塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

サッカーが難しいとおもう理由

2016-03-07 22:55:59 | 日記
 サッカーがわからない、難しいと感じるのは、一口に攻撃と守備に分類できないためでしょう。

 例えば攻撃時におけるドリブル。

 通常ドリブルというのは、攻撃の選手が相手マーカーを抜き去る場面を想像しますが、パス同様相手陣内に入る手段でもあります。

 また守備も同様で

 1・GKを軸にセンターバックがボックスエリアに鍵をかける
 2・中盤でボールを奪われ、背後から相手を追いかける形
 3・前線からのプレスですぐに攻撃に転じる

 というように、幾つもの局面が生まれます。

 ベニテスは失点の多い点を改良し、良い攻撃の土台にしようと試みました。

 しかし、守備が向上したにも関わらず、攻撃のオートマティズムの無さ、ロナウドの1トップなど、起用の評判がよくありませんでしたね。

 野球はアメリカン・フットボールのように

 「攻撃の時は攻撃に集中でき、その時間は長くも短くもある」
 「守備も同様で、選手の交代、作戦会議で選手とベンチの意思疎通が図れる」

 競技とは完全に異なります。

 また、これらの競技はポジションが皆連想できますが、サッカーはそうもいきません。

 日本でボランチ、中盤と一くくりにされがちなポジションでも、イタリアでは

 レジスタ、インクルソーレ、クルソーレ、インコントリスタなど幾つもの呼び名があり、それをまとめた言葉がチェントロカンピスタ、になります。

 言葉と戦術、技術の奥深さがサッカーの特徴でもあり、厄介な部分でもあります。

 
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プーマが意図したフロンターレの懐古

2016-03-07 22:42:43 | 日記
 今季の川崎フロンターレのホームジャージは、20年近く前のデザインを起こしたものですよね。

 当時はアシックスと契約していたフロンターレ。

 川崎の方々は

 「フロンターレは富士通の意識が強い」
 「ヴェルディのように、いつか出ていくのではないか」

 と不審の目で選手たちを眺めていたと聞きました。

 その点を当時の武田社長が地道な努力で払拭し、今ジェフを指揮する関川監督を招聘、以後、何人もの日本代表経験者を生み出すまでに至っています。

 プーマとしては新しいデザインを考えるよりも、古くからのファンが

 「ああ、当時はこんなだったな」
 「今よりも観客動員は随分少なかった」

 と琴線に触れる形にしたかったのでしょうか。

 もし、今季のフロンターレに僕が記事を書くとすれば

 1・大久保の4季連続得点王という大偉業はあるのか
 2・彼の業績を阻むとすれば、同僚の小林ではなかろうか
 3・得られそうで得られない、優勝カップを戴冠できるか
 4・風間体制はいつまで続くべきか

 など、ネタはたくさんあります。

 同時に大島やオーバーエイジの関係で五輪期間中に戦力が維持できないのであれば、風間監督がどのように補うのか、という点も注目です。

 FC東京との多摩川クラシコは既にJ1の名物です。

 そのFC東京は2度のナビスコカップ優勝がありますから、その点を誇示されるのは気持ちの良いものではないでしょうから。
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言葉を学ぶための真意を思う

2016-03-07 01:31:22 | 日記
 今の職業では、しばしば外国語を用いて会話をします。

 「あなたはスペイン語が話せるの?」
 「英語、うまいねえ」

 と言われる事もありますが、それは諸外国の方が日本語を一定水準理解してくれているためで、僕が貢献しているわけではないのです。

 サッカーで言えば

 日本代表が国内で新全試合を行うこと
 海外遠征でも、対戦相手がリザーブ中心である

 ようなもので、相手が僕を慮っているからこそ、日本語と外国語を混ぜている形何です。

 塩野七生さんは、息子のアントニオ・シモーネさんとの共著

 「ローマで語る」

 があり、集英社文庫という形で入手しやすくなりました。

 今、まさに読んでいる作品がこれなのですが、塩野さんは母親として以下の事を伝えたと、別の著作で語っています。

 「私はおはよう、こんにちは、おやすみなさいなど、挨拶を英語、日本語、イタリア語で息子の学ばせた」

 これは僕の意訳で、文章はこの通りではありません。

 塩野さんの真意としては

 「言葉というものは、堅苦しいものではない」
 「自然に覚えることができるもの」

 というものだと、僕は解釈しています。

 日本代表に選出されなくとも、Jリーグから多くの選手が欧州を目指すようになり、その歩みがさらに増すはずです。

 その際に言葉というものは、相手を尊重するために大切な要素のひとつにすぎず、練習を怠らなければ大丈夫、くらいの姿勢が大切ではないでしょうか。
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日本はやはり贅沢なのか

2016-03-07 01:23:50 | 日記
 やはり日本は贅沢なのでしょうね。

 書店に行けば様々な食品の書籍が発売され

 「この食品は食べてはいけない」
 「太らない食事」

 など、刺激的な題名が数多く見られます。

 ただ、それらを鵜呑みにしてしまいがちなのが僕なのですが、口にしてはいけない食べ物を排除することもまたできません。

 例えば小麦やソーセージは、出来るならば食べいない方が良いという方がいます。

 でもパスコ(敷島パン)は、北海道産の小麦、ゆめちからを用いてパンを製造していますし、長野県にもソーセージ、ハムを製造する企業がいくつもあります。

 排除することは確かに健康を促進するのかもしれません。一方で

 企業の存在価値
 そこで働く人々の思い

 もまた尊重されるべきですから。

 諸外国ではこのような健康、そして健康補助食品に限らず、食事と飲料水が入手できないことがあまりに多いことが現状です。

 インテル、モナコでプレイしたシエラレオネ代表のモハメド・カロンのように、内戦、そして産出されるダイヤモンドの利権争いに執着する人間の傍らで植えた人々を見てきた選手がいます。

 ディデェエ・ドログバはコートジボワール代表のアフリカ選手権優勝が、人々に感銘を与えることを信じていました。

 これらでは

 「日々生きること」
 「日々食べること」

 は僕らが思う以上に難しいと言えますし、僕が口出しをしても意味はないのですが。

 サプリや栄養補助食品は、適切な食事を得て初めて意味があります。

 僕たちは自身の境遇が、世界でも恵まれているのではないかと、時に自問自答すべきではないでしょうか。
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