塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

契約ブランドを選ぶということ

2014-04-02 02:08:04 | 日記
 例えばの話ですが、中規模、小規模クラブの場合、ナイキやアディダスのような大手と用具提供のみの契約と、ニッチブランドと用具と金銭、両方の提供を含む契約、どちらが効果的でしょうか?

 例えばフィオレンティーナは現在スペインのホマと契約していますが、中田在籍時の2005シーズンはアディダスで、近年はロットから用具提供を受けていました。

 同じイタリアのウディネーゼも今はレゲアですが、過去にはル・コックやロットが契約先ということもありました。

 ナイキはマインツ、モンペリエ、レアル・ソシエダなど、地方クラブとも契約していますが、恐らく金銭は絡んでいないのではないでしょうか?

 地方クラブはその国もブランド、例えば1860ミュンヘンがウールシュポルト、エバートンが来季から再度アンブロと契約数量に、ある種「最後の砦」という趣が感じられます。

 中村俊輔がレッジーナ在籍時、アシックスがスポンサーでしたがこれも用具提供のみでしたが、アディダスでは無い分

 「ナカムラがスポンサーを連れてきた」

 という色眼鏡で見られることは無かったようです。

 大手から支援されることは、きっとコマーシャルと言う点では大きな宣伝になるでしょうし、

 「俺たちは彼らから支援されているんだ!」

 というアピールにはつながります。

 一方で現実路線で見るならば、用具だけでなう複数年で契約金が支払われる方がクラブとしても有難いでしょうし、今はどのブランドも技術は凄く発達していますから、機能性では優越は付けられないと思います。

 マクロンが迷彩をナポリに提供したように

 「デザイナーの感性」

 は大きいと言えるでしょう。

 そうでなくとも契約争いが激化する中で、今後もブランドとの折り合いはクラブにとっての命綱ではあるのでしょうが。
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かつてのスターを語る意味

2014-04-02 01:51:59 | 日記
池袋ウエストゲートパーク文庫本第5巻「反自殺クラブ」の第2幕、伝説の星の中に100万枚のレコードセールスを「過去」に記録したロック歌手が登場します。

 「あんたの知り合いにスターはいるかい?」

 冒頭で主人公マコトは僕たちにそう問いかけます。

 ああ、サッカーでも野球でも地元が後援会を発起し、五輪代表に熱い声援をおくり、地元のテレビ局がその応援風景を流すのは、知り合いにスターがいるという証明なのだと実感します。

 4年前、本田圭祐のおじいさんがワールドカップ期間中、幾度ももテレビに登場しましたが、遠き南アフリカで戦っていた孫は、日本での風景をどのように感じていたのでしょうか?

 一時代を築いたスター。

 どんなに優れた名手でも引退の時期は訪れますが、その経歴が語られるかどうかはまったくもって不公平です。

 例えばバスケットボールならばマイケル・ジョーダンやボブ・クージー、ビル・ラッセルは語られても、アール・モンローやウイリス・リード、リック・バリーなど

 「通好み」

 の選手たちはさほどでもないのでしょう。

 自戒を込めて言えば、僕もサッカーの資料を読むにあたり、ペレやマラドーナのように語り継がれる名手たちの軌跡を、空で言えるほど深く案じているわけではありません。

 ただ、読まないよりはマシなのかもしれませんが。

 欧州では、親や祖父が語り部となり、自分たちが見て、触れて、肉声を聞いてきた選手たちの軌跡を子孫たちに伝えています。

 最新号のサッカー・マガジンゾーンでは、セルティックのファンがどれだけ中村俊輔を敬愛し、今でも彼の帰還を待ち望んでいるかが記されていますが、引退する、しない関係なく、自分が語られると言う事は選手にとっても大きい意味合いを持ちますね。
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