塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

1985年、阪神タイガースの日本一から

2025-02-04 21:51:19 | 日記

 1985年、日本シリーズ優勝を果たした阪神タイガース

 

 ランディ・バースは現在でも、阪神タイガースというチームの枠を超え、日本野球に最も貢献した外国籍選手、という声も高いですね。

 

 阪神タイガーズが「有力選手」という形容詞と共に、獲得した外国籍選手の活躍基準が、ある意味このランディ・バースの成績にあるような気もしますし、それだけ1985年の優勝は2023年よりも印象が強い。

 

 ということでしょうか。

 

 その1985年の阪神タイガースは、吉田義男監督が率いていましたが、お亡くなりになったことを今知りました。

 

 今、日本サッカーは

 

 選手は米国、欧州を軸に経験値を積む

 一方で指揮官は、東南アジア、中国で奮闘

 

 というように、海外に活路を見出すことが多くなりました。

 

 野球日本代表がすでに、ワールド・ベースボールクラシックで優勝3回と最多記録を持ち、チェコやスペインなど欧州で一定の競技人口を持つ国の選手たちが

 

 「米国ではなく日本でプレイしたいんだ」

 「動画で日本野球を研究しているよ」

 

 と語るように、その影響力は拡大していると思いますね。

 

 プロサッカーが指揮官と選手が国内と海外を常に意識していますが、野球の世界で吉田監督はいち早く「フランス野球代表」の指揮官として渡仏した経歴がありますよね。

 

 フランスは当然ラグビー、サッカー、テニスに自転車競技が盛んで、やはり野球は練習場の確保だけでも大変だったに違いありません。

 

 それでも地道に選手たちに接した吉田監督は、日本サッカーにフランスサッカー協会との懸け橋をもたらしたといいます。

 

 野球の世界で指揮官が海外に出向くことはまだまだの様子ですが、これからは米国を軸に拡大していくのかもしれません。

 

 そうなりますと、吉田監督はまさに「先駆け」だったといえます。

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