳥羽天皇病気快癒のため時の座主空寂
上人が尊勝仏頂法を修し病快癒、その功により寺号の勅額を賜りました。





▼鐘楼。







▼護摩堂。本尊不動明王。桁裄三間、梁間四間、寄せ棟造、本瓦葺。







▼護摩堂内須弥壇中央に本尊、左脇段に大黒天を祀っています。







            ▼本尊不動明王坐像。近代仏師の作でしょう、彩色鮮やか新しいお不動さんです。







▼地蔵堂。御影堂横にこぢんまりと建っています。方一間、宝形造、桟瓦葺、桁一間に一間向拝付。







▼境内片隅に置かれた不思議な石造物。
 手水鉢ではなさそうだし、片方が割られて堰を敢えて切ったような、水になにか関係がありそうな石造物だと思います。







▼御影堂。中興の祖弘法大師を祀りますが内部を見ることは出来ません。
 桁裄三間、梁間四間、寄せ棟造、本瓦葺、一間向拝付き。







▼御影堂前に空海さん縁の三鈷松。確かに一房(?)に三本の葉が付いてます。







▼石垣の上の弘川寺鎮守社。八所権現を祀り、このお寺で最古の建物だそうです。







▼さて本堂です。この建造美、これを称して息をのむ美しさと云う! ホンマ素晴らしい本堂です。
 1463年守護畠山兄弟の兵火により全山焼失。以来500年ぶりに再建されたそうです。
 桁裄三間、梁間四間、入母屋造、銅板葺、唐破風一間向拝付。







▼正面一間は唐桟戸、左右は蔀戸付の障子戸。正面障子戸から入堂します。







▼本堂内陣の荘厳と須弥壇中央の本尊薬師如来坐像。







▼本尊薬師如来坐像。天武天皇勅願の本尊と伝わるそうです。
 印相がやや珍しい形をとっています。通常は施無畏与願印といって、右手は施無畏印、左手は与願印で左手のひらを上に向け、薬
 壷を乗せているのですが、この薬師如来は、両手の手のひらを上にして膝上で上下に重ね合わせた定印を結び手の平上に薬壷を乗
 せています。釈迦如来に多い印相らしいですネ。













▼本堂斜景もホンマ素晴らしい。







さて西行さんのお墓がある裏山の桜山へ上ってみましょう。

▼本堂右の参道を行きます、苦手な石段が続いています。







▼まもなく西行堂に到着。西行さん坐像を祀っていますが、内部を見ることは出来ません。
 このお堂は西行さんを師と尊び西行顕彰に生涯をかけた江戸期の歌僧似雲法師が建立。この方はこの地にある西行墳を発見された
 方でもあります。毎年4月の第一日曜日のみ開帳されるそうです。







▼西行堂扁額。小さなお堂のわりには大きな扁額ですネ。







▼いざ桜山に! 綺麗な石畳石段が続きます。







▼参道途中から境内の眺め、本堂が見えます。







▼西行墓。
しばらく参道を上りますと突如広い平坦地に出ます。西端に西行さんの墳墓がこんもりした小山を造っており前に自然石二段の墓石
に「西行上人之墓」と刻されています。経10m位の円墳のような感じ、周囲を巡ることが出来ます。
1189年当時の座主空寂上人を慕い西行さんが入山、僅か一年の寄寓で翌1190年七十三歳でこのお寺にて入寂されたと伝わります。







            ▼簡単な墓石の西行墓。







▼西行さんの歌碑。かの有名な歌が刻まれています。この弘川寺には歌碑、句碑が14基建てられ、西行歌碑はそのうち6基あるそう
 です。







 

 (桜のイラストはネットからもらってきました)





▼西行顕彰に生涯をかけた江戸期の歌僧似雲法師の墓。
 西行墓の対面東端にあり、墓石に「似雲法師之墓」と刻されています。この方は西行終焉の地を探しつくし、藤原俊成歌集所載に
 より弘川寺であることを教えられ江戸享保十七年二月十六日、奇しくも西行入寂の日にこの墳を発見、出来過ぎの感はありますが、
 そう伝えられています。







境内からチョット下の本坊を訪ねます。

▼本坊山門。







▼本坊前庭。           













▼アラ、こんな張り紙が。
 本坊庭園とお部屋、西行記念館の拝観期待して来たんですが、どうしてくれます?







            ▼門前植栽の前に咲き残りが二輪。







▼ご朱印です。







弘川寺は葛城山西麓にあるお寺なんですが、山岳寺院や修行寺院の荒々しい印象はありません。放浪の歌人西行さん終焉の地といい、
そこにはそこはかとなく漂う柔らかな空気、平安期最後の歌聖西行さんの印象が強く残るお寺でした。

弘川寺 オ シ マ イ





  ↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ