塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

企業にとって契約とは何でしょうか

2024-05-19 20:43:01 | 日記

 ディアドラやロットも、1990年代から2000年代までは、選手との強い結びつきがありました。

 

 僕の世代ならば、ディアドラと言えばロベルト・バッジョをすぐに連想できますし、マルコ・ファン・バステンという方もいるでしょう。

 

 ロットならばルート・グリットがそうでしたし、セリエAでの着用率はけた違いでした。

 

 前回お話居S他長谷部とプーマ、岡崎とミズノに見られる強固なパートナーシップは、ディアドラやロットでなくても

 

 ぜひとも欲しい関係性

 今はブラックアウト、ホワイトアウトは新商品の売り込み道具になってしまった

 選手もどんどん良い契約を希望する

 

 面が強いですからね。

 

 ロットはアンドリュー・シェフチェンコが、契約先をミズノ(最終的にはリーボック、ナイキ)にすると代理人から打診があったとき、衝撃だったことでしょう。

 

 またディアドラもアントニオ・カッサーノを最後に、イタリア代表選手が愛用する形跡はありません。

 

 今はデザインやお金が、プロとして契約条件としての最重要項目なのでしょうが、ある意味昔ながらの頑固な契約があってもよいと思います。

 

 逆にアドラーやガビックのように、(僕に見えるだけですが)契約選手の数が企業の価値を決めないよ、というスタンスも凄いと思いますよ。

 

 僕たちはどうしても、あの選手が愛用している、という短絡的な見方をしてしまいますがね。

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長谷部とプーマ、岡崎とミズノ

2024-05-19 20:36:59 | 日記

 岡崎慎司はミズノ

 長谷部誠はプーマ

 

 の日本市場向けの広告塔でした。

 

 特にミズノが岡崎に支給した「バサラ」は、ある意味で彼専用スパイクと言っても過言ではない形でした。

 

 バサラが既に廃盤でしたが、バサラあっての

 

 アルファの企画、販売

 スペイン代表のセルヒオ・ラモスと契約、アルファの提供

 

 につながりました。

 

 長谷部も岡崎も、ミズノ、プーマ以外のブランドから契約変更の打診はあったに違いありません。

 

 しかし彼らは、ある意味「一途」に契約ヲ尊重しましたよね。

 

 クラブとの契約終了は致し方ありませんが、用具に関しては両選手とも律儀な選手でした。

 

 とくに長谷部誠は今後もドイツの拠点を置くとされます。

 

 プーマはドイツを代表する企業ですし、他のブランドよりはるか以前から

 

 ジル・サンダー ドイツを代表据えるデザイナー

 ミハラ・ヤスヒロ 日本を代表する靴デザイナー

 

 と協力し、靴を提供して気増した。

 

 プーマ本社は日本市場だけでなく、欧州市場で長谷部誠の意見を尊重するような気がします。

 

 それだけ彼の人柄は素晴らしいと評判ですし、ミズノは引退後も岡崎と契約続行する可能性、あるのではないでしょうか。

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日本の名手たちが引退しましたね

2024-05-19 20:27:49 | 日記

 長谷部誠の引退試合、フランクフルトのファンは総立ちで拍手し、彼に敬意を払いました。

 

 またベルギーでは、シントトロイデンの岡崎慎司が、同じようにラストゲームを闘いましたね。

 

 昨日もお話ししましたが、

 

 セルティック・グラスゴーがリーグ3連覇を果たしたことは素晴らしい出来事

 そこに日本代表選手が認知されていることは、更に素晴らしい

 しかし、グラスゴーに戦力が集中し過ぎていることも確か

 

 という点はあります。

 

 長谷部誠 2009シーズンにブンデスリーガで優勝 1部リーグは18クラブ

 岡崎慎司 2016シーズンFAプレミアシップで優勝 1部リーグは20クラブ

 

 ということを思うと、まずUEFAチャンピオンズ・リーグで戦うことよりもすごい事がわかります。

 

 今季は特別でしたが、基本ブンデスリーガはFCバイエルンの独壇場ですから、フェリックス・マガトの手腕はおいておくとしても、ウオルクスブルクの画期的な優勝がわかります。

 

 更にそのうえを行く、2016シーズンの「レスターの奇跡」

 

 確かに岡崎慎司は代表選手でしたが

 

 ジェイミー・バーディ 後にイングランド代表

 エヌゴロ・カンテ 後にフランス代表

 リャド・マハレズ アルジェリア代表

 

 は、まだ無名でしたからね。

 

 彼らは日本でプレイすることなく欧州で引退しました。

 

 今後もJ1には戻らず、彼等と同じ決断をする選手も増えるでしょう江。

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