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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

アディダスの男性用デオドラント品

2010-05-07 20:24:01 | 日記
 中村俊輔が出演している、アディダスのメンズのデオドラント商品が、スーパー、ドラッグストアで大きく展開されています。

 マンダムの「ギャツビー」や、資生堂の「UNO」など、化粧品ブランドの看板商品と同じくらいのスペースで陳列している店もありますから、売上度と注目度のどちらも高いのかもしれません。

 他にも花王の「ビオレ」やDHC、ニベアなどの海外ブランドなど、化粧品の競争はスポーツブランドと同じか、それ以上の厳しい世界です。その厳しい世界に切り込むにあたり、アディダスは相当の準備期間を要したのではないかと思います。今のところナイキやアンブロなど、他のスポーツブランドは静観を保っていますが、もしかするとスポーツブランドから続々と、男性化粧品が販売されるかもしれません。

 2010年は何となくアディダスの年になるような気がします。
 ワールドカップに向けて従来の2種類にオーセンティック(従来のフォーモーションと新型のテックフィット)ジャージの販売に加え、アディダスがサポートするスペインは、ワールドカップ優勝の最右翼ですしね。

 日本代表の活躍もそうですが、スペインがワールドカップでの「負」のジンクスを破る事ができれば、リーガの活況はしばらく止まらないでしょうし、アディダスとしても笑いが止まらないでしょう。
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スコットランドで2強以外が優勝する日は来るか?

2010-05-07 17:07:32 | 日記
 オランダやフランスのように、スコットランドでも2強以外のクラブが優勝したら面白いと思うのですが、現状では難しいでしょうね。

 ユナイテッドのアレックス・ファーガソン監督が、アバディーンを率いていた1のは978年から86年までの8年間。彼はこの間にアバディーンにリーグ優勝3回に加え、82-83シーズンには今は亡きカップ・ウイナーズ・カップももたらしています。

 昔は選手と監督のリクルーティングで、知名度の低いクラブでも国内、海外問わず実績を残すことができましたが、今はとにかく「お金」が物と言う時代ですし、何より成績不振の監督のクビは、すぐに吹っ飛んでしまう世の中です。

 また監督がどんなに選手とファンから愛されていても、金持ちオーナーのご機嫌ひとつで、監督の座を追われてしまいかねません。リバプールのようにオーナーが複数いた場合、監督はオーナーの権力争いから選手を遠ざける必要がある上、監督自身が気付かないうちに、権力闘争の渦中に迷い込んでしまう時さえあります。

 ハーツやヒバーニアンといった2強以外のファンが、スコットランド王者として歓喜に沸く瞬間は、当分の間無さそうです。

 2強が優勝を争う従来の姿を、遠巻きに見ているしか方法はないのですが、僕としては「アイブロックス」と「セルティック・パーク」以外のスタジアムで、チャンピオンズ・リーグのアンセムが流れた方が、スコットランドリーグの真の活性化に繋がるような気がしてなりませんが、2強時代はまだまだ続きそうです。
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ベンフィカが再びポルトガル王者の椅子を手に入れる

2010-05-07 16:39:38 | 日記
 フランスでは遂にマルセイユに歓喜の瞬間が訪れ、スコットランドではレンジャーズがリーグとカップの2冠を達成と、欧州各国リーグで続々と今季の王者が決定しています。

 そしてポルトガルではベンフィカがブラガとのデッドヒートを制し、通産32回目の優勝をほぼ手中におさめています。

 ポルトガルでは、3強以外のクラブが優勝する事はほとんど無いため、ブラガが優勝したことがポルトガルにとって価値あるものと思いますが、ベンフィカの優勝はトラパットーニ政権下の2004-05シーズン以来の出来事なので、これはこれで良かったと思います。

 かつてポルトガルサッカーの代名詞であったベンフィカですが、近年はFCポルトが顔役となり、彼らの存在感は極めて薄くなっていました。

 宿敵がリサンドロ・ロペスとルイス・ゴンザレスを売却したこともベンフィカには追い風になったのでしょうが、ディ・マリアとアイマールというふたりにアルゼンチン代表が、額面どおりに活躍をしたことも大きいと思います。

 ベンフィカ優勝の陰には、スポーツ・ディレクターとして支え続けたルイ・コスタの存在があるようです。皆が皆ルイ・コスタの仕事を絶賛しており、レアル・マドリーに移籍が囁かれるディ・マリアも、再びベンフィカと契約を結ぶ可能性があるようです。

 また6日発売のワールドサッカー・ダイジェストでも彼の仕事がクローズ・アップされていて、
 1・ポルトガル国外でベンフィカのファンは20万人に達していて、
 2・主力のひとりであるアイマールは、「ルイ・コスタがいなかったなら、ベンフィカにはこなかった。」と言い切るほど、ルイ・コスタの仕事振りを評価しています。

 ルイ・コスタというクラブの英雄が、裏方としてクラブを支えている事。
 この事実がベンフィカに栄冠をもたらした要因のひとつであることに間違いありません。

 スポーツ・ディレクターという仕事に真正面から取り組んでいる姿が、選手たちの心を突き動かしたのでしょう。
 
 「クラブの英雄がここまで汗を流しているのだから、俺たちが汗を流さないわけにはいかない」と。

 
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マルセイユにまもなく歓喜の瞬間が(3)

2010-05-07 01:55:11 | 日記
 この当時のマルセイユは指揮官も大物揃いでした。
 ベルナール・タピはマルセイユを欧州最強のクラブに育て上げる為、レイモン・ゲタルスとフランツ・ベッケンバウアーという大物をマルセイユに呼寄せます。

 当時のマルセイユはまるで選手と監督にとって「桃源郷」のような存在だったのでしょう。

 今季就任したデシャンのもと、マルセイユは再びフランス王者に返り咲こうとしていますが、その種は既に前任者のエリック・ゲレツの下で蒔かれていたんですね。

 ゲレツはガラタサライで指揮をとっていた2007シーズンに、稲本潤一をWBAから呼寄せた事で知られていますが、他にも母国ベルギーを皮切りに、オランダやドイツでも監督経験があります。

 彼の指導は非常に厳格で知られていますが、その一方で選手との対話も重んじるそうです。
 選手の入れ替わりが激しい上、財政赤字を補填する為に、フランク・リベリーとサミア・ナスリという看板選手を売却しなければならないマルセイユに90年代初頭の面影はありません。

 だからこそ対話を重視しながらも、一方で規律を植付け、逸脱を許さないゲレツの指導方針が、マルセイユの選手達と波長があったのでしょう。ゲレツ以前にマルセイユの監督だったジャン・フェルナンデスやエモンには、これらの方針がきっと欠けていたのでしょう。

 元日本代表監督のフィリップ・トルシエもマルセイユのベンチに座ったひとりですが、彼の指導方針はゲレツと似ている部分もあると思います。

 ただゲレツが常に欧州を舞台に経験を蓄積したのに対し、トルシエはアジアとアフリカで経験を培ってきました。トルシエの経験が「辺境」の地で得たものであるため、選手達から懐疑の目で見られた可能性は否定できませんが、当時のフランスはリヨンの絶頂期と重なりますから、トルシエの就任のタイミングが悪かったことも確かです。

 2009シーズンにボルドーが優勝し、遂にリヨンの連覇が「7」で途切れた今、フランスはボルドーとマルセイユ、そして今季好調だったオセールを軸に、群雄割拠の時代に移行するかもしれません。

 ただボルドーの監督ロラン・ブランがフランス代表監督に就任する可能性があるため、デシャンが残留するマルセイユの時代が再び巡ってくる可能性もあります。

 再びヴェロドロームに歓喜の声が戻ってくる確立は、相当高いのかもしれません。
 
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マルセイユにまもなく歓喜の瞬間が(2)

2010-05-07 01:32:07 | 日記
 マルセイユがこれだけの期間タイトルの恵まれなかったのは
 
 1・クラブが監督と選手の入れ替えを頻繁に行った事
 2・ベルナール・タピの企てた「八百長事件」の発覚とその余波が、とてつもなく大きかった事
 3・クラブの数々の栄光をもたらした名手達と、既存の選手達をファンが比較し続けたこと。

 にあると僕は考えます
 ただ「3」は単なる推測にすぎないのですが、当たっている部分はあると思います。

 1999シーズンマルセイユはリーグ2位の好成績をおさめます。そのシーズンは前年のワールドカップで世界一を味わったロベール・ピレスも在籍していたのですが、マルセイユのファンからピレスは「ひ弱」呼ばわりされていて、必ずしも受け入れられてはいなかったのです。

 ピレスが彼本来の輝きを見せたのはアーセナルに移籍してからですね。同朋のアンリやベルカンプと共に、アーセナルの多彩な攻撃の一翼を担った彼は、間違いなく2000年代初頭のプレミアの顔のひとりでした。

 しかしマルセイユファンが、「ただ巧い選手」では満足できない理由もよくわかります。

 フランスリーグで5連覇を果たし、1992-93シーズンに欧州の頂点にたった当時のマルセイユには

 DFにはバジール・ボリにアングロマ、そしてデサイーが顔を揃え、GKはファビアン。バルデスという顔触れ。

 MFはデシャンにガーナの至宝アベディ・ペレが君臨し、FWにはボクシッチとフェラーがコンビを組んでいたのですから、まさに「破格」のメンバー構成です。

 ちなみに1991年のチャンピオンズ・カップの決勝に進出した際は、3トップをペレとイングランド代表のワドル、そしてこの年のバロンドール、パパンで構成し控えにはピクシーがいたのです。

 これだけの名手が集まった時代を知っているファンからすれば、並の成績では納得するはずがありません。マルセイユはそれだけ転落するスピードも速かったというわけです。

 
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