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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

スタイルがあるか、無いか(2)

2010-05-05 00:04:37 | 日記
 カンプノウでのバルセロナ対インテル戦、このファイナル進出をかけた大一番で、もしインテルのように退場者が出たとしても、バルセロナはカウンターを喰らうことを覚悟しても、常に攻撃的に振舞ったでしょうか?

 仮定の話で申し訳ないのですが、バルセロナは攻撃的に振舞ったと思います。

 仮にカウンターの餌食になる、10人で攻撃的に振る舞った結果大量失点で敗退し、決勝進出を逃したとしてもです。最愛のクラブが傍から見れば無様な格好で敗戦しても、まずファンが選手に大きな拍手を贈るでしょうし、選手も「よくやった、敗れはしたが俺たちは懸命に戦った。」と、自分たちを労うでしょう。

 このバルセロナの考え方が、僕のような他のクラブのファンにとって、共感する事が難しいのです。
 仮に11人対11人で戦ったとしても、時には自分たちの長所を活かすことよりも、相手の長所を消す事を大前提に考えねばならない時があるでしょうし、退場者をだした後なら戦術の修正は不可欠です。

 また攻撃的に振舞って大一番を落とすよりも、守備重視、つまり現実を直視して勝利をおさめ、トロフィーを獲得した方が嬉しいと思うものですが、バルセロナのファンからすれば、現実主義で得た栄冠よりも、自分たちの個性を発揮して、それでも敗れた方が潔しを考えられることが、驚きであり、彼らの魅力なのかもしれません。

 ただそれは降格を回避することが精一杯のような、地方クラブからすれば、非常に鼻持ちならない態度かもしれません。

 攻撃的に振舞えると言う事は、カンテラ、外国籍問わず質の高い選手が揃っている上に、選手を売却する必要性が少ないためです。ナイキからの収入と、チャンピオンズ・リーグで手に入れた収入があれば、エトーやデコのような戦術の不一致以外の問題で、選手を売却するする必要、つまり赤字の埋め合わせの必要が無い為です。

 軸となる選手を留めておけるだけの財力が今のバルセロナにはあるという意味ですし、カンテラにもしっかり目を向けている。

 バルセロナの発想は、外部の人間からすれば共感することは難しいですが、同時に学ぶべき点も少なくないように感じます。

 

 
コメント
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